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「あら、貴方。どうしたの?」
声が聞こえた方に顔を向けるが、ただバラ園が広がっているだけだった。
「どこ見てるのよ。ここよ、ここ」
目の前から声がする。視野を広げると、足元に一輪の赤いバラが佇んでいた。
壮大に広がるバラはすべて、白く、純白の花びらを広げ、ドレスのように咲き誇っている。
けれど、このバラだけは深紅で花を咲かせていない蕾の状態だった。
「初めまして、お嬢さん。私はローズよ」
目の前の赤いバラから、清楚な女性の声が聞こえてくる。
まるで貴婦人の女性が話しているみたいだ。
「そんなに悲しいお顔だと、もったいないわよ」
ローズと名乗るバラは、茎を腕のように伸ばし、艶のある葉で私の頬を撫でる。
そこで初めて自分が涙を流していることに気が付いた。
「失恋でもしたのかしら?」
「失恋?」
「ええ、乙女が涙する理由の大半はそれだといっても、過言ではないわ」
その言葉にどこか胸の奥がチクりと痛む。
「あなた、私と恋バナしていかない?」
「どうして?」
「私が恋バナを好きだからに決まってるじゃない」
ローズは、風で揺れる花のように、全身を動かす。
楽しんでいる様子が、本物の人間みたいだった。
「ああ、でも、貴方の恋バナは聞かないでおくわ」
言葉とともに夜風が、私を掠めていく。
それが冷たくて、頬に残る涙の跡を浮き彫りにする。
「誰も触れられて欲しくないときがあるのは、当然ですもの」
ローズと茎と葉を人間の腕のように使い、傍へ手招きする。
私は促されるまま、隣へ腰を下ろす。
「私、好きな人がいるのよ」
そんな一言から赤いバラの恋バナが始まった。
白い花園の隅。
ローズのおかげで、私は月明かりの下で心の痛みを忘れていた。
話によると、ローズは現在進行形で恋をしているらしい。
その人とは、今は縁が切れてしまっているらしいが、再びそれを繋ぐためにここに会いに来ているようだ。
それも、自分のいた場所を捨てて会いに来ているのだとか。
「ちょっと、ちゃんと聞いてる?」
ローズと私は、見た目も人生も違うはずなのに、どこか似ている気がした。
大切に想う人がいるという点では、似た者同士なのかもしれない。
「うん、もちろん聞いてるよ!」
「そう。じゃあ、続けるわね」
あまりに生き生きと話すローズは、一人の恋する女性にしか思えなかった。
その存在が今は心強くて、一人で寂しい気持ちを埋めてくれていた。
「彼は、使命を背負っていたのよ。この世界の来訪者を導くためにね」
その言葉を聞いて思い出した。
来訪者とは、キリンさんの日記に記されていた言葉だ。
「この世界には、色んな来訪者が来たって話よ。まあ、私もその一人だったのよ」
「ええ、そうなの?」
「ええ、意外だった?」
私はその言葉から一つの可能性を思いつく。
すぐさま、ポケットから女性のカードを取り出す。
「なにかしら、それは」
「これはもらったの!この女の人も来訪者みたいなの!」
ロイからもらったカード。
キリンさんの日記を見たときに、この女性も来訪者と書かれていた。
私は、カードをローズへと渡す。
「この人はローズなの?」
ローズは、カードをじっと見つめていた。
しかし、すぐさま首を振る。
「いいえ、私じゃないと思うわ。証拠はないし、直感で申し訳ないけれど」
長い茎からカードを返される。
私の手に渡るその瞬間まで、ローズはその女性を見つめていた。
赤バラから真剣な眼差しを感じた。
「違うんだ?」
「ええ、違うと思うわ。女の勘だけれど。それに私、バラだから違うわよ。絶対」
「そっか」
言われてみると、会話が成立する花といえど、花は花でしかない。
あまりに人間らしい姿と雰囲気が、バラを花だと認識させていなかった。
カードの女性は、相変わらず安らかに眠ったままだった。
「それは誰から?」
「ロイって人からもらったの」
「ロイ……」
どこか懐かしむように呟かれた声。
「ロイを知ってるの?」
考え込むような沈黙が流れる。
ローズの閉じている花びらが、表情が、どこか憂いを帯びている気がした。
「いいえ。知らないわ。ちょっと聞き馴染みのある名前のような気がしたんだけれど、勘違いだったかもしれないわ」
それは、考えることをわざと辞めたように見えた。
言葉ではそう言いながらも、どこか探しているような、そんな表情に。
けれど、その諦めきれないような顔は、一瞬の瞬きで微笑みに塗り替えられた。
「それでさっきの続きだけど、来訪者として招かれた私は、彼に導かれて、その世界を去ったのよ。一度はね」
「んー?どういうこと?」
世界を去るというのはどういうことだろう。
今いるこの世界とは別に、他の場所があったということかな。
続きといいつつも、全く話が分からなくなってしまった。
ローズは、私の方へ向き直ると自分の顔を撫でる。
「見ての通り、私はまだ咲いていないの。だから、咲き切った私を見せるために、再びこの世界へ戻ってきたの」
ローズは自分の花弁を愛おしそうに撫で続ける。
その姿は、本物の恋する乙女さながらだった。
「ローズって、やっぱり花なの?」
「どういう意味かしら?」
私は先ほどから気になっていたことを口にする。
「ローズって話せるし、動くし、本物の女の人みたいに感じるよ?」
話す内容も仕草も、全て人間のように感じる。
それでいて、なぜバラの姿をしているのか。
この違和感がずっと、私の中でくすぶっていた。
「そうね。この世界では花のようね」
ローズの言っていることがよく分からない。
ここ以外の場所以外では、花ではなかったということだろうか。
言っていることは分かるが、謎の違和感と私の頭が、それを理解しようとしなかった。
「まあ、いいわ。説明すると長くなるし、そろそろ彼について話すわね?」
私の様子を見て、呆れたようにローズは言う。
私は頷き、再び話に耳を傾けていた。
ローズの言う彼は、背が高く、細身で優しいというキーワードで成り立っていた。
なんだか、キリンさんみたいだ。
その人は、時々何を考えているか分からない時があったり、悲しい表情をしたりするらしい。
「ねぇ、ローズ」
「なにかしら?」
「私の好きな人とローズの好きな人って、なんだか似てるね」
それを聞いたローズは、私の手を握り、嬉しそうに揺れていた。
「あら、それは素敵なことだわ」
途端、ローズの花びらが何かに向かって開いたのだった。
大きくて美しい、赤いドレスをまとったように先開くローズ。
花の開いた方向は、私の背後のようだった。
振り向くと、キリンさんの蝶が一匹こちらに向かって飛んできていた。
一直線にローズの方へ飛んでくると、花のローズへととまり、花の蜜を吸いだす。
あまりに一瞬の出来事だった。
けれど、その光景がやたらと私の目についた。
花の蜜をもらいに、迎えに来たようにも見えるキリンさんの一匹の蝶。
その蝶のために無防備に花開くバラ。
蝶も花も傍から離れず、二人だけの世界がそこにあった。
私を、部外者のようにしながら目の前で。
私は、走り出していた。
その光景から生まれた胸の苦しみを抱えながら、あてもなく走り出す。
ただ、その場から離れたかった。
バラと蝶を背に、一直線に駆けていく。
誰も、走り出す私を、引き止めてくれることはなかった。