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アメリカ合衆国バージニア州ラングレー。
CIA本部から数キロ離れた森の中に、地図には記載されていない無機質なコンクリートの施設が存在する。
通称『サイト・オメガ』。
かつて冷戦時代に核シェルターとして建設され、現在は国家安全保障局(NSA)と中央情報局(CIA)が合同で管理する、最高機密レベルの通信傍受・解析センターとして運用されている場所だ。
その最深部、地下10階にある『第7戦術情報室』。
分厚い防音扉の前に、一人の男が立っていた。
デイビッド・ミラー上級分析官。
40代半ば、元海兵隊の情報将校であり、中東での潜入任務や対テロ作戦の指揮経験を持つ。
現場とデスクワークの双方を知り尽くしたベテランだ。
だが、そんな彼でさえ、今日という日の緊張感は異常だった。
早朝、自宅に黒塗りの車が迎えに来たかと思えば、目隠しをされてこの施設に連行され、弁護士でも読み解くのに数日かかりそうな誓約書(NDA)にサインさせられたのだ。
『国家反逆罪』という単語が、契約書の至る所に散りばめられていた。
「……入れ」
インターホン越しに女性の声が響いた。
デイビッドは深呼吸をして、生体認証パネルに手をかざした。
重厚な油圧音が響き、扉が開く。
中は薄暗いオペレーションルームだった。
壁一面に巨大なスクリーンが設置され、その前には航空機のコックピットを思わせる複雑なコンソールデスクが鎮座している。
そして、そのデスクに腰掛け、脚を組んで彼を待っていたのは、CIA長官エレノア・バーンズ、その人だった。
「長官……!」
デイビッドは反射的に直立不動の姿勢を取った。
雲の上の存在である長官が、たった一人でここで待っていたことの意味。
それは、この部屋で行われることが、大統領直轄レベルの極秘事項であることを示していた。
「楽にして、ミラー分析官。
貴方をここに呼んだのは、他でもない。
貴方の能力と、これまでの忠誠心を高く評価してのことよ」
エレノアは立ち上がり、ゆっくりと彼に歩み寄った。
「貴方は選ばれました。
今日から貴方には、あるシステムの『オペレーター』になってもらいます」
「オペレーター……ですか?」
デイビッドは眉をひそめた。
彼の階級は現場指揮官クラスだ。
今更、端末を叩くオペレーターに降格ということか?
「不満そうね。
でも誤解しないで。
これは、ただのオペレーターじゃない。
神の視座に座る、唯一の人間よ」
エレノアはコンソールの電源を入れた。
ブォン、という重低音と共に、壁一面のスクリーンが光を放つ。
「これは……」
そこに映し出されたのは、見慣れたワシントンD.C.の地図だった。
だが、何かが違う。
通常の衛星写真や電子地図とは根本的に異なる、異様な質感を持っていた。
建物が半透明のワイヤーフレームで描かれ、その内部で無数の光の粒子が脈動している。
「日本から貸与された最新鋭の広域監視システム。
コードネーム『グラス・アイ(硝子の眼)』よ」
「日本から?
同盟国とはいえ、外国のシステムを中枢に?」
「ええ。
彼らが開発した『ナノマシン・レーダー網』です」
エレノアは、日下部から吹き込まれた嘘を、そのまま真実として語った。
彼女自身もそれを信じているし、部下に対しても、その説明が最も合理的だからだ。
「ナノマシン……?
まさか、SF映画のスマートダストですか?」
「その『まさか』よ。
日本政府は極秘裏に開発した自律型センサー・ナノマシンを、特殊な『ビーコン』と共に提供してきたわ。
現在、ワシントンD.C.の中心部にそのビーコンが設置され、周囲半径100キロメートルの空間に、不可視のナノマシンが充満している」
エレノアはコンソールを指差した。
「座って。
そして、操作してみて」
デイビッドは半信半疑のまま、革張りのシートに座った。
手元にはキーボードの他に、球体状のトラックボールと、複雑なダイヤルがついたコントローラーがある。
彼は恐る恐るトラックボールを動かした。
シュッ。
画面が滑らかに動いた。
遅延(ラグ)がない。
まるで、自分の眼球を動かしているかのような追従性だ。
「ズームインしてみて。
場所はどこでもいいわ。
例えば……ユニオン駅とか」
言われるがままに操作する。
視点が降下し、駅の巨大なドーム屋根に近づく。
そして――突き抜けた。
「なっ!?」
屋根を透過し、構内の雑踏が映し出された。
行き交う人々、ベンチに座る老人、売店の店員。
それらがサーモグラフィーとX線を合わせたような、高精細な3次元モデルとして描写されている。
「見えますか、ミラー捜査官。
これが日本の技術です。
壁も地下も夜闇も関係ない。
空間そのものをスキャンし、再構築しているのです」
「……馬鹿な。
これほどの解像度で?
衛星監視システム『キーホール』でも、新聞の文字までは読めませんが……」
デイビッドは、さらにズームした。
ベンチでスマートフォンを操作しているサラリーマンの手元。
画面の文字が読める。
メールの内容まで識別できる。
「……音声も聞けるわよ。
そこのフェーダーを上げて」
彼が震える手でつまみを上げると、ノイズ混じりの音がクリアになった。
『……だから言っただろ、あの株は売れって』
『でも、まだ上がると……』
電話の会話だ。
マイクなどないのに、空気の振動を拾っているのだ。
「こ、これは……」
デイビッドは戦慄した。
背筋に冷たい汗が流れる。
長年インテリジェンスの世界に身を置いてきた彼だからこそ、この技術の異常性が理解できる。
これは「監視」のレベルを超えている。
「全知」だ。
「凄いテクノロジーです……!
日本は、いつの間にこんな怪物を……」
「彼らは『医療用の副産物』だと言っているわ。
人体の中を見る技術を、都市に応用しただけだと」
エレノアは苦々しげに言った。
「対象エリアは、ワシントンD.C.だけじゃないわ。
ニューヨーク、そしてロサンゼルス。
この3都市の中心部に『ビーコン』が設置されたことで、それぞれ半径100キロメートル圏内をカバーしている」
彼女がメインメニューを操作すると、アメリカ全土の地図が表示され、3つの巨大な円が青く輝いた。
アメリカの政治、経済、そして文化の中心地。
その全てが、今このコンソールから覗き見ることができる。
「貴方の任務は、この『天からのカメラ』を使って、テロ計画者を捕まえることよ」
エレノアの声が厳しくなる。
「最近、国内で過激派の動きが活発化している。
従来の手法――通信傍受や、ヒューミント(人的諜報)――では尻尾を掴めないケースが増えているわ。
彼らはデジタルの痕跡を残さず、密室で会合を開き、アナログな手段で計画を進めている」
「ですが、このシステムがあれば……」
「ええ。
密室は、もう存在しない。
彼らが地下室で爆弾を作っていようと、森の中で密談していようと、全てお見通しよ」
エレノアはデイビッドの肩に手を置いた。
「貴方達には、この3都市を自由に見る権限を与えます。
裁判所の令状はいらない。
上司の許可もいらない。
怪しいと思ったら、即座にズームし、記録し、分析しなさい。
……法の番人ではなく、狩人になりなさい」
それはアメリカ合衆国憲法修正第4条(不当な捜索・押収の禁止)を、真っ向から否定する命令だった。
だが、この部屋に憲法は届かない。
「ただし」
エレノアは画面上の一角を指差した。
そこには黒いノイズのような「モザイク」がかかっているエリアがあった。
「制限事項があるわ。
マップ上には『マスキング』されたエリアが存在する」
「マスキング?」
「ええ。
例えば、ホワイトハウスの大統領執務室周辺。
ペンタゴンの作戦司令室。
そして……日本大使館と、その関連施設」
エレノアは少し顔をしかめた。
「これらの場所は、システム的にロックされていて、我々でも中を見ることはできない。
日本側が『技術保護』と『同盟国への配慮』という名目で設定したブラックボックスよ」
「……なるほど。
日本大使館は、見えないですか」
デイビッドは察した。
これは日本からの「借り物」なのだ。
首輪付きの番犬。
だが、その首輪を受け入れてでも、この力は魅力的すぎる。
「マスキングエリア以外は自由です。
一般市民の寝室だろうが、企業の会議室だろうが、全て貴方の監視下にある。
……その意味が分かるわね?」
「はい。
プライバシーの死ですね」
「そう。
でも、それによって救える命がある。
……頼んだわよ、ミラー捜査官。
この『硝子の迷宮』の中で、アメリカを脅かすネズミを一匹残らず駆除して頂戴」
エレノアはそう言い残し、部屋を出て行った。
重厚な扉が閉まり、電子ロックがかかる音が響く。
残されたデイビッドは、広大なスクリーンの前に一人、佇んでいた。
画面の中では、無数の人々が生活を営んでいる。
彼らは知らない。
今、頭上から自分たちの全てが見下ろされていることを。
「……神の視点か」
デイビッドは呟き、コンソールに向き直った。
彼はターゲットのリストを入力した。
テロ組織の支援者と目される、ある実業家の名前。
即座にシステムが反応し、ニューヨークのマンハッタンにある高級アパートの一室を表示した。
壁が透ける。
男が電話をしている。
その声が鮮明に聞こえてくる。
『……ああ、計画は順調だ。今夜、港の倉庫で……』
「……見つけた」
デイビッドの指が動く。
恐怖と同時に、抑えきれない高揚感が彼を包んでいた。
これは全能感だ。
誰にも知られず、誰の秘密でも暴くことができる力。
それは麻薬のように甘く、そして危険な味がした。
彼は知らなかった。
このシステム自体が日本――テラ・ノヴァにある日下部のモニターともリンクしており、彼が「誰を監視しているか」さえも日本側に筒抜けであることを。
彼は狩人になったつもりだが、実際には「日本の手のひら」という巨大な檻の中で飼われた、優秀な猟犬に過ぎなかったのだ。
◇
一方、日本。首相官邸地下。
日下部は手元のタブレットで、アメリカの稼働状況を確認し、満足げにコーヒーを啜った。
「起動しましたね。
アメリカのオペレーターも、真面目に働いてくれているようだ」
画面には、デイビッドがニューヨークのテロリストを追跡しているログが表示されている。
彼の操作履歴、注目したエリア、録音した音声。
その全てがバックドアを通じて、日本側にもリアルタイムで送信されていた。
「ギブアンドテイクですからね」
日下部は笑った。
アメリカが国内のテロリストを監視すればするほど、そのデータは日本にも蓄積される。
アメリカの治安維持活動が、そのまま日本のインテリジェンス資産になる仕組みだ。
「それに、彼らがこのシステムに依存すればするほど……もう手放せなくなる」
一度「全知の眼」を手に入れた人間は、盲目だった頃には戻れない。
アメリカは今後、このビーコンを維持するために、日本の要求――テラ・ノヴァ関連の無理難題――を呑まざるを得なくなるだろう。
「ビーコンを止めますよ?」という一言が、核ミサイル以上の脅しになるからだ。
「さて、次は中国か」
日下部は視線を、東シナ海の向こうへと向けた。
アメリカが落ちたなら、中国も時間の問題だ。
彼らの猜疑心と支配欲は、アメリカ以上だ。
「監視の甘い果実」を見せつければ、必ず食いついてくる。
硝子の迷宮は、確実に世界を飲み込み始めていた。
そして、その中心で日下部は静かに糸を引いていた。
胃薬の瓶を片手に、世界の管理者を演じながら。