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その霧は、最初はただの霧に見えた。
白く。
静かで。
どこか甘い香りがする霧。
「……変だな」
ピザガイが足を止める。
廃墟となったショッピングモールの駐車場。
本来ならゾンビの唸り声や、遠くの銃声が聞こえるはずだった。
なのに。
今日は妙に静かだった。
「ピザガイ?」
隣を歩いていたエリオットの声も、どこか遠い。
まるで水の中から聞こえてくるみたいだった。
⸻
次の瞬間。
世界が変わった。
⸻
「エリオット!注文入ったぞ!」
聞き慣れた声。
店長の声だった。
エリオットは反射的に振り向く。
Builder Brother’s Pizza。
そこにあった。
見慣れた店が。
壊れていない窓。
清潔なカウンター。
焼きたてのピザの香り。
昼時の賑やかな客の声。
全部。
全部そのままだった。
⸻
「え……?」
エリオットは呆然と立ち尽くす。
終わったはずの世界。
失われたはずの日常。
それが目の前にある。
「何ぼーっとしてるんだ」
後ろから肩を叩かれる。
振り向く。
ピザガイだった。
赤い制服。
綺麗な銀髪。
怪我ひとつない姿。
ショットガンも傷跡もない。
昔のままのピザガイ。
⸻
「ピザガイ……」
「なんだ」
「僕たち……」
「忙しいんだから早く働け」
ぶっきらぼうな返事。
懐かしい。
あまりにも懐かしい。
⸻
エリオットの胸が締め付けられる。
ああ。
そうだ。
これが本当だった。
世界なんて終わっていない。
ルナティックなんていない。
ゆゆゆゆ
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ゆゆゆゆ
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ゾンビなんていない。
あれは全部悪い夢だったんだ。
きっと。
そうに違いない。
⸻
「エリオット」
「ん?」
「注文」
ピザガイがトレイを差し出す。
そこには出来立てのピザが乗っていた。
湯気を立てる黄金色の生地。
とろけるチーズ。
そして。
その上には。
パイナップル。
⸻
「……」
エリオットが固まる。
だが違和感は一瞬だった。
幸福な空気が思考を鈍らせる。
別にいいじゃないか。
こんな平和な世界なら。
細かいことなんて。
⸻
「ハワイアンピザだ」
店長が笑う。
「人気商品だからな!」
客たちも笑っている。
幸せそうに。
誰も疑問を抱いていない。
⸻
エリオットは笑おうとした。
その時だった。
隣で。
ピザガイが動かなくなった。
⸻
「……違う」
低い声。
聞いたことがないほど冷たい声だった。
「ピザガイ?」
「違う」
黒い瞳が細くなる。
何かを睨みつけるように。
⸻
「おかしい」
「何が?」
「全部だ」
エリオットは首を傾げる。
何がおかしいのか分からない。
ここは幸せだ。
平和だ。
何も問題はない。
⸻
だが。
ピザガイは一歩前に出る。
そして。
震えるほど静かな声で言った。
⸻
「エリオット」
「うん?」
「お前がピザにパイナップルを載せるわけがない」
⸻
沈黙。
⸻
エリオットの笑顔が固まる。
店の空気が止まる。
客たちの動きも。
時計の針も。
⸻
「……え?」
「毎回文句を言う」
ピザガイは続けた。
「パイナップルは果物だから駄目だと」
「チーズに謝れと言う」
「三日に一回は論争になる」
「店長が止める」
「俺が巻き込まれる」
⸻
エリオットの瞳が揺れる。
記憶が蘇る。
確かにそうだ。
何度もやった。
何度も。
何度も。
⸻
「なのに」
ピザガイは周囲を見回した。
「お前が平然とハワイアンピザを作ってる」
「そんなわけがない」
⸻
バキッ。
何かが割れる音。
⸻
店の天井に亀裂が走る。
客の笑顔が崩れる。
店長の顔が歪む。
世界そのものがひび割れていく。
⸻
「ピザガイ……」
エリオットが呟く。
思い出した。
全部。
世界は終わった。
ルナティックはいる。
この店はもうない。
⸻
「帰るぞ」
ピザガイが言う。
「……うん」
⸻
その瞬間。
幻覚世界が砕け散った。
⸻
轟音。
白い霧。
腐臭。
崩壊した駐車場。
目の前には巨大なルナティック。
精神汚染の霧を吐き出している異形。
⸻
「現実は最悪だな」
ピザガイがショットガンを構える。
「そうだね」
エリオットもライフルを握る。
だが。
その顔には笑みがあった。
⸻
「でもさ」
「なんだ」
「嬉しかった」
「何がだ」
「僕のこと、そんなに見てたんだなって」
⸻
ピザガイが固まる。
ほんの一瞬。
本当に一瞬だけ。
⸻
「……うるさい」
「照れてる?」
「殺すぞ」
「ルナティックを?」
「お前をだ」
⸻
エリオットは声を上げて笑った。
その笑い声は、崩壊した世界の中でも不思議と明るかった。
そして二人は背中を並べる。
幻ではない。
現実だ。
血と硝煙と死に満ちた世界。
それでも。
隣にいる相手だけは本物だった。