テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第1章:無色の日常
朝、目が覚めた瞬間から、ハン・ユジンの「演技」は始まる。
宿舎の窓から差し込む光は、魔法庁によって管理された完璧なスペクトルを描いていた。ユジンはその光を浴びながら、ベッドの中で自分の右手のひらを見つめる。指先を動かし、意識を集中させ、体内の「魔力」を呼び起こそうと試みる。だが、結果はいつも同じだった。
指先にあるのは、ただの皮膚の感触と、冷めた血液の流れだけ。火花一つ、光の粒子一つさえ、彼の体から生まれることはない。
「……今日も、なしか」
小さく呟いた声は、空気に溶けて消えた。
この国において、魔法を使えないということは、単なる「無能」ではない。それは、世界を維持する調和を乱す『重罪』であり、存在そのものが法に対する反逆とみなされる。
「ユジン、いつまで寝てんだよ。遅れるぞ」
ドアを叩く音とともに、ゴヌクが顔をのぞかせた。彼は軽く指を鳴らす。それだけで、ユジンの足元に転がっていた靴下がふわりと浮き上がり、整然とクローゼットの中へ収まった。
日常に溶け込んだ、無造作な魔法。
ユジンは喉の奥にせり上がってくる吐き気を飲み込み、いつもの「無愛想だが優秀なマンネ」の仮面を被った。
「……今行く。ゴヌクヒョン、朝から魔法使いすぎ」
「はは、これくらい挨拶代わりだろ。お前だって、練習室入ったら凄いじゃん」
ゴヌクの悪気のない言葉が、鋭い針となってユジンの胸に刺さる。
ユジンは誰よりも早く練習室に行き、誰よりも遅くまで残る。それは努力家だからではない。他人の視線がない場所で、自分の「無力」を隠すための計算(カモフラージュ)を練習するためだった。
ZEROBASEONEというグループは、この魔法社会の象徴だった。
センターで踊るソン・ハンビンが腕を振れば、ステージには目も眩むような光の帯が走り、リッキーの指先からは凍てつくような冷気と、それを美しく飾る氷の薔薇が咲き乱れる。
ダンスの振り付けに合わせて、魔法を「発動」させる瞬間がある。
その時、ユジンは最新の注意を払う。隣のメンバーが放つ魔法の余光、あるいは照明の反射を利用して、あたかも自分が魔法を操っているかのように見せるのだ。
「おお!ユジン、今の『風』の切り裂き方、凄いねぇ!」
ダンスの合間、リーダーのハンビンが爽やかに笑い、ユジンの背中を叩く。
ユジンは「ありがとうございます」と微笑みながら、心の中で血を流していた。
今、ハンビンが褒めた『風』は、隣で踊っていたギュビンがこっそりと、ユジンの動きに合わせて放ってくれたものだ。
ユジンは、視線だけでギュビンを追った。
キム・ギュビン。
このグループで唯一、ユジンが「持たざる者」であることを知っている男。
ギュビンはメンバーと談笑しながらも、一瞬だけユジンと視線を合わせた。その瞳には、深い慈愛と、どこか狂気にも似た守護の意思が宿っている。
「……休憩!」
スタッフの声がかかると、メンバーたちは一斉に床に座り込んだ。
ソク・メテュとリッキーが、魔法で冷やした飲料水を浮かせて配り始める。キム・テレは喉を癒やすために、空気を震わせて小さな音の結界を作っている。
その賑やかな輪の中心で、ユジンは一人、孤独という檻の中にいた。
魔法が飛び交うこの空間は、彼にとって「毒」で満たされた部屋と同じだ。自分だけが呼吸を許されていないような、圧倒的な疎外感。
「ユジンチェ、こっちおいで」
ギュビンが、自然な動作でユジンの隣に座った。
彼は周囲に悟られない程度の小さな声で、耳元に囁く。
「……しんどいか」
「……大丈夫。慣れてる」
「無理すんな。後で、いつもの場所きて」
ギュビンの手首から、微かな黄金色の光が漏れた。
彼の魔法は『光』。
それは単に暗闇を照らすためのものではない。この世界の高名な魔導士たちは、ギュビンの魔法を「精神の治癒」と定義した。彼の光を浴びた者は、荒んだ心が穏やかになり、絶望の縁にいても生への希望を見出すという。
その圧倒的な「力」を持つギュビンが、なぜ魔法のない自分に執着するのか。ユジンにはそれが分からなかった。
深夜二時。
宿舎の屋上へと続く非常階段は、街の監視カメラ(魔法の眼)からも死角になっている。
重い鉄の扉を押し開けると、冷たい夜風がユジンの頬を叩いた。
「遅いよ、ユジン」
先に待っていたギュビンが、手すりに背中を預けて立っていた。
この場所だけが、二人の「本当の姿」が許される聖域だった。
「……ハンビニヒョンに見つかりそうになったんだ。忘れ物したとか言って、適当に誤魔化したけど」
「そっか。大変だったね」
ギュビンが歩み寄り、ユジンの細い体をそっと抱きしめた。
メンバーの前での、どこかおちゃらけた、あるいは頼りがいのある「キム・ギュビン」はそこにはいなかった。ユジンを見つめる目は、湿り気を帯び、縋るような熱を持っている。
「いいか、ユジン。俺が光を出している間だけは、お前も魔法を使っているのと同じだ。魔法庁のセンサーも、俺の光で上書きしてやるから」
「……ごめん。いつも、俺のせいで余計な魔力を使わせて」
「謝るなよ。俺は、お前のためにこの力があると思ってるんだ」
ギュビンが指先でユジンの顎を持ち上げ、ゆっくりと顔を近づける。
同性同士の愛。それもまた、この国の法律では禁じられた行為だ。
魔法を使えないという重罪。
男を愛するという禁忌。
ユジンは二つの大罪を背負いながら、ギュビンの唇を受け入れた。
ギュビンの体から溢れ出す黄金の光が、二人の周囲を包み込む。
その光は、ユジンの虚無感を埋めるように、細胞の一つ一つに染み渡っていく。
「俺……怖いんだ。いつか、全部バレるのが」
「バレさせない。もしバレたとしても、俺が世界を敵に回してお前を守る。ユジン、俺を信じろ。俺はお前のために、この光を最強にするって決めたんだ」
ギュビンの言葉は、甘い麻薬のようにユジンの心を溶かした。
ユジンは、自分に魔法がないことを、この瞬間だけは忘れられた。ギュビンの腕の中にいれば、自分もまた、この世界の住人であるかのような錯覚に陥ることができた。
だが、二人は知らなかった。
この時、階下の練習室のモニターには、通常ではあり得ないほどの「魔力の乱れ」が記録されていたことを。
そして、その数値を不審に思った魔法庁の調査員たちが、すでに動き始めていることを。
「ユジンチェ。俺が、お前を照らしてやるから」
ギュビンの声が、夜風にさらわれていく。
それは、これから始まる破滅への、静かな序曲に過ぎなかった。
コメント
1件
コンタクsありがとうございます🥲✨続き気になりすぎる…