聞けばくるみ、配達自体は十四時までには(パンが完売する形で)終わっていたらしいのだが、今日はその後、家の近くの畑で季節のパンに入れるサツマイモを掘らせてもらっていたらしい。
可愛い彼女から『掘ったイモの保管やら、泥だらけになった身体なんかをシャワーで清めたりしよったら、結構時間が経っちょって』と聞かされたら、年上の彼氏としては泣き言をこぼすなんて出来るわけないじゃないか。
『ホンマはうち、十八時までには実篤さんの所に来させてもろうちょくつもりじゃったのに。こっちから誘うちょって、ホントごめんなさいっ』
電話口、ガサッという音が聞こえて、どうやらくるみが頭を下げたらしいことが分かった。
「いや、マジで気にせんでええよ? だって芋掘りもパンの材料調達のためだったんじゃろ? っちゅーことは仕事の延長じゃん? 俺、全然気にしちょらんけん。……それより――」
そこでこちらの会話を耳をダンボにして聞いている様子の田岡と野田を振り返ってから、「俺、もう帰るけど二人はどうするん? まだおるん?」と問い掛けた。
途端くるみが電話の向こうで『え?』と言ってきて、「あー、違う。今のはうちの田岡さんと野田さんにね」と答えてから、再度二人を見遣った。
「木下さんのお顔見たら私らも帰りますよぉ〜? ね〜、野田さんっ」
「ね〜? 田岡さんっ」
机に置いたままにしていた鞄とコートを手にする田岡と野田を見て、(ホンマこの二人はっ!)と思った実篤だ。
「ふたりとも絶対面白がっちょるじゃろ」
ムスッとして言ったら、二人してクスクス笑いながら「だって面白いんじゃもん」と口を揃えて言ってきて。
実篤はくるみに「くるみちゃん、ここへ来たら見せ物にされるけん、そのまま車で待っちょって? 俺がそっち行くけぇ」と言わずにいはられなかった。
でも――。
『ごめんなさいっ。実篤さんっ。待ちきれんで来ちゃいましたぁ〜っ!』
電話口からそんな声が聞こえてきて、ブラインドが降りて外が見渡せないガラス戸の向こうから、コンコンとノックする音が聞こえてきた。
実篤は弾かれるように電源の切られた自動ドアに向かうと、ブラインドを半分ちょっと上げて、ドアの施錠を外す。
自動ドアのスイッチはオフのままなので、普通の引き戸のように手で両開きのドアの片側を押し開けると、ブラインドをくぐるようにヒョコッとくるみが顔を出して。
「くるみちゃんっ」
その屈託のない表情にほだされて、思わず声が出てしまった実篤だ。
「きゃー! 木下さんっ!?」
途端その声を聞きつけた田岡と野田がいそいそと走り寄って来て。
「こんばんは。お邪魔します」
ブラインドを、暖簾にするように手で押し上げながらくるみが事務所内に入ってくるのを、三人して固唾を呑んで見守る。
どんな格好をしているのかと皆が注目したくるみだったけれど、ロングコートに身を包んだ彼女は、パッと見何の変哲もない普通の服を着ているようにしか見えなくて。
強いて言えばいつもパンツルックに運動靴が多いくるみが、今日は黒いハイヒールを履いていることにちょっぴり違和感を感じる程度。
あとは配達時に制服のように身につけている三角巾とエプロンがないのも違うと言えば違うけれど、本当にそれだけ。
(もしかして仮装させられたん、俺だけ!?)
くるみの姿を見た瞬間、思わず心がざわ付いてしまった実篤だ。
田岡や野田も実篤同様に「おや?」と感じたのか、あからさまにがっかりした様子で肩を落とした。
そんな実篤ら三人を置き去りに、くるみが実篤をじっと見つめて。
「実篤さん、その格好、すごく素敵です。やっぱり私の見立ては間違うちょらんかったですね」
田岡らがいるからだろうか。
二人きりの時は「うち」と言う人称を、他所行きの「私」に変えて告げられた言葉に、実篤はそれだけではない違和感を覚える。
(くるみちゃん、……ひょっとして怒っちょる?)
そう感じたのは気のせいだろうか?
(ひょっとしてくるみちゃんが期待しちょったほど俺の格好が似合うちょらんかったとか……?)
それでガッカリさせてしまったんだろうか?
いつものくるみなら黄色い声をあげて「きゃー! 実篤さんっ!」となりそうだよな?と思ったら、段々不安になってくる。
「ほらっ! 遅くなっちゃいましたし、急ぎますよ?」
ソワソワする実篤をよそに、くるみが実篤の手をギュッと握って顔を見上げてきて。
不覚にもその可愛さにドキッとしてしまう。
くるみに「ほらほら」と急かされながら、(急がんといけんって……。何か時間に制限でもあるんじゃろうか?)と考えて、自分は何一つ今日の計画について知らされていないことに思い至った実篤だ。
「あ、あのっ、くるみちゃん、今日って――」
――何をする予定なん?と続けようとしたけれど、「話は後です。車、行きますよ?」と素っ気なく遮られてしまった。
「あー、あのっ。田岡さん、野田さん、悪いんじゃけど事務所の戸締り――」
最後に事務所を出る人間は、警備会社のセキュリティシステムを起動しなければならない。
田岡は微妙かもしれないが、ここに勤めて長い野田がいるからその辺も大丈夫じゃよな?と思う。
そう、思ってはみたけれど――。
くるみにグイグイ引っ張られながらも、実篤は咄嗟にあれこれ思いを巡らせて。
いや、やっぱしこんなんダメじゃろ!と立ち止まる。
「ちょっ、ちょっと待って、くるみちゃん! 俺、ちゃんとここの戸締りやらしてからでないと出られんけん!」
私用でそういうことを従業員任せにするのはやっぱり責任者として有り得んじゃろ、と思い直した実篤だ。
大抵のことはくるみの意見を通して流される実篤だけど、大人の男として日常業務をおろそかにするのはやはり良くないと思ってしまった。
「ご、ごめんなさい、うち――」
実篤の言葉に、くるみがシュン、として。
素が出てしまったんだろう。「うち」とつぶやく姿が、キュンとするぐらい弱々しく見えて守ってやりたくなった実篤だ。
「謝らんで? 俺も焦って強ぉ、言い過ぎた。――ごめん」
そんなやり取りをする二人を見て、野田が、「私らぁーが遅ぉまで残っちょったけ、ふたりに要らん気ぃ遣わせましたね」と言って、それに追従するように田岡も「ごめんなさい」と謝ってくれて。
「いや、そっちも謝らんで? ぶっちゃけ俺も一人でおるより気ぃ紛れたし」
と思わず労ってしまった実篤だ。
「もぉー! 社長のそういうところっ!」
途端、野田がビシッと自分を指差してきたから、実篤は何事かとびっくりしてしまった。
「そう言うのが私ら従業員を付け上がらせて揶揄われる原因になっちょるんですけぇね!? 自覚して下さい!」
言ってから、「けど――」と少し語気を緩める。
「けど――、社長のお顔に似合わず優しいところ、嫌いじゃないです」
田岡と顔を見合わせてクスクス笑い合う姿に、「顔に似合わずは余計じゃけぇ!」と、思わず突っ込まずにはいられなかった実篤だった。
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