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「あのねぇ、有夏さん?」
幾ヶ瀬が口を開きかけるのを笑い声が遮った。
「正月早々また小言かよ、幾ヶ瀬」
飽きねぇな──と僅かな嘲りを含んだその調子に、幾ヶ瀬が意味なく眼鏡をかけ直す。
神経質そうなその仕草から、彼が苛立っていることが窺えよう。
「正月早々、掃除なんていいだろ」
有夏が実に気楽な様子で床に転がっているのは、いつもの光景だ。
ゲーム機を片手に、もう一方の手は袋菓子の中を探っている。
「お菓子はちゃんとテーブルの上に置いて! あと、汚れた手を服で拭かない!」
「待て待て。何だって? 手を服で……?」
「服でふくー」とおどけてキャッキャッと笑う、いい歳した男。
クイックルワイパーの柄をグッと握り締める幾ヶ瀬の額が引きつった。
その様を見て、さらに有夏が笑い声をあげる。
「有夏……」
「なに?」
「……Tシャツじゃなくジャージを着ているのは評価するよ。季節感は大事だよね」
「お、おぅ?」
予想外のコメントだったのだろう。
有夏が大きく目を見開く。
正月早々、服装をほめられたなんて喜んではいられない。
なぜならこれは高校ジャージだからだ。
「幾ヶ瀬、どした? ちょっとは正月気分を楽しみなよ」
口の中の菓子を飲みこみながら、有夏が今更ながらキャラメルコーンの袋を座卓に乗せた。
「新年早々、掃除なんていいだろ。年末に大掃除したんだし……」
「そうだね。31日は店も休みだったから、丸一日かけて家中きれいにしたもんね」
そう。狭いこの部屋も、キッチンも風呂場もトイレも完璧に磨かれている。
「うんうん」と頷く有夏。したり顔だ。
幾ヶ瀬の眼鏡がキラーンと光った。
こめかみに青筋がビシッと浮かぶ。
「大掃除のとき、有夏はこの家から逃亡していたけどね!」
「うっ……」
12月最終日、有夏は自分の部屋に戻って(お忘れかもしれないが、有夏の部屋は隣りにあるのだ)アマゾンのダンボールに埋もれて漫画を読んでいたのである。
それを今になって怒っているのだろうか?
いや、まさか!
賢明な幾ヶ瀬のこと。
有夏が手伝うなんて、そんなのとっくに諦めているだろうし、むしろいない方が邪魔が入らず仕事がはかどると分かっているはずだ。
「有夏が怒られるいわれはないな。うん」
しれっとした様子で結論づけた有夏は、再びゲーム機の画面に視線を落とす。
「あー、お腹すいてきたなぁ。何か食べたいな……うん、餅かな」
「はぁ?」
「幾ヶ瀬、餅3つね。有夏はきなこもちを食うとするか」
青筋がもう1本浮いたことに、有夏は気付いていない。
「……お餅なんてもうないよ?」
「えーっ、正月ったら餅じゃねぇの。ないならつけよ。今すぐ餅をつけ」
ようやく顔をあげた有夏、そのまま表情を凍り付かせる。
「な、何怒ってんだよ。正月そうそ……」
──そういうところだよっ!!
幾ヶ瀬、突然叫び出す。
有夏はヒッと悲鳴をあげた。
「いつまでもいつまでも正月気分で! 今日は何日だと思ってるの!」
「えっと……」
「今日はもう12日でしょ! いつまで寝正月してるの! いいかげん正月気分はお終いにして!!」
「えぇ……だってぇ」
有夏は身をすくませる。
幾ヶ瀬の額に浮いた青筋の数に、引いているのは明らかだ。
だって有夏は年中こんな生活だもん、なんて反抗したら幾ヶ瀬の額は血を噴き出してしまうに違いない。
強欲な店長(幾ヶ瀬・談)が初詣客を狙って店を開けたものだから、元日出勤を強いられた彼は今更ながら少々苛ついているようだった。
目の前でこうやってダラけられて、火に油を注いだか。
「……それはまぁ良いけどね。その代わり1月後半にまとまった休みをくれるって話だし」
「おぉ、よかったじゃねぇの。クリスマスも正月も休めなかったもんな。やり直したら?」
適当に口をついて出た案だが、それを聞いた途端、幾ヶ瀬の額から青筋が消えた。
やれやれと息をつく有夏。
幾ヶ瀬のやつ、急にブチ切れるから意味分かんねぇと、聞こえないように小さく呟く。
「成程。世間はそろそろ節分かって時に、俺と有夏はクリスマス。俺と有夏はお正月を満喫。うん、いいかも」
どうやら納得したようだ。
「あ、待てよ。そしたらもう一回大掃除もしなきゃな。今度は有夏も一緒にね!」
「そ、それはもういらねぇんじゃ……」
「何言ってんの! 大掃除しなきゃ年越した気にならないでしょ」
「うっ……」
ケーキ作ってクリスマスのご馳走作って買い出し行って大掃除しておせち作って……そういうプランでいいよねなんて、幾ヶ瀬は早速計画を立てている様子。
「このさい買っちゃおうかなぁ、餅つき機」
「おぅ、買え買え」
「有夏も手伝うんだよ」
「………………」
「何黙ってるの、有夏?」
「いやぁ……」
幾ヶ瀬は苦笑した。
手伝う気が皆無なのは分り切っている。
「ちょっと待って、有夏」
「ん?」
口元をほころばせた幾ヶ瀬が不意に有夏に顔を寄せる。
唇に柔らかな感触を覚え有夏が目を見開くと、目の前で幾ヶ瀬がニヤッと笑った。
「とりあえず初チュー……いや、1月12日の初チューってことで」
「なにそれ……」
現金なヤツだなと顔を顰めながらも、有夏の耳朶は赤く染まっていた。
「正月気分」完