話は、冒頭から数時間前に遡る。
数ヶ月規模の長い任務が終わり、ちょっとした戦闘の跡が残る路地裏から離れて、彼らの行きつけの比較的表通りに近いバーに向かう際の一幕だった。
「あーもー疲れたー…ラヴ、背負ってけー。」
そう言い放つのは、この街の四大マフィアの一角に数えられる“Famiglia Di Stellato”に所属する殺し屋にして幹部候補生のオブシディアン・スフェ。赤い髪に翡翠色の瞳が映える、背の高い女性だ。
戦闘時は耳にかけていた前髪を下ろし、そのピリピリとした殺気を何処かに置いてきたかのようなぐーたらした雰囲気で、すぐ隣を歩く、白い髪に血のような赤い目を持った背の低い男性に軽くもたれかかっている。
最も、もたれかかられた側は、ため息をついて「自分で歩け」と言っているのだが。
彼の名はトパディシャン・ラヴ。スフェと同じく幹部候補生の殺し屋だ。
全身を真っ白な服で包んでいるが、先程までの戦闘の跡などは感じられない。かなりの実力者である証左だろう。
「いいだろ、別に…あ、俺あの紅茶飲みたい。自販機連れてって。」
「ちょおま、本当人使い荒いな…」
さて、こんな会話を繰り広げている二人だが。
この場には実は、もう一人分だけ人影があった。
その鳶色の頭がゆらりと揺れて、カッと鋭い目を見開く。
「お前ら…隙あらばいちゃこくんじゃねぇ!!俺ぁ今までボスに会うのガマンしてんだ、フザけんじゃねぇぞ!!!」
彼の名はルーカス、貧民街の出身のため姓は無い。特徴的な片側だけの三つ編みと赤いメッシュ、その上に丸サングラスを掛けて赤いシャツといった、一般人ならまずしないであろう服装だ。
とは言え彼もマフィアの殺し屋なので、あながちおかしな格好でもないのかもしれない。最も、この場に居る事から察しもつくかもしれないが。
「あ、なんだよ見せつけてんのか俺に?鉛ぶち込まれてぇみてぇだなぁお前ら揃ってさぁ!?!?!?」
「いや、ルーカスがボスに会えてないのは任務だから仕方ないだろ…」
「てかそもそもいちゃこいてるって前提が間違ってんだよな……」
スフェとラヴ、二人分の声が重なる。
そして、絶対零度のツッコミを受けて尚、年甲斐もなく地団駄を踏むルーカス。
「…何でこんなのが上司なんだか。あーあめんどくさい。」
スフェの指摘も尤もだ。
と言うのも、ルーカスはこんなんだが(一応は)幹部である。
つまり、名義上は彼らの上司という事になっているのだ。
しかし悲しいかな、彼はある種絶望的なまでに、上に立つという事に向いていない。部下には割と慕われる方なのだが、如何せん思慮が足らなすぎる。
現に今、(返り血こそほぼ掛かっていないとはいえ)明らかにカタギではない雰囲気の三人を遠巻きに見つめる野次馬や、それに巻き込まれないようそそくさと逃げる者が多数発生しているのだから。
「あ、おい!!てめぇら何見てやがんだあぁん!?見せモンじゃねぇんだぞ俺らは!!!!」
「一般人に絡むな。掟。」
野次馬に向けて、ルーカスが睨みを効かせる。その首根っこを思い切り掴み静止するスフェの、地の底から這い出るような低音にも一切たじろがないルーカスだが、ラヴにたった一言「ボスに報告するぞ」と告げられた途端、借りてきた猫…いや、この場合大型犬とでも言うべきか…か何かのように大人しくなった。
ありえないはずの尻尾と耳を幻視し、二人は揃ってため息を吐く。
「こいつ、もう一生ボスの側に置いときゃいいだろ…そうすりゃ、少なくとも俺はめんどくさくねぇ……」
ぶつくさと文句を言いながら、ポチポチと自販機をいじるラヴ。
カラン、と音がして、紅茶の缶が吐き出された。ぐい、とその蓋を捻りスフェに手渡す。満更でも無さそうに受け取りながら礼を言いつつ、「そもそも何で幹部がこんな殲滅任務なんてやってるんだか。」とスフェは溢した。
しかしそれを聞いた当の本人は、自信満々で「は?んな事したら手柄取られるだろうが!!」などと宣っている。
「何でそうなるんだよめんどくせぇ…」
「あ、お前さては馬鹿か?俺がやる任務を他の奴がやるって事だろうが!!」
うっわ、何言ってんのかちっとも分かんねぇ…とラヴが言おうとどこ吹く風、ルーカスは二人に断りもせずタバコに火をつける。むせかえりそうなほど濃い、ニコチンの匂いが狭い路地に立ち込めた。
思わずけほりと息を吐き出し、抗議の視線を浴びせるスフェ。しかし、全くそれに気づくことなくぷかぷかと紫煙を吐き出し続けるルーカス。
とうとう痺れを切らし「おい、こんな狭いとこでタバコを吸うな。匂いがつくからやめろ。」と言うラヴだが、「は?どうせちょっと歩いたらすぐ大通りだろうが。」という絶望的な返答を受けて頭を抱える。
それを聞くや否や、スフェが呆れた目でタバコを取り上げた。まだ長いそれをそのまま地面に落とし、ぐりぐりと踏みつけて消火する。
あまりの早技に残る二人が呆気に取られている隙に、タバコの箱もライターも手から掠め取ってスタスタと歩き出す。
「あ、おいこら何しやがるクソアマァ!!!」
「大通りまで出たら返す。ほーらさっさといくぞー。」
大体お前だって普段吸ってるだろうが!!というルーカスの喚き声を聞いてなお、手のひらの上でタバコの箱を弄ぶスフェ。
当然のように一直線に突っ込んで来て取り返そうとするルーカスもさっと躱す。
「ラヴー。ほいパス。」
「はいはい、っと。」
少し先を歩いているラヴに向けて掛け声と共に投げると、今度はルーカスがそちらに向かう。
飛び交うタバコ(高級品)とオイルライター(高級品)。見る者がみたら卒倒しかねない光景だが…
生憎と此処は治安の悪い貧民街、そんな人物がいる訳もなく。必然、邪魔する者も現れない。
そんなわけで、側から見れば子供のようなやりとりを続けながら、三人は大通りを進んでいく。
そうしてルーカスが気づく頃には、とっくにバーまで着いていた。
「はぁ、はぁ…おいてめぇら……いい加減返しやがれこのクソが!!!!そりゃボスからのプレゼントだぞ!!!!!」
「おう、返す返す。」
最後に持っていたのはラヴ。看板が目の前にあるのを確認するや否や、目的は達したとばかりにライターとタバコを手渡した。
「馬鹿は扱いやすくて良いな。」
「あー、同感。」
囁き交わす二人だが、ルーカスの耳には入っていない。
先ほどまでの不機嫌など何処へやら、バーの扉を開け放ち椅子に着くと、「おい、いつものワイン出せ!」と老年の店主に叫んでいるからだ。
店主の方も慣れた手つきで、目玉が飛び出るような金額のワインをグラスに注いで出す。
よく冷えたそれを嚥下する音が響く中、店主は二人に静かに注文を問うた。
「あ、俺は適当にショートおねがーい。」
「んじゃ俺はロング、オススメを頼む。」
一瞬でグラスを干して追加を要求するルーカスを呆れたように横目で見ながらスフェとラヴが注文すると、店主は「かしこまりました」、とだけ静かに応える。
カシャカシャというシェイク音が響く中、カクテルができるまでの暇を紛らわすように、あるいはたった今ふと思い出したように、唐突にラヴが口を開く。
「そういやお前。さっきのライター、ボスから貰ったって言ってたよな。」
「あぁ、そうだぜ。羨ましいか?羨ましいだろ?なんたって、“誕生日プレゼント”、だからな!!!」
そう言ってポケットから出したライターをひらひらと見せびらかし、ケタケタとひとしきり笑った後、「ま、俺の本当の誕生日なんざ分かりゃしねぇんだけどさ!!」と先ほどまでと変わらない調子のまま付け加える。
聞きようによっては、思わず構えてしまいそうな発言だが…
結局の所、彼にとっては自らの生まれなどに何の価値も無く、ただただこの組織でボスに仕える事こそが存在理由なのだろう。
そんな雰囲気を感じ取ったのか、「確か、先代に拾われた日だっけ?」とスフェが訊ねると、ルーカスは当然だろと言外に匂わせるように微笑い、ライターをまたポケットにしまった。
「お待たせ致しました。スフェ様にはピンクレディ、ラヴ様にはジントニックをどうぞ。」
そんな会話が一区切りついた頃を狙ったかのように、邪魔にならない絶妙なタイミングで供されるカクテル。
カランとした軽い氷の音と共に老バーテンダーの粋な心遣いを味わって舌鼓を打つと、凛とした空気が辺りに流れる。
「あー、うま。…そーいや、なんかカクテル言葉みたいなのあったよな。これだと何?ラヴー、知ってる?」
「スフェのピンクレディは確か、『いつも美しく』じゃねぇか?んで俺のこっちは『強い意志』だ。」
なかなか洒落てんねー、とスフェが呟くと、お褒めに預かり光栄です、と頭を下げる老バーテンダー。
颯爽とした身のこなしで、ルーカスの追加オーダーのワインを取りに店の奥へと消えていった。
「さーて、偶にはゆっくり腰を落ち着けて話すとすっか。」
「は?俺ぁさっさと帰ってボスと……」
「それぐらい良いでしょ、ほーらワイン来た。まぁ、どーせルーカスは味分かってないし要らないかー。」
「そうだなぁ、いっそ俺たちで飲んじまうか。奢ってくれてありがとな。」
「あ、おいこら返しやがれ、この!」
夜はまだまだ始まったばかりで、時間なんていくらでもある。
それなら今はこの平和を、愉しむより他は無いだろう。
例えそれが、仮初の幻像だったとしても。
コメント
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1話の通知逃してたんですけど…とりあえずうちのラヴに通知をボコボコにさせにいかせました。(? お二人ともそっくりすぎる。なんかモチベ復活して来ました…明日いっぱいストーリー出さねば。 スフェさん気分屋だしなかなか自分でやらないし扱いがめんどくさいですからね…上手く描写してくれて感激です()