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兄が生きて戻ったことを知った勇信たちは、みな呆然とテーブルを見つめていた。
「食欲もないし味もしない。でも少しは食べないとな」
「そうだな。がんばれ、全員」
勇信たちが黙って加工食品を食べはじめた。
兄を過去の人として胸の中にそっとしまおう。ようやくその覚悟を決めた矢先に、兄が生きて帰ってきた。とても食事を楽しむような精神状態ではない。
それでも5人の勇信は熱心に食べた。頭を一度整理するためのエネルギーを補給するように、全員が黙々と不味い料理を食べた。
食事を終えて水を飲んだ後、勇信たちが一斉に手を挙げた。
発言権を持つキャプテンが言った。
「ポジティブマン。すぐに沈思熟考にメッセージを送ってくれ。兄さんの顔色があまり良くなかったから、今日家に戻ったら主治医に診てもらうようにとな」
「オッケー。すぐ送っておく」
「あと、美憂ねえさんには俺から連絡しておく」
「ちょっと待て。それは兄さんが直接すればいいはずだ。こっちから連絡すれば、話がこじれそうな気がするが」
「あまのじゃくの意見が正しいと俺も思う。俺たちがとるべきは、沈黙を保つこと。この面倒な状況が解決するまで、とにかく目立たないことが重要だ」
「なら逆に連絡してみようか」
あまのじゃくは真剣な表情で言った。
「またどうした? 何か意図があるのか」
「目立たないことが重要とか言うから、むしろ連絡したくなってきたんだ……くそっ、何なんだ俺は」
「睡眠薬でもやろうか? 一年ほど起きない強力なやつを」
「やめろ、ジョー。ある意味、あまのじゃくは貴重な俺だ」
「まぁ、そうだな。時々こいつが出す反対意見のおかげで、考えがまとまることがある」
「よし、じゃ整理する」
キャプテンが立ち上がった。
「今から俺はオフィスで通常業務をこなす。ジョーは外に出てジョギングをした後、食料品などの必需品を購入。あまのじゃくは皿洗いと掃除だ。ポジティブマンはこれまで通り、俺たちの身を隠すための不動産をチェック。あとシェフ……何がしたい?」
「みそ汁」
「頼んだ」
そのとき3台の携帯と3台のタブレット。そして2台のノートパソコンが同時にメッセージを受信した。沈思熟考からだった。
[電話をつないでおくのを忘れていた。今副会長室に向かっている」
[わかった。絶対に電話が切れないようにしてくれよ]
――常務、本当によかったですね。
――もう嬉しくて嬉しくて。これで常務もぐっすりとお休みになれますね。
社員たちが続々と沈思熟考に声をかけている。
――吾妻常務、どういったご用件でしょうか。
太く冷たい声が聞こえた。
榊原秘書室長の声だ。
いつも冷静沈着、感情を一切表に出さない機械人間。常に徹底した仕事っぷりであり、ミスをしないことで社内では有名だ。
――副会長と面会したい。
――副会長は現在緊急の業務を行っておられます。予約なく面会はできません。
――[生きて帰ってきたばかりなのに予約なんてとれるわけありません。機械のような回答は不要なので、すぐにドアを開けてください。
――副会長の指示です。予約なく面会はできません。
――わかりました。では家族が会いたがっていると伝えてください。生きて帰った兄に会いに弟が訪ねてきた。そのことにまで榊原さんが介入するわけにはいきませんよね。
――家族も同様であると、副会長からお達しが出ています。お会いになれません。
ふぅ……。
電話越しにも、沈着熟考のため息が聞こえた。
「榊原の鉄仮面め。相変わらず面倒な」
携帯を見つめる勇太全員が一斉に舌打ちした。
「兄が生きて帰ってきた日まで機械状態とはな。奴の血管はガソリンが通ってるのか」
「なら血管ではなくガソリン管と呼ばなきゃだ」
「つくづく面倒な奴め」
多くの勇太が不平を漏らした。
「落ち着くんだ。榊原が言ったように、俺たちが知らない緊急案件があるかもしれない。少なくとも兄が生きているのを知れただけで十分だ。話す機会はいつだってあるさ」
キャプテンは沈思熟考にメッセージを送った。
[一旦業務に戻ってくれ。兄が生きているだけで今日は十分だ]
副会長室を離れる沈思熟考の革靴の音が聞こえる。
「みな、興奮しているのはわかっている。それでもやるべきことを続けよう。副会長就任後に予定していた業務をすべてキャンセルしなければならない。
沈思熟考の革靴の音がとまった。
――常務……。
――魚井秘書? どうして泣いてるんだ。ちょっと部屋で話そう」
ふたりが執務室に入ると、活気あるオフィスの賑わいが消えた。
――常務。本当に良かったです。これ嘘じゃなくて、本当なんですよね? 副会長は本当に生きていたんですよね?
――俺も混乱しているところさ。まだ直接会って話してないから詳細はわからないが、少なくともこの目ではっきりと実物を見た」
魚井玲奈は何も言わず、泣き声を漏らしている。
――ただ魚井秘書。どうしてそんなに泣いてるんだ?
――私にだって、心はありますよ。会議などで副会長にお会いしたとき、とても思いやりがあっていつも感謝してたんです。
――魚井秘書がそんな風に泣くから、ようやく俺も実感がわいてきた。
――常務も好きなだけ泣いていいんですよ。私の口は情報漏洩をしないよう特殊加工されているのをご存知なはずです。なぜなら――。
――玲奈。そこまでにしておこう。早速漏洩しかけてるぞ。
――はい、承知しました。じゃ私はトイレに逃げ込んで化粧を直してきます。ぐすん……。
魚井玲奈が扉を閉めると、沈思熟考は限りなく長い沈黙のなかに戻った。