土曜日。
学校が休みなのをいいことに、直里は朝からswitchでオンラインの対戦ゲームに興じていた。
しかし、いくらゲーム好きとはいえ、数時間も対戦を続けているとさすがに飽きてくる。
直里はコーヒーでも飲んで休憩しようと、リビングにやってきた。
すると、リビングのローテーブルに顔を伏せて動かない星良の姿が視界に入り、直里はギョッとして周りの仲間たちに目をやった。
「えっ? 何? なんで星良こんなとこで死んでんの?」
「こら、死んでるとか言わないの。今日は片頭痛がキツいらしくてね」
向かいのソファーで時彦と話をしていた希以が、星良の代わりに答える。
「ううぅ……」
星良は顔を伏せたまま苦しげな呻き声をもらす。
「だったら部屋で寝てりゃいいじゃん」
具合が悪いのならベッドで横になっていたほうが楽だろうに、何故リビングのテーブルで突っ伏しているのかと、直里は首を傾げる。
「もうすぐバイト行く時間だし……」
そう言う星良の声は、蚊の鳴くような弱々しいものだった。
よく見ると、星良は外出着で傍にはショルダーバッグが置いてあり、既に出かける準備を済ませているようだ。
「そんな状態でバイト?」
今の星良は、とても仕事が出来る状態には見えない。
「シフト入れちまってんだから、しゃーねーだろ……」
星良は体調が悪くてもバイトを休むのを嫌がるが、結局は無理が祟って悪化してしまい休まざるをえなくなる、というのがいつものパターンだ。そうなる前に休めと周りがいくら言っても、意地っ張りな星良はなかなか聞き入れない。
「痛み止めは?」
ダイニングの棚に置いてある救急箱に、鎮痛剤も入っていた記憶がある。
「もう飲んだ……、あんま効かねぇけど……」
星良は溜め息混じりに呟く。
「星良くん、新しい氷入れてきたよ」
陽出がキッチンから出てきて、氷嚢を星良に差し出した。
「ああ、ありがとな……」
星良は受け取った氷嚢を頭に当てながら、再び突っ伏してしまう。
しばらくはまた屍と化していた星良だったが、ふいに頭を上げたかと思うと、口を押さえてトイレに駆け込んでいった。
「うぅっ……、お゙え゙ぇぇっ……」
トイレから少し距離のあるリビングにまで、嘔吐する声が聞こえてくる。
「え? 頭痛いんじゃなかったの?」
「頭痛が酷いとああなるんだよ、星良は」
梅子が煙草を取り出しながら教えてくれたものの、軽い頭痛しか経験のない直里には、重度の頭痛が吐き気や嘔吐に繋がる感覚がいまいち理解できない。
それでも、今の星良の体調が相当悪いらしいことぐらい、説明されなくても伝わってくる。
「マジでバイト行くつもりなわけ? あれで?」
「私も休めってしつこく言ったさ。でも、人にうつる病気じゃないから大丈夫とか言って……。あの子、変に律儀なとこあるから。まあ、無理やりにでも止めるけど」
梅子は真顔で言い切った。入居者の中では最年長で古株の星良でも、管理人の梅子にだけは頭が上がらない。彼女が本気で一喝すれば、星良も大人しく引き下がるだろう。
――頭痛持ちだとは聞いてたけど、あんな酷いんだな……。
自分に何か出来ることはないかと思い、直里はスマホで片頭痛について検索し始めた。
「ぅえ゙っ、ゴホッ……、げぇッ……」
便器の前に膝を付いて吐き続けている星良に近付き、ポンと肩を叩いて呼びかける。
「星良」
「……んだよ」
星良は青ざめた顔を上げて、か細い声と共に直里を見た。
「手、貸して」
「?」
星良の手を取り、親指と人差し指の間あたりにある窪みを少し強めに押す。
「さっき調べたんだ。ここのツボを押すと頭痛に効くんだってさ」
調べた情報どおりに、ツボを五秒ほど押してはゆっくり離すのを何度か繰り返した。
「どうだ?」
「そんなすぐに効くかよ……。それに、ツボ押しなんてとっくの昔に試してるからな」
「そっかぁ……」
言われてみれば、慢性の頭痛持ちがネットですぐに出てくる程度の対策を知らないわけもなかった。
役に立てなくて、直里は少し肩を落とす。
「ぐ……っ、おえ゙ぇっ……、ううっ……」
もう胃の中に固形物はないらしく、星良はえずくたびに胃液と思しき液体を少量ずつ吐いている。
頭痛を和らげるのは無理でも、せめて背中をさすってやろうと直里が手を伸ばしかけたとき、
「う……、ぁ……」
星良の身体がぐらりと揺れた。
「星良!」
直里は倒れそうになった星良を慌てて抱き留めた。
「やべ……、なんかクラクラする……、ここまでひでぇの久しぶりかも……」
「こんなんでバイトなんて絶対ムリだって。休めよ、な?」
ようやく観念したのか、星良は小さく頷く。
直里はすぐさま星良を抱き上げて部屋まで運び、ベッドに寝かせた。そして、また吐きそうになったときのために、ゴミ箱をベッドの傍に置いておく。
「なんか俺にできることある?」
「……電気、消してくれるか……、暗いほうが落ち着く……」
ドアの横にあるスイッチを押し、言われたとおり照明を落とす。時間的に真っ暗とまではいかないが、部屋の中は薄暗くなった。
「これでいい?」
直里の問いかけに星良は黙って頷き、目を閉じた。
星良の具合が気がかりでゲームどころではなくなり、直里は自分の机の前の椅子に腰掛けた。ここからなら星良の姿がよく見える。
「うぅ……、う……」
頭痛のせいなのか、まだ昼前だからなのか、星良が眠りにつくことはなく、時折わずかに身をよじっては苦しげに呻いている。
――つらそうだな、星良……。
星良をただ見守るばかりで、何もしてやれない自分が歯がゆい。様々な効果を発揮する異能を行使できる直里でも、治癒系の術だけは専門外で碌に使えないのだ。
頻繁に体調を崩す星良と同室になってからは、自分が治癒能力者ならよかったのにと度々思わされる。
何気なくスマホに目をやると、もうすぐ昼食の時間だった。
「星良、昼飯はどうする? 食べられそう?」
「ムリ……」
消え入りそうな声で返事がかえってくる。
「なんか飲み物でも持ってこようか?」
「水、飲みたい……」
異能が水を操るハイドロキネシスだからというわけではないだろうが、星良はお茶やジュースよりも水を好んでよく飲む。そのため、フェリーチェの冷蔵庫には、常に星良の買い置きのミネラルウォーターが二~三本は入っている。
「OK、他には何かある?」
耳を澄ましてみても、今度は無言だった。
「じゃ、とりあえず水持ってくるから」
キッチンに向かう途中、リビングのテーブルの上に置きっぱなしになっている氷嚢が目に留まる。
「これも持ってくか」
手に取ってみると、中の氷はまだ完全には溶けきってはいなかった。
食事当番の時彦が昼食を調理中のキッチンに入り、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを一本取り出し、下段の冷凍室の氷を氷嚢に足す。
部屋に戻ってドアを開けようとしたとき、星良の声が聞こえた。ポツポツと聞き取れる言葉の内容から察するに、バイト先に連絡を入れているようだ。しばらくその場で待ち、声が途切れてから部屋に入る。
ちょうど通話を切ったところだったのか、星良は身体を起こして片手にスマホを持っていた。
「水、持ってきたぞ。あと、氷嚢も」
「ああ……、わりぃな……」
星良は直里が渡したペットボトルの水を少しだけ飲み、キャップを閉めて枕元に置くと、また身体を横たえる。
未だ顔色は青白く、表情も苦しげにしかめたままだ。
あまりにもつらそうで、直里は氷嚢を差し出すつもりが無意識のうちに星良の頭を撫でていた。
「……!」
いきなり触れられて驚いたのか、星良はビクッと身体を竦めた。
「あ、ゴメン、つい……」
いくら具合が悪くてもさすがに怒りだすかと思いきや、星良は無言で何やら思い巡らすような表情を見せた。
「……」
「あれ? 怒らないんだ」
怒る気力もないほどに弱っているのかと心配になり、間近に顔をのぞき込む。
すると、
「直里……、今の、もっかい……」
「え?」
今度は直里のほうが驚く番だった。まさか星良から撫でてほしいとねだってくるとは思ってもみなかった。
本当にいいのだろうかと戸惑いつつ、おずおずと星良の頭を撫で始める。星良は目を細め、黙って直里の手を受け入れている。
直里よりも柔くサラリとした髪質を手指に感じながら、ふと思い出したのは、いつだったか星良が腹を壊したときに直里が手を当てて温めたこと。それは直里が人より若干温度の高い手をしているから、その場の思いつきでそうしたのだが、ネットで調べた知識では確か片頭痛は冷やしたほうがいいはずだった。
「片頭痛って、あっためるんじゃなくて冷やしたほうが楽になるみたいだけど……、いいのか?」
「俺にはこっちのが効きそう……、なんでだろ……、ははっ……」
苦痛の色はそのままに、星良は力なく笑みを浮かべる。
直里のすることにすぐ苛立って腹を立てては怒鳴り散らしてばかりの星良とは別人のようで、普段とのギャップに鼓動が跳ね上がる。
「早く治るといいな、星良」
「ん……」
フェリーチェに来て星良と出会ったばかりの頃は、なんて嫌なヤツだと毛嫌いしていたはずだった。それが、しょっちゅう体調を崩しては弱った姿を晒す星良に驚いて慌てたり気を揉んだりしているうちに、いつしか星良に対して庇護欲が芽生え、放っておけなくなった。
星良の一挙手一投足が気になり観察していると、性格が悪いというよりただの神経質な意地っ張りだとわかり、六つも年上なのに可愛いとさえ思うようになってしまった。
――俺、やっぱ星良が好きだ……。
星良の頭を撫で続けながら、直里は星良への想いを再認識した。