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「……吾妻先生すみません。もしよろしければ、希海が眠るまで傍に居ていただけませんか? 先生がいれば、きっと安心すると思うので」
「分かりました。希海くんが眠るまで傍にいますね」
昴の言葉に頷いた羽衣子はベッドの傍に腰を下ろすと、優しく希海の頭を撫でた。
「大丈夫だよ、希海くん。先生、ここにいるからね」
穏やかな声で語りかけながらポンポンと規則正しいリズムでお腹の辺りを優しくたたくと、羽衣子の声と手の温もりに安心したのか、希海の呼吸は次第に落ち着いていく。
「……せんせ……」
「うん、ここにいるよ」
呼び掛けに小さく応じながら暫くそれを続けていくと、すう、と静かな寝息が聞こえ始めた。
「……眠ったみたいですね」
小声で呟くと後ろから感心したような声が返ってくる。
「いやー、さすが保育士さんっすね。あんなにグズってたのに一発じゃないすか」
乙哉が感心したように腕を組むと、羽衣子は少し照れたように微笑んだ。
「慣れているだけですよ」
二人が小声でそんなやり取りをしていると、昴は静かに部屋を出て行き、少しして声が掛かる。
「吾妻先生、よろしければ、こちらへどうぞ」
「……ありがとうございます」
声を掛けられた羽衣子がリビングを覗くとダイニングテーブルにティーカップが三つ用意されていたので、羽衣子は丁寧に頭を下げながら乙哉と共に静かに寝室を後にした。
椅子に座り、カップを口元へ運んだ羽衣子が紅茶を一口含むと、ほっとするような温かさが口の中に広がり思わず顔が綻んだ。
「……美味しいです」
「それは良かったです」
短くそう答える昴の表情は先程よりもわずかに和らいでいるように見えた。
「いやー、マジで先生がずっとここに居てくれたら最高っすけどねぇ。ま、そういう訳にもいかないっすもんね」
軽い調子で何気無しにそう言った乙哉に、
「余計なことを言うな」
昴が容赦なくど突いた。
「いってぇ! 冗談っすよ、冗談!」
頭を押さえて抗議する乙哉を横目に、羽衣子は思わず苦笑する。
そんな和やかな空気が流れた、その時、不意に昴が自身のスマートフォンの着信音に反応して画面へ視線を落とした――瞬間、
「…………」
今しがたまでの穏やかな表情は消えて、冷たく張り詰めたものへと変わった。
「……少し失礼します」
そして短く告げると、昴はそのまま別の部屋へと向かって行く。
ドアが閉まる直前、羽衣子の目に映った昴の横顔は、
(……あ……)
あの夜に見た表情と同じだった。
リビングに残された羽衣子は、どこか落ち着かない気持ちのまま紅茶のカップを両手で包み込んだ。
(……京極さんって、やっぱり……)
先程の表情がどうしても頭から離れず、思い切って聞いてみようかと羽衣子は向かいにいる乙哉へ視線を向けた。
「あの、広瀬さん――」
そして羽衣子が口を開きかけたその時、寝室の方から再び泣き声が響いてきた。
「うぇ……っ、パパ……っ、せんせ……っ」
「あー……」
乙哉が頭を掻きながら顔を顰める。
「やべ、希海、目覚ましちまった……。先生、お願い出来ますか?」
「え? あ、はい……」
乙哉の問い掛けに反射的に頷いた羽衣子は慌てて寝室へ向うとベッドの上で希海は不安そうに泣いていた。
眠りが浅かったのか、再び気持ちが不安定になっているようだ。
「希海くん、大丈夫だよ」
そっと声をかけながら羽衣子は再び側に座る。
「先生、ここにいるからね」
優しく頭を撫でると、希海は涙を浮かべながらも少しずつ呼吸を落ち着かせていく。
そのまま羽衣子は何度も声を掛け続け、昴の電話が終わるまでの間ずっとあやしていた。
そして再び静かな寝息が聞こえ始めた頃、
「……すみません」
背後から小さく声が掛かり、羽衣子が振り返ると電話を終えた昴が申し訳なさそうな表情を浮かべて立っていた。
そこに先程の鋭い雰囲気は全く無い。
「また吾妻先生に頼ってしまって……」
「お気になさらないでください……さっきよりは落ち着いたみたいですし、もう大丈夫かと思います」
小声でやり取りを交わした羽衣子はそっと立ち上がり、寝室を後にする。
「今日は本当にありがとうございました」
「いえ、少しでもお役に立てたなら……」
「すっかり遅くなってしまって……送りますね。乙哉、希海のこと、頼むな」
「了解」
「え、でも――」
「せめて、それくらいはさせてください」
「……それじゃあ、お言葉に甘えて……」
昴の穏やかだが譲らない口調に羽衣子は小さく頷いた。
マンションを出て羽衣子の住むアパートまで車を走らせていく車内では、日々の希海の保育園での様子などを羽衣子から聞いた昴は時折笑顔を見せる。
それから三十分程経った頃、アパート前で車を降りた羽衣子は改めて頭を下げた。
「本当にありがとうございました」
「いえ、こちらこそ助かりました」
「希海くん、早く良くなると良いですね」
「ありがとうございます。では、失礼します」
「はい、お気をつけて」
短い言葉を交わした後、昴の車が静かに去っていくのを羽衣子は見送った。
それから自宅のアパートへと足を向けた羽衣子は集合ポストの前で立ち止まり、中を開けて確認すると数枚のダイレクトメールに混じって一通の封筒が目に入った。
手に取って見ると、そこには見覚えのある筆跡で宛名が書かれていて、裏返して送り主の名前を見た瞬間、羽衣子の指が僅かに震えていた。
「……え……」
手紙の差出人、それは――数年前から音信不通になっていた実の兄だった。
ポストの前で立ち尽くしたまま、羽衣子は暫く動けなかった。
「……お兄ちゃん……」
思わず漏れた声は驚きと戸惑いに満ちている。
羽衣子には五つ年上の兄がいる。
両親は羽衣子が五歳の頃に亡くなり、父方の叔父の元に引き取られた。
慣れない環境の中でも兄はずっと羽衣子の傍で守ってくれる存在だった。
けれど、高校を卒業して就職を機に叔父の家を出た兄は変わってしまう。
一年も経たないうちに会社を辞めて戻って来たものの何をするでも無く一日中家に居て仕事を探す素振りすら見せない。
そんな兄に対して叔父は厳しく叱責した。
それを鬱陶しく感じたのかそれから数日後、兄は黙って叔父宅を出て以降、音信不通になった。
#ワンナイトラブ
#御曹司
コメント
1件
わあ〜第4話もすごく良かった!😭💕 希海くんを寝かしつける羽衣子先生の優しさがもう…プロの技って感じで尊い…! 昴さんの「余計なことを言うな」で乙哉さんど突くのもツボったw 最後の兄からの手紙にはマジで鳥肌立ったよ…!音信不通だったのに突然って、何が書いてあるのか気になりすぎる…! 次話が待ち遠しいです🔥✨