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ら む ね _ @多忙
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くもねこ☁
303
#鬱
Ravi
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灰色の空が、どこまでも広がっていた。
太陽は見えない。
分厚い雲に覆われた空から、冷たい灰が静かに降り続いている。
かつて街だった場所には、もう建物と呼べるものはほとんど残っていなかった。
崩れた石壁。
砕けた道。
焼け焦げた瓦礫。
その隙間から、黒い煙が細く立ち上っている。
風が吹くたび、灰が舞う。
その景色の中に、一人の少年が立っていた。
背中には、光の羽。
白く輝く翼は、灰色の世界の中であまりにも異質だった。
少年は剣を握っている。
その刃にも、羽と同じ光が宿っていた。
周囲には、無数の影がある。
悪魔たち。
少年を取り囲むように立っていた悪魔たちは、すでに傷つき、動くことさえままならない。
少年はゆっくりと剣を構えた。
「悪魔は――」
声が出る。
それは自分に言い聞かせるための言葉だった。
「倒すべき存在」
教え込まれた言葉。
何度も聞いた言葉。
何度も繰り返してきた言葉。
天界で生まれたその日から、少年はそれを「正しいこと」だと教えられてきた。
悪魔は敵。
悪魔は脅威。
悪魔を倒すことは、天界を守ること。
天界を守ることは、世界を守ること。
だから。
「悪魔を倒すことは、正義だ」
少年は剣を振り上げた。
光が広がる。
次の瞬間、 周囲にいた悪魔たちの身体が、音もなく崩れた。
光に触れた部分から、塵へと変わっていく。
灰となり。
風に溶ける。
その光景を、少年は何度も見てきた。
だから、今さら何も感じないはずだった。
そう思っていた。
「……」
けれど、 剣を下ろそうとした、その時だった。
少年の視界の端で 何かが動いた。
「……?」
振り向く。
瓦礫の向こうに 一人だけ、 まだ動いている。
少年は反射的に剣を向けた。
そこにいたのは、一人の悪魔だった。
黒い髪が灰に汚れている。
衣服は破れ、身体には傷がある。
背中から伸びた黒い翼も、片方が大きく傷ついていた。
悪魔は瓦礫の上に膝をついていた。
逃げようとしているのか。
それとも、立ち上がろうとしているのか。
少年には分からなかった。
ただ、その手が震えていた。
「……」
少年は剣を構えたまま、動かなかった。
本来なら、迷う必要などない。
敵を見つけた。
ならば倒す。
それだけだ。
なのに、 今日は妙に身体が重かった。
長い戦闘だった。
何時間戦っていたのか、もう分からない。
何度も剣を振った。
何度も光を使った。
何度も同じ言葉を口にした。
――悪魔は倒すべき存在。
その言葉を繰り返すたびに、何かが少しずつ擦り減っていくような感覚があった。
疲れているだけだ。
少年はそう思った。
きっと、疲れている。
だから、こんなことを考える。
だから、剣を振るうのを躊躇っている。
だから――
「……早く、終わらせないと」
自分に言い聞かせる。
剣を握る手に力を込める。
その瞬間、 悪魔が顔を上げた。
目が合った。
少年の動きが止まった。
紫の瞳。
そこに映っているのは、恐怖だった。
当然だ。
目の前にいるのは、敵なのだから。
自分を殺そうとしている天使なのだから。
それなのに、 その瞳には、憎しみがなかった。
怒りもない。
ただ、疲れ果てていた。
「……」
悪魔は少年を見ていた。
いや、 正確には、少年の持つ剣を見ていた。
その剣が振り下ろされるのを、待っている。
少年は、ふと気づいた。
――この悪魔。
自分と同じくらいの歳なのではないか。
今まで、考えたこともなかった。
悪魔の年齢なんて。
悪魔が何歳なのか。
どんな生活をしているのか。
家族がいるのか。
何を食べて。
どこで眠って。
何を考えて生きているのか。
そんなことは、知る必要がないと思っていた。
「悪魔だから」
それだけで十分だった。
けれど、 目の前にいるのは。
「……」
少年だった。
自分と同じくらいの。
ただの少年。
そう思ってしまった瞬間、 胸の奥に奇妙な違和感が生まれた。
「……倒すべき、相手……だよな」
声が震えた。
誰かに聞いたわけではない。
自分自身に問いかけた。
返事はない。
少年は剣を握り直す。
手が震えている。
「……なんで」
こんなに疲れているんだ。
戦いに疲れたのか。
それとも、 もっと別の何かに。
少年は分からなかった。
ただ、 この悪魔を見ていると。
今まで倒してきた悪魔たちのことまで、急に思い出してしまった。
顔も知らない。
名前も知らない。
どんな声だったのかも覚えていない。
ただ「悪魔」と呼ばれ、 倒すべき敵として 消えていった。
――あれは、本当に。
全部。
「正しかったのか?」
胸の奥で、そんな疑問が生まれた。
少年はすぐに否定する。
違う。
正しい。
正しいに決まっている。
天界がそう言っている。
自分は天使だ。
天使は正義のために戦う。
それが、自分の役割だ。
そう思った。
思おうとした。
けれど。
目の前の悪魔は、 今にも消えてしまいそうだった。
そして、 少年の目を見ていた。
その瞳が、ほんの少しだけ揺れる。
悪魔の唇が動いた。
「……」
声が出ない。
何かを言おうとしている。
少年は無意識に耳を澄ませた。
「……たすけて」
小さな声だった。
風に消えてしまいそうなほど。
か細い声。
けれど、 確かに聞こえた。
「……」
少年の呼吸が止まる。
助けて。
その言葉を、少年は知っている。
天界の者なら、誰でも知っている。
けれど、 今まで 悪魔の口から聞いたことはなかった。
悪魔は、叫ぶものだと思っていた。
憎むものだと思っていた。
襲ってくるものだと思っていた。
だから、
「助けて」
なんて言葉を 悪魔が口にするなんて、 知らなかった。
少年の剣先が、わずかに下がる。
それでもまだ、完全には動けない。
助ける?
誰を?
この悪魔を?
敵を?
頭の中で、教えられてきた言葉が反響する。
――悪魔は敵。
――悪魔を倒せ。
――迷うな。
――正義のために。
「……」
少年は、悪魔を見る。
その瞬間、 ふと 思った。
この悪魔は。
「……綺麗だ」
口には出さなかった。
自分でも、なぜそんなことを思ったのか分からない。
傷ついているから。
弱っているから。
そんな理由ではない。
黒い髪。
灰に汚れた顔。
傷ついた黒い翼。
そして、 自分を見上げる、深い瞳。
その全部が、 この灰色の世界の中で、 不思議なくらい綺麗に見えた。
少年は息を呑んだ。
自分は今、 「悪魔」を見ているのではない。
一人の存在を見ている。
一人の少年を。
その事実に気づいた瞬間、 胸の奥で 何かが 決定的に壊れた。
「……俺は」
少年の口から、言葉が漏れる。
「何をしてるんだ……?」
答えは返ってこない。
悪魔はただ、少年を見ている。
助けを求める力すら残っていないのか。
もう一度、言葉を発することもない。
ただ 生きたい。
そう願う目だけが、そこにあった。
少年は剣を握ったまま、立ち尽くした。
守るべきものは、 天界の秩序なのか。
教えられた正義なのか。
それとも 今、自分の目の前にいる、 この小さな命なのか。
分からない。
分からないけれど。
一つだけ、 初めて分かったことがある。
自分は今まで 「正義」を守ってきた。
でも、 目の前の少年を見捨てることが 本当に「正しい」のか。
その答えだけは、 もう 誰かに教えてもらうことができなかった。
少年の白い翼が、灰色の空の下で揺れる。
そして、 握りしめた剣の先が ゆっくりと、 悪魔から逸れていった。
その瞬間、 少年の中で 何かが始まった。
まだ、それが何なのか 彼自身も知らない。
ただ、 この日を境に 彼が信じていた「正義」は、 もう二度と 以前と同じ形には戻らなかった。