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5年後
僕は大学を卒業し晴れて社会人になった。なれないことも多いけど何とかやっていけてる。でもどこか心に穴が開いたように感じる。この穴の埋め方をニーチェもフロイトも書いていない。こんな歌どっかで聞いたことがある気がする。
「あんた、最近どう?」
「どうって、別に。ぼちぼちやっているよ。問題もいまのところないしね。」
「それなら良かったのだけど。そういえばあんたこの街を出ていく気はないの。」
動かしていた箸が止まる。
「え?そろそろ出てったほうがいい?もしかして迷惑?」
「いやそういうのじゃないの。別にいてもらう分には私はいいけど、あんたこの間の出張も断ったでしょ。仕事選びの時もこの町以外は候補になかったみたいだし。どうしてそんなにもこの街に執着するのかなって。もっと都会とかに行ったほうがいいんじゃない?」
「いや、ただこの街が好きだっていう理由じゃダメかな?」
「そうなの。ならいいんだけど、でもどうしても今のあんたは何かを待っているように思えてね。」
「はは、きのせいだよ。じゃあ母さん残りの仕事、方してくるから。」
「はい。がんばってね。」
自分の部屋へと戻る。何かを待っている、か。母さんはよく見てるな。自分でも自覚はないんだけど、きっとそうなんだと思う。あの日からまるで自分の中の時間は止まっているように感じて。流れる時間のスピードにちっとも追いつけそうにない。もう社会人だってのに。僕はあの日のままだ。
「考え事していても仕方がない。早速仕事に取り掛かろ、」
そうパソコンのキーボードに手を置いた時だった。
パンっ
家の外どこか遠くで破裂音がした。そっかもうそんな季節になったのか。家から1番近くでやる、花火大会。今年もその日がやってきたのだ。仕事に取り掛かろうとした手が止まった。
「花火。うっ。」
突然胸が苦しくなる。この音を聞くだけであの日の情景が思い起こされる。2人で眺めたあの景色。今でも鮮明に覚えている。思い出の中にはいつも笑っている君がいた。そうだ。もう、花火は居ないんだ。そう思うと涙が溢れて止まらない。君と過ごしたあの日々がもう二度と戻ってこない。きっと、どこかで君は生きているんだろう。でも会うことなんてできやしない。好きに生きて欲しい。そう言ってしまったから。僕の都合で会うなんて出来ない。
「はい。では今日は上がりますね。お疲れさまでした。」
「あーはいはい。お疲れ様。また明日も頼むよ。」
「はい。がんばります。」
帰宅ラッシュの満員電車に揺られながら僕は考えていた。いつもそうだ。帰りにはふと心がさみしくなってあの日を思い起こしてしまう。もう忘れたい。
「今日も疲れたな。あ、もう夕暮れか。」
ふと空を見上げる。
「今日も空がきれいだな。あ。」
空に一匹の鳥が飛んだ。何の鳥なのかは専門家でも何でもない僕にはわかりっこないけど、なんだか僕にはヨタカに見えた。きっと気のせいだとは思う。でもそう思えた。もし夜鷹になってこの空を自由に飛んでこの星さえも抜け出せたなら、君を見つけられるのだろうか。
駅からでて自転車置き場へと向かう。目の前には一人女性があるいている。あれ?どこかでみたことああるような?
そんなことを考えていると女性がポケットから何かを落とした。僕はそれを拾い上げようと腰を曲げ手を伸ばす。ハンカチだ。白を基調として花柄のワンポイントの刺繍がしてある。この花は、勿忘草だ。知っている。僕はこれを。ショッピングモールでふとよった雑貨屋さんに売っていたハンカチ。君に似合うと思って買ったんだ。一点ものかどうかは知らないけど、手作業でやっているものだから、数はそう多くないと思う。僕は見慣れたそれを手にとった。
「あの、すみません。これ落としましたよ?」
落としたことに気づいていなかった彼女は、こちらに振り返った。
「え、私ですか。すみません。ええと、」
「……え?」
「あ、そのハンカチ。すみません。拾ってもらって。」
そんなわけない。ありえない。こんなこと。まさか本当に?
君が手を指し伸ばす。僕はそこにハンカチを置いた。
「たすかりました。ありがとうございます。では失礼しますね。」
「あの!」
見間違いかもしれない。幻覚を見ているかもしれない。でも、それでも。
「そのハンカチ。珍しいデザインですね。勿忘草なんて。」
なにを言っているんだ。僕は。
「え?ああ。そうなんですね。これは家にあったものなんです。母親が言うにはとても大切な人がくれた宝物なんだって。私はおぼえていないんですけどね。」
君が苦笑を浮かべる。懐かしいな。
「名前、聞いてもいいですか?」
突然名前をたずねるなんて失礼に決まっている。でもどうしても確かめたかった。なんて思われてもいい。ただ君の名前だけは知りたかった。
「え?名前ですか?えっと、忽那花火です。」
僕はこの街で、君を、待っていたんだ。長い間ずっと。
「そうか。本当に。忽那花火なんだね。」
「あれ?私のこと知ってるんですか?何処かでお会いしたことでも?あ!もしかしてこの――」
「いや。いいんだ。なんでもない。」
言い切る前に言葉を遮る。その答えを僕は知っている。それでも言いたくない。君がまだここにいる。それだけで十分だ。
「あ、そうでした。今日のこと、私と出会ったその全てを、忘れてください。」
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