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「一つ、条件があります」
宇津久芸能事務所の小さな会議室。
テーブルの上には三本の缶コーヒーと、付箋だらけのネタ帳。
寿司子は背筋を伸ばしたまま、猫田をまっすぐ見た。
「ネタは、全部自分で作らせてください。
アイドル物真似でも、作家さんには頼りません」
一瞬、空気が止まる。
猫田は眼鏡の奥から、寿司子を測るように見つめた。
「……寿司子。
自分が何を言っているかわかっている?」
声は静かだった。
「新人のネタが、
全国放送に通用すると思っているの?」
寿司子は小さく、しかし迷いなく頷いた。
「通用させたい、です」
猫田はわずかに息を吐く。
「新人の分際で、身の程知らずね」
厳しい言葉だったが、
感情をぶつけるような響きはなかった。
「下手をすれば、オファー自体が蹴られる。その責任は、あなたたちが背負うことになるわ」
それでも寿司子は、視線を逸らさない。
「それでも、やりたいです。
私たち……芸人ですから」
沈黙。
やがて猫田は、資料を静かに閉じた。
「……分かった」
立ち上がり、二人に背を向ける。
「無謀だとは思う。でも、自分で選んだなら止めないから」
少しだけ間を置いて、続けた。
「藤原さんには連絡しておく。
やるからには、応援するわ」
事務所を出たあと。
浅草の路地で、寿司子は足を止めた。
「……リコ」
「なんや?」
「このチャンス、なくなる可能性もあるけど……いい?」
リコは一瞬だけ驚いた顔をして、
すぐに口元を緩めた。
「そんで?」
「……それでも、一緒にやってくれる?」
リコは肩をすくめる。
「最初から覚悟してるで。寿司子がそう決めたなら、ええ」
「ありがとう」
「その代わり」
リコは歩き出しながら、振り返らずに言った。
「やるからには、中途半端は禁止やで」
──
数日後。
猫田は寿司子のネタ案を、藤原Pに送った。
――数時間後。
「……正気か、これ?」
構成作家が台本を見て、顔をしかめる。
「下手したら炎上どころか、業界出禁コースですよ」
重くなる空気の中で、
藤原Pだけが、ゆっくりと頷いた。
「面白いじゃない」
全員が顔を上げる。
「炎上対策はこっちで取る。
コンプラ伺いの笑いばかりの中で、
覚悟のある新人は嫌いじゃない」
収録まで、一ヶ月。
それまでのイナリズシは、
今までとは違っていた。
養成所で漫才の稽古を終えると、
そのままダンススタジオへ直行。
鏡の前で、ぎこちなく踊る寿司子。
「……なんか、ボケるより体力使う……」
「そらそうやろ!」
リコがツッコミながら、
振り付けを一緒に確認する。
ネタ合わせは深夜にずれ込み、
週末にはライブの仕事も増える。
二人のスケジュールは、
いつの間にか隙間がなくなっていた。
そして収録前日。
深夜の稽古場。
汗だくの寿司子は、ノートに赤ペンを入れながら呟く。
「……これで、いい」
それは、まだ成功でも失敗でもない。
ただ――
戻れない道に足を踏み入れた、
その実感だけが、静かに積もっていった。
──続く