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ヴァクトが帰ると、入れ替わるようにして次の患者である中年の女性が入ってきてテーブルの前に着席する。近所の顔馴染みなので気軽に話しかけてくる。
「私の前の貴族みたいな格好した患者さん、初めて見るけどランナちゃんの知り合いなの? 賑やかな声が聞こえてたから」
「いえ、初診です。王都から来たらしいです。では診察を始めますね」
ランナが女性の手を握ろうとして両手を伸ばした時、女性とランナの視線は同じ場所に注目した。ランナの左手の薬指の指輪だ。
「あら? ランナちゃん、その指輪は?」
「え、あ! 違うんです、これは患者さんが診察代にって……!」
ランナはようやく左手の薬指に指輪をはめる事の意味に気付いて顔を赤くする。慌てて指輪を外そうとするが、きつい訳でもないのに外れない。
「あれ? なんで……外れ……ない!!」
「うふふ、いいのよ、照れなくても。そうよね、ランナちゃんもお年頃だものね~」
「い、いえ! 本当に、違う……!」
どんなに力を入れても指輪の位置は全く動かない。指にくっついているのか、まるで体の一部のように同化して離れない。
この流れでは、ランナがヴァクトからプロポーズされて婚約したと勘違いされても仕方ない。もし本当に求婚だとしても急すぎて受け入れられない。
ランナの慌てようが照れ隠しだと勘違いした女性は詳しい話を聞き出そうと詰め寄る。
「それで、指輪をくれた相手は誰なの? 近所の人? 私の知ってる人かしら?」
「私も知らない人ですよ! 王都から来たヴァクト様という方で……」
その珍しい名前を聞いた女性が、ふと何かを思い出した様子で考えだした。
「ヴァクトって名前、どこかで聞いたような……そうよ、確か国王の名前もヴァクトだったわ」
「そうなんですか? まぁ同じ名前なんて、いくらでも……」
ランナは指から指輪を引き抜こうと必死になりながら答えている。この街の住民は国の政情どころか国王の名前すら馴染みがない。
モーメントの街はジョルノ国内ではあるが、森に囲まれた辺境の地にある。王都からも完全に隔離されて独立しているため、感覚としては異国に近い。
(だめ、抜けない! これ、呪いの指輪なの?)
呪いの類ならば聖女の能力で解く事は可能だが、ランナには薬を調合する能力くらいしかない。
(ヴァクト様、まさか意図的にこれを……? それとも呪いの指輪だとは知らずにくれたの?)
仕方なく指輪をはめたままの手で診察を続ける。しかし診察では患者の両手を握って生気を読み取るので、どうしても相手に指輪の存在に気付かれてしまう。
その日はずっと、ランナは患者に指輪の事を突っ込まれる事となった。
夕方5時を過ぎるとランナの診療時間は終わる。奥の部屋から姉のポーラが来て、リビングにいるランナとバトンタッチする。
「ランナ、お疲れ様。あら? その指輪……」
ポーラはランナの指輪を見て驚くというよりは、指輪に何かを感じ取った様子でいる。ランナは変な誤解をされないように説明する。
「貴族の患者さんからもらったの。呪いの指輪みたいで外せなくて……姉さんの力で解ける?」
「後でやってみるから私の仕事が終わるまで待ってて。何か異変が起きたらすぐに言ってね」
「うん。じゃあ姉さん、夜の仕事頑張って!」
ランナが奥の部屋へと入っていくと、ポーラから微笑みが消えてクールな薬師の顔になる。
昼から夜へと切り替わるこの時間、昼の明るさから夜の暗闇へと移り変わる。昼担当の陽気なランナと夜担当の冷静なポーラは、まさに昼と夜の象徴であった。
ポーラがテーブルに着席すると、夜の診療の最初の患者が入室してくる。黒髪の若い男性だが様子がおかしい。入り口のドアの横の壁に寄りかかり、胸を片手で押さえて息を切らしている。
急患だと思ったポーラは席を立って駆け寄っていく。
「大丈夫ですか? どこか具合が……」
ポーラが顔色を確かめようとして覗き込むと、伏せていた男性の顔が一気に上がる。ポーラの金色の瞳に重なったのは、真っ赤な色素に染まった悪魔の瞳。
人とは思えない瞳に慄いたポーラが咄嗟に離れようとするが、男がポーラの両肩を掴んで強引に壁に押し付けた。
「貴様か……オレを殺そうとした薬師は……!」
「え……うっ!?」
言葉を発するよりも早く、男がポーラの首を両手で締め上げる。しかし男の方も苦しそうで本来の力を出せないのか、次第に手の力が弱まる。
その隙にポーラは男の手から逃れて距離を取る。その拍子に後方の椅子にぶつかって、大きな音を立てて椅子が床に倒れる。
「あなたは何者ですかっ……!!」
いつも冷静なポーラが息を切らしながら声を荒らげる。対する男は、苦しさに耐えられなくなったのか膝を折って床に両膝をつく。
ポーラは恐る恐る男に近付いて再び男の顔色を確かめる。
年齢は20代前半くらいだろうか。上質な黒いマントを纏っていて、身なりからして貴族だと思われる。いや、今は服装よりも容体が気になる。
「ご気分が悪いのですか? どこか痛いのですか?」
ポーラは優しく静かな口調で男に問いかける。ポーラは何よりもまず男の診察を優先した。それほどに男の顔色が良くない。
ポーラの長い黒髪と月のような金色の瞳は、まるで月夜。夜の闇と静寂に取り込まれるようにして男の赤い瞳の炎が落ち着きを取り戻す。
「貴様……オレに何の薬を渡した……」
顔を歪めて鋭く睨む赤い瞳は、苦痛によるものではなく憎悪の色に満ちている。しかしポーラは先ほどからこの男の言う事が全く理解できない。
ポーラはこの男に見覚えがなく初対面。診察した事もないし薬を渡した事もない。彼は混乱して記憶が混濁しているのかもしれない。
だからこそポーラは落ち着いてゆっくりと語りかける。
「お昼に来た患者さんですか? 昼の診察は妹のランナで、私は姉のポーラです」
金髪のランナと黒髪のポーラは姉妹だが外見は似ていない。それなのに、この男はランナとポーラの区別ができていない様子なのが不思議だった。
その時、奥の部屋にいたランナが診察室に入ってきた。
「姉さん、なんか大きな音がしたけど大丈夫?」
広くはない診察室という名のリビングを見たランナが注目したのは、床に倒れている椅子ではない。床に膝をついて頭を垂れている黒髪の男性の方だった。
薬師としての本能が真っ先に働いたランナは、ポーラではなく男性の方に駆け寄る。
「どうしたのですか!? どこか具合が……」
男が少し顔を上げて視線を向けられたランナは、憎悪に満ちて歪んだ赤い瞳に息を呑む。それに初対面のはずなのに彼の瞳に見覚えがある。
(この赤い瞳は……ヴァクト様と同じ?)
赤い瞳の人なんて、そういない。少なくともランナが見たのはヴァクトが初めてだった。という事は血族かもしれないと瞬時に推測した。
その根拠は瞳の色と顔立ちしかない。この男性は黒髪で冷徹そうだが、ヴァクトは金髪で陽気だった。まるで正反対だが微かに似た生気を感じる。
背後にポーラが近寄ってきて、ランナの背中に向かって声をかける。
「ランナ、この方はあなたの患者さんなの? 昼に薬をもらったらしいわ」
「違う、初めて会う人だけど……もしかして、ヴァクト様のご兄弟ですか?」
ランナが問いかけると、男性は顔を歪めたまま僅かに口角を上げて笑った。その邪悪な微笑みに背筋が凍る。
「なるほど、昼の……ならば貴様がオレを殺そうとしたのだな」
「え? なんの事……」
「オレの名はヴァクト。ヨル・ヴァクトだ」
この男の名も『ヴァクト』であったが、それがファミリーネームならば当然の事。昼に来たヴァクトは『ヒル・ヴァクト』と名乗っていたし、見た感じ歳も同じくらい。
おそらくヒルとヨルのヴァクトは兄弟だとランナは思った。
「では、ヨル様。状況と容体を詳しく教えてください」
ランナは屈むと両膝を床につけてヨルと同じ目線になる。本来ならポーラが診察を担当する時間だが、事情を聞くためにランナがこのまま診察する。
ヨルは体調も気持ちの昂りも少し落ち着いたのか、顔の歪みが解けて表情が無になる。
「貴様が昼に渡した薬、あれは毒薬だろう? ずっと気分が悪い」
「ヒル様に渡した薬をヨル様が飲んだという事ですか?」
あれはヒルの生気に合わせて調合した魔法薬。他の人が飲めば毒になるとヒルに伝えたのに、なぜ誤ってヨルが飲んでしまったのかは分からない。
とは言っても風邪薬だし致死量の毒にはならないが、体内で拒絶反応を起こして具合が悪くなる。
魔法薬だから特別に危険なのではない。個人に合わせた薬を他人が飲むべきでないのは普通の薬でも同じ。
「事情は分かりました。では解毒のお薬を調合します。手を出してください」
ランナは両手を広げてヨルの前に差し出す。魔法薬を調合するには相手の手を握って生気の情報を読み取る必要がある。
差し出されたランナの左手の薬指にはキラリと光る金色の輪。一瞬の月光のような煌めきがヨルの赤い瞳に反射した。
「そうか、貴様が……クク、そういう事か」
ヨルはランナの手を取らずに立ち上がると、後方に立つポーラに向かってゆっくりと歩んでいく。ポーラは少し慄いて両手を胸の前で重ねて警戒する。
やがてポーラの正面にヨルが立つと、殺気立っていた先ほどとは違って穏やかな表情で口を開く。
「あの女は信用ならん。貴様が診察しろ」
「は、はい……では、お座りください」
なんとか平常心を保つポーラはテーブルに着席する。そしてヨルも正面の椅子に座ると、ポーラには素直に両手を差し出す。
その二人の様子を見たランナは胸騒ぎを感じたが、患者の希望なら従うしかない。本来はポーラが診察する時間帯なので、ランナは奥の自室に戻る事にした。