テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
「……ここは……」
寝て起きたら無機質な部屋の、ベッド上ではなかった。しかし知らない場所ではない、寧ろ何処よりも見慣れた景色だった……けれど自分にとっては、何よりも遠い景色でもあった。
「純くん、大丈夫かい?少し寝ていたようだけれど……」
声のする方へ振り返ると、そこには見慣れたコーチ姿の友人ではなく、まだ少年時代の頃の彼がいた。髪の色もまだ白くはなく、背も伸びきっていない。
「……慎一郎くん?」
「……?そうだけど……?」
相手は戸惑った様子で頷いている。流石に長年の付き合いである彼を見間違うはずはないのだが、問題はそこではない。彼の年齢が問題だ……というより、自分の記憶の問題か?
夜鷹純は混乱し困惑していた。普段は周りで何が起ころうが、何を言われようが、そこまで関心を持たない。そして心が動かされることはない。しかし、この時ばかりはとても動揺した。
何せ、ベッドで目を瞑って次に開けば幼い頃によく見た大会のスケートリンク場、そして若返った鴗鳥慎一郎。何が起こったのかさっぱりわからない状態である。ただ、元々表情筋を動かすことが少ないため、幸か不幸か、その事実が目の前の友人に伝わることはなかった。
「…………。」
「本当に大丈夫かい?」
自身の名前を口にしたまま固まってしまった友人に、慎一郎は心配が募った。
今日は全日本の大会で、優勝は目の前で固まっている夜鷹純、それに続いて自分は銀二位であった。大会中は特に転倒や怪我も無く、無事に滑り終えたように見えたが、実はどこか具合が悪かったのではないか、と。
オロオロとしている慎一郎を見た夜鷹は、一つ瞬きをすると、相手にバレないように軽く息を吸って吐いた。
「大丈夫だよ、慎一郎くん。寝起きだったから少し寝ぼけてただけだよ」
「そ、そうかい?具合が悪いなら、君のコーチを呼んでくるけど……「純、どうかしたのか?」」
平常心を装って、相手に問題がないことを伝える。しかし、心配が消えない慎一郎はコーチを呼んでこようかと考えた。するとタイミング良く、そのコーチこと、高峰匠が誰かを連れてこちらに歩いてきていた。
「あ、高峰先生。純くんが少し寝ていて、起きたらなんだか様子が変な気がして…」
「大会の会場で居眠りなんて珍しいな。どうした?疲れが出たか?」
「…………」
友人の慎一郎に、コーチである高峰先生が心配そうにこちらに気をやる。しかし、夜鷹はそれどころではなかった。
コーチの後ろに立つ人物に、目を見開き、心臓が早鐘を打ち、そして、動揺から滲み出た汗が項を伝った。まるで亡霊でも見ているような気分だ。
「……?ああ、後ろのこいつのことか?こいつは今度、俺のアシスタントコーチになってもらう俺の元教え子で…」
知っている。知っているが、もし自分が慎一郎くんと同じ年齢であるならば、彼が見慣れた姿なのはおかしいのである。しかし、二度瞬きしても、目の前の現実と景色は変わらなかった。
「こんにちは、初めまして!今度、匠先生の元でアシスタントコーチをさせてもらう明浦路司です!よろしくお願いします!……えっと、体調悪いのかな?大丈夫?」
まるで太陽のような満面の笑みでこちらを照らしてくる見慣れた姿の司に、夜鷹はついに脳の処理が追いつかず、その場でブラックアウトした。
〜〜〜〜〜
ブラックアウトした衝撃の日から数日が経った。あの後、目が覚めたら病院で、自分は高熱を出してあの場で倒れたらしい。夜鷹は見舞いに来てくれた友人の姿、そして話からあれは夢では無く、また今現在も夢では無いらしいことを悟った。
どういう原理かわからないが、自分は先の記憶を持ったまま、14歳にまで若返ったらしい。その事実を受け入れるのに抵抗がなかったわけではないが、何度目を覚ましても同じ状態なことに、これはもう受け入れるしかなかった。いや、それ以上に受け止めるには大きな事実の前に、小さなことのように感じたのかもしれない。
明浦路司。彼は自分が教え子としている狼嵜光に、無謀にも勝つことを宣言してきた結束いのりのコーチであったはずだ。自分よりもまだ若く、そしてまだ滑れる身であるにも関わらず、その可能性を捨てた男。正直、最初はその事実にとても苛立ち、余り好ましいとは言えない対面の連続であった。
狼嵜光に結束いのりが勝つということは、彼が僕に勝つということ。そんなこと、天地がひっくり返っても起きはしない……そう思っていた。
しかし、天地はひっくり返った。ジュニアに上がり、いのりは光に勝利した。その時の彼女の演技を見て、気がついてしまった。いのりと自分が同種の類であることに。
氷の上でしか息ができない、氷の上以外での生き方を持つことができない、氷上で生きるために産まれてきた人間。
では、なぜ彼女は何も失っていない?犠牲を払っていない、氷上の外でも息ができているんだ……僕たちの違いは何なのか。それは火を見るよりも明らかだった。
明浦路司彼の存在だ。
常に彼女に寄り添い、時にはお互いに刺激しあい、共に成長してきたのだろう。きっと孤独に生きるはずだった彼女の横に居続けた存在。彼女の生きる道を一緒に探し、見つけてきた人。氷の外での息の仕方を教えたのも、きっと彼だ。
それを悟った瞬間、今まで溢れたことのない激しい感情が自分の中を巡った。決して人生の中で抱くことのない、一生共感のできないと思っていた、「嫉妬」という感情。
どうして彼は自分ともっと早く出会わなかった、どうして彼女なんだ。どうして僕ではない。もし彼がいたなら、まだ自分は氷の上で…氷の外で…。
その感情から目を背けるように、僕は会場を後にした。そして契約通り、光のコーチをやめようとした。けれどそれは叶わなかった……いや、止めてくれたといったほうが正しいのかもしれない。
泣き腫らした光を連れて、僕の元へ訪れた彼は、暴力を嫌いそうな印象に似合わないストレートパンチを、僕の頬に打った。人生で初めて打たれた、そして正面から怒ってもらえた。
「自分と他人、どっちとも、もっとしっかり向き合えよ!!」
僕の才能に媚びてきた大人や、勝手に絶望したり、嫉妬してきた同世代たちとも違う。ただただ真正面から僕に向き合い、そして光の為に怒った。光に僕というコーチがどれだけ必要なのか、大切なのか……他人事であるのに、自分の事のように怒っていた。
その後、僕は初めてちゃんと他人と…光と向き合った。彼女にスケートを教えはすれど、それ以外で特に興味を持って向き合うことはなかった。それは今まで関わってきた多くの人間にいえることだった。
「コーチ、約束を守れなくてすみませんでした…でも、私、まだまだコーチに教えてもらいたいことが沢山あります。我儘かもしれないけど、でも、私にとってコーチは他にいないんです…コーチに一番近くで支えてもらいたい!コーチと一緒に勝って喜びたい!コーチの側に、ずっと居てもいい選手であることを、コーチにも他のみんなにも認めてもらいたい!」
初めてちゃんと向き合った彼女は、出会った頃の小さな少女の時と比べて、とても背が伸びていた。しかし、服を握り締め、震えた声で必死に訴えかけてくる姿は、まだまだ子どもであることを悟らせる。
……自分も、引き留めて欲しかったのかもしれない。自分も、光みたいに叫びたかったのかもしれない。
光と向き合うと同時に、幼い頃の…選手の頃の自分と向き合っている気分であった。そう思うと、とても腑に落ち、そして泣きたくなった。
泣きたくなった理由はわからない、でも、言葉にできない感情が溢れて、無意識にポツリと言葉を落とした。
「…本当に、僕なんかがコーチでいいの?」
きっと本音だった。スケートの技術においては金メダルをとってきた身として、自信もある。しかし、人として、欠けた部分があるであろう自分が、本当に彼女の側にいていいのか…よくわからなかった。
「なんかじゃなくて、コーチがいいんです!」
叫ぶと同時に走ってきた彼女を抱き留めた。反射でしたこととはいえ、その後、腕の中で泣く彼女に何をしたらいいのかわからなかった。
すると、今まで傍観に徹していた司が、夜鷹の手を優しく掴み、光の頭へと持っていった。
「…こういう時は、頭を撫でるとか、背中を擦るといいんです。そうすることで子どもは安心します」
先程、自分に怒っていた彼は、今は慈愛の笑みを浮かべ、目に涙を溜めたまま、優しげに言葉を紡いだ。
その後は、ぎこちないなりに光の頭を撫で、泣き止むまで抱きしめていたと思う。
後日、自分は光のコーチを続けることを宣言し、更に表立ってコーチとしての活動を始めた。最初は慎一郎くんのリンクでアシスタントコーチとして入りながら、光を中心に他の生徒への指導も時には行っていた。しかし、急に性格や態度、接し方が変わる訳はないので、かなりの生徒に怯えられ、慎一郎くんや光に間に入ってもらうことでなんとかやっていたと思う。あと、慎一郎くんの息子には最初とても嫌われていた為、思い当たる出来事を慎一郎くん伝てで(自分では思い出せなかった)知り、それについて謝罪すると、人間こんな表情もできるのかという複雑そうな、まるで宇宙人にあったような、筆舌にし難い顔をしていた。
そんなこんなで色々あった未来。光のコーチとして活動する中で他人と関わり、色々向き合うことで、明確になっていく明浦路司への感情。それは恩義と渇望の気持ちで成り立っていた。
光のコーチを続けられたのは彼のおかげであるし、自分がこうして少しずつ氷の外での息の仕方を覚え始めたのは彼や光のおかけである。大会で会うときは声をかけてくれ、時には他のコーチとの間を取り持ってくれる。だからこそ、恩を感じているし、彼とのコミュニケーションは全く苦ではない。
でも、それとは別に消えない、彼への渇望。もし、もっと早く出会っていたら。彼が自分と同世代だったなら。彼が自分のコーチだったなら……。渇望というか、最早執着に近い重すぎる情を彼に持ってしまった。だって、それだけ彼は自分にとって眩しく、そして暖かかった。
光のコーチになれたこと、現在も続けられていることに幸せを感じれど不満はない。しかし、人間は欲深い生き物で、更に多くの可能性と幸せを求めてしまう。
(……その結果、今の状況に繋がっているのか?)
夜鷹純は白い部屋のベッドの中でひとり、頭の中を整理した。自分の願望が叶ったようなシチュエーション、夢のようで、しかし現実な目の前の状況。色々考えた末に、彼は吹っ切れた。
「……もし彼が自分のコーチをしたとしても、年齢的にまだ結束いのりをコーチすることは可能…もし無理だとしても、光をコーチしつつ、アシスタントとして彼を手伝えば問題ないかな」
どういう原理かわからないが訪れた絶好のシチュエーション、どうせなら戻るまで、戻れなくても、今ここから変えていってしまおう。
欲しいものが手に入るかもしれない状況に、無意識に笑みが溢れる。そして、少しの優越感に浸った。
結束いのりのことは嫌いではない、光のライバルだ。ただ、欲しいものを持っていた彼女に嫉妬していたのも事実。コーチとしての彼の全てを奪いはしないが、ただの人間としての距離はこちらが先に縮めさせてもらう。
夜鷹純は”まだ”気づかない。とても重く、底なし沼のように深く、そして蜂蜜のようにどろりとしている、その感情は執着であり、恋心愛であると。
鷹の目を光らせた彼の前に、高峰匠と共にお見舞いとして姿を見せるまであと数刻……
あの騒動から数日。熱もすぐ下がり、検査でも異常がなかった為、すぐに退院はできた。しかし、高熱を出していたこともあり念の為と、三日の休みを貰っていた。
個人的には身体が訛るし、早く司くんとコンタクトを取るためにもこの二日の休みは必要なかった。でも高峰先生が頑として譲らず、同席していた司くんにも休むことを勧められ、渋々頷いたのである。
そして今日、ようやっと練習へ復帰することになった。
「改めまして、匠先生のアシスタントコーチとして純さんのスケートをサポートさせていただく、明浦路司です!よろしくお願いします!」
「と、言う訳だ…今日からは俺だけじゃなくて、コイツも一緒にお前の練習見ていくから」
「はい、わかりました。よろしくね、司くん」
相変わらず太陽のような眩しいくらいの満面の笑みと熱量で挨拶をしてくれた司くん。僕は元々表情筋を動かすことはないが、司くんからの挨拶を無視するつもりもないため、大人だった時と同じような感覚で返した。それに対し、若干渋い顔をする高峰先生。
「おい、一応コーチとしているんだから、司にも先生をつけたらどうだ?」
「いえ、司くんは司くんです。いいよね?」
「え!?あー…まあ俺個人としてはいいけど、大会とか他の人の前では先生をつけてね」
「善処するよ」
正直、司くんを先生呼びするのは違和感が強い。だから意見を押し通すためにも、少し声に圧を入れた。司くんはそれに多少反応していたようだけれど、それとは関係なしに了承してもらえる気持ちはあったようだ。ただ公の場での礼儀として線引きをしっかりとしてくるのは、司くんらしいというか、自分の知っている司くんで間違いないのだな、と思わせてくれる。
「おい、お前な…そんなんじゃあ舐められるぞ。お前が思っている子どもと違って、コイツはかなり生意気というか、唯我独尊というか…」
「え!?でも、挨拶もしっかり返してくれてますし…それに、少し我儘なくらいは子どもらしい証拠ですよ」
「……少し我儘…ねぇ…?」
高峰先生は司くんの言葉に大きく眉間にシワを寄せ、何か言いたげな顔でこちらをジッと見てきた。まあ、高峰先生が言いたいことも今ならわかるが、正直司くんとの距離を縮めるためにも余計なことは言わないで欲しい。だから先手を打つように、先に言葉を発した。
「ねえ、司くん。司くんはアイスダンスの選手だったの?」
「ん?うん、そうだよ。だから俺はスケーティングの練習の時、匠先生のアシスタントしつつ、何か気づけたことがあったら…「いや、コイツを教えるときは、お前が主体でコーチングしてもらうつもりだ」……え!!??」
司くんはまるで初耳だというような驚愕の顔で高峰先生を見ていた。一方、高峰先生は何でもないことのように話を続ける。
「俺のアシスタントも勿論して貰うつもりだが、それはそれとして、一人くらい自分でしっかり受け持つ生徒も必要だろ。勿論、俺もサポートはする」
「いやいやいやいや!?そんな急に言われても純さんだって困るだろうし…「僕はそれでいいよ」えぇ!?」
「だって、高峰先生が僕のコーチに司くんをつけるってことは、それだけの実力か能力があるからでしょう?」
「……」
それまで大きなリアクションをして、高峰先生と僕を交互に見ていた司くんは急に苦しそうな顔をして黙った。その表情と反応でわかった。ああ、君は相変わらず自信がなくて、自分を卑下しているんだろうな、って。
「司、俺はできないと思っていたら、お前にコイツを任せていない」
「匠先生…でも自分は…」
「いいか、司。今コイツに必要なのは優秀な経歴のある選手でも、況してやとんでもないジャンプを飛べる人間でもない。必要なのはお前みたいに強いリンクへの執念を知っていて、そして選手の勝ちたいっていう気持ちに共感でき、それでいて大人として選手に寄り添える…そんな人間だ」
「…………」
「自信がないのは百も承知、とりあえずやってみろ。それで何かあるようなら、また考える……頼めるか?」
「……俺は……」
高峰先生が司くんへ期待していること、伝えたいことはわかる。それこそ、この先の未来で自分が渇望し、経験したことのない感情が芽生えるほどに欲した物(ヒト)だから…。
高峰先生の言葉に俯き、どう返事をするべきなのか返答に苦しんでいる司くんの目の前に移動する。すると、司くんも靴先が見えたことでこちらに気づいたのか、恐る恐る顔を上げる。
「自信がないなら、僕を信じたらいいよ。僕は全ての大会で金メダルを獲るから」
「えぇ…凄い自信…」
「だから、司くんは何があっても僕の隣にいてよ。それだけでいいから」
本当に、それだけでいいんだ。君は側にいるだけで温かい。僕が何も求めなくても、与えなくても、僕の気持ちに…フィギュアスケート選手の夜鷹純じゃなくて、ただの夜鷹純にも寄り添ってくれるから。何も返さないつもりはないけど、君の見返りを求めない愛ぬくもりは、僕がずっと欲しかったものだ。他の誰でもない、君の…それを一番貰える場所がコーチと教え子なら、今はその地位を誰にも譲らない。
無意識に込められた眼光の強さに、本人は気づかない。込められた意志の強さを、その心からの渇望を感じ取れたのは、向けられている当人と側で成り行きを見守っていた一人のみ。
「……わかった。俺が貴方のコーチを引き受けます」
「司……」
「うん、よろしくね。司くん」
「はい!でも、隣に居るだけの存在にはなりません。やるからには、俺も貴方がメダリストになる為に、全力でサポートします!」
司は夜鷹の目をしっかり見つめ、強い決意を持って答える。側にいた高峰は、司がコーチを引き受けてくれた少しばかりの嬉しさと、初めて見た夜鷹の強過ぎる執着のような目に、この二人を組ませて本当に大丈夫だろうか、という湧いてきた不安に顔を強張らせた。しかし、そんなコーチの杞憂を知らない当人たちは会話を進める。
「……僕は僕一人で、どこを改善すべきかわかるけど……」
「もしそうだとしても、俺がコーチとして何もしない理由にはならない。一人でわかるなら二人だと更に新しい発見が見つかるかもしれないし!それに、サポートは練習で教えることだけじゃないからね」
「……じゃあ、約束してね。絶対僕の隣に居続けるって」
「もちろん!貴方が俺を必要とする限り、俺は貴方を全力で助けるよ」
約束、そして交わした握手。司は何もわかっていない無垢な満面の笑みを、夜鷹は勝ち取った居場所と約束に微笑み、高峰は今まで見たことない夜鷹の笑みに絶句し天変地異を案じた。
そんなこんなで、世にも珍しいであろう異色の師弟が誕生したのである。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!