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「車の鍵、出してもらえますか?」
言われてふと見ると、駐車場の私の愛車の前だった。
真っ赤ですごくよく目立つ軽自動車を、先日目の当たりにしたばかりの織田課長が記憶していらしても不思議ではない。
私の愛車は古い中古車だから、鍵を身につけていさえすればドアハンドルに触れただけで鍵が開いたり、エンジンをかける際、プッシュボタンひとつで始動するようなスマートキータイプではない。
ドアロックの開閉などはキーについたボタンで出来るリモコンキータイプだけれど、エンジンの始動には鍵穴に鍵をさし込んで回す必要があるイグニッションキー。
ドアロックを開けるにも、鍵を持っているだけでは解錠出来ないため、織田課長はキーを出すようにおっしゃったんだと思う。
車を見ただけでそういうのを一瞬で判断できるのって、この人はやっぱり男の人なんだなって思わされた。
ノロノロと、鞄の内ポケットから車同様真っ赤なハートのチャームがついたキーホールダー付きの鍵を取り出す。
「借りますよ?」
言って、力なく手にしたままのキーを私の手から抜き取ると、織田課長がキーロックを解除なさって。
ピッという音とともにウインカーがチカチカと2度規則的に点滅をした。
余りに女の子らしいデザインのキーを織田課長が手にしているのがすごく不思議で、涙に潤んだ視界でぼんやりとそのアンバランスな様を見つめる。
と、何故か助手席側のドアを開けられて、そこに座らされた私は、ついでのように頭にかけられていたジャケットを取り払われて。
気がつくと取り戻した上着を羽織り直した織田課長が運転席に乗り込んでいた。
それと同時、織田課長のスマートフォンがブルッと震えて。
どうやら何かメッセージが届いたらしいそれに視線を落とすと、一瞬眉根を寄せてから小さく吐息を落とす。
「駐車場に居座っていたら母が来るかもしれませんので移動しますね」
言うが早いか、エンジンが掛けられた。
「公道に出ますから、シートベルトをしてください」
チラリと視線を投げかけられた私は、それすら億劫に思えてなかなか反応することが出来なくて。
「自分でしないのでしたら、僕が覆い被さってすることになりますけど宜しいですか? その場合、不可抗力でキミがコンプレックスを抱いている胸に触れてしまうこともあるかもしれません」
「なっ!」
あまりの言い草に私は思わず瞳を見開いて。
でも、理由も語らず泣きじゃくる私に、いつもと変わらぬ口調で――何なら嫌味すら混じえながら――接してくださる織田課長が、何だかある意味有難く思えてくるのは気のせいかな。
私が慌てたようにシートベルトを掛けるのを確認なさってクスッと笑うと、織田課長が車を発進させる。
笑われたのはいただけないし、いちいち冷たく突き放すような物言いをなさるけれど、私がちゃんとベルトをするまで待っていてくださるとか、案外優しいところもあるんだなって思って。
そんな織田課長にご迷惑をおかけしていることに再度思い至って、ハッとする。
私は、さっきみたいにただがむしゃらに訳も分からず謝り続けるのではなく、具体的に何が気になっていて申し訳なく感じているのかを口に出すことにした。
「あ、あのっ、泣いてしまったのは本当に個人的な事なんです。わたくしごとに巻き込んでご迷惑をお掛けしてすみませんでした。……もう大丈夫なのでお母様のところへ」
きっと、母子でしっかり話し合って解決しないといけない問題が、私のせいで頓挫してしまっている。
なのに。
「カフェに戻れとおっしゃりたいのでしたら、冗談じゃありませんとお応えします」
溜め息まじりに即答されて、私はキョトンとした。
「でも――」
お見合い反故の話だって、きっとまだ葉月さんは納得しておられなかったんじゃないかと思う。
私を連れて織田課長が席を立たれた際、後ろから「待ちなさい、宗親さん。まだお話が……」という葉月さんの声が聞こえていたもの。
「僕はどうやってあの場から抜け出そうか、ずっと考えていたんです。キミには申し訳ありませんが、貴女が泣きながら席に戻ってきたのを見た時、正直僕には茶番を終わらせる、またとない好機にしか思えなかったんですよ」
ぼんやりと窺い見た織田課長の口元がニヤリと弧を描いたのが見えた気がして、私は少し肩の力を抜く。
だとしたら、私ひとりが負い目を感じる必要はない……の、かな?って思えたから。
「お役に立てたのでしたら光栄です……」
私が泣いていようがいなかろうがお構いなしと言った風情の、織田課長の淡々とした変わりない態度に、私は少しずつ自分が冷静さを取り戻していくのが分かった。
織田課長が人でなしのドS課長で良かった。
もしも物凄く優しい人で、「どうしたの?」って根掘り葉掘り聞かれていたら私、今もまだ大泣きしていたと思うもの。
***
「とりあえず僕の住むマンションが近いので、そこに向かってますけど。――異論はないですね?」
さっき、自分にも利点があったのだと言ったのと同じ口で、
〝泣きじゃくっていた貴女をあの場から連れ出してあげたんです。言うことを聞くのは当然ですよ?〟
織田課長は口には出さずとも、そんな恩着せがましさが垣間見える言い方をする。
そこがまた彼らしくて、思わず笑ってしまいそうになった。
込み上げそうになる笑みを懸命に押し殺しながら織田課長の提案に小さくうなずいたら、
「つい今し方までビービー泣いていた割に随分余裕ですね」
堪えきれず、口の端にほんのり浮かべてしまった笑みを目ざとく見つけられて、指摘されてしまう。
運転中のくせに、ホント器用な人。
「余裕なんかあるわけないじゃないですか」
私はそこで好み過ぎる織田課長の顔を見ないように気をつけながら、目一杯虚勢を張ってみせる。
「ただ……。――織田課長が相変わらずろくでなしな感じなので、罪悪感を感じずに寄り掛かれそうだなってホッとしただけです」
今日はオフなんだもの。
少しぐらい日頃の溜飲を下げたって許されるよね?
プライベートだからこそ本音が言えるってあると思うもの。
今日は期せずして苦手なはずの上司と仕事以外でやたらと話す機会に恵まれてしまった。
私だって戸惑っているけれど、もしかしたら織田課長だって部下には余り見せたくないあれこれをさらしてしまったんじゃないかしら。
そう思ったら少しだけ緊張が抜けて。
対等……とまではいかなくても、そこそこに憎まれ口を言える程度にはこの空気感に慣れることが出来た。
「――ろくでなしとか……。思ってても普通は直属の上司相手に面と向かって言わないと思うんですけど」
言葉とは裏腹。
ふと視線を投げた先、織田課長が口の端に微かに笑みを浮かべていることからも本気では怒ったりはしていないみたいだというのが分かる。
「――さて、それだけ軽口がきければ話せますよね? 泣いていた理由を」
その頃には車は、三十数階はありそうなタワーマンション内に設けられた、地下駐車場に入っていて。
織田課長は「来客用」と地面に書かれたいくつかの区画の内のひとつに車を駐車する。
すぐ近くに、織田課長の黒い愛車――何度か彼が乗っておられるのを見たことがある――が駐車してあるのに気が付いた私は、今日は車じゃなかったのかな?って思って。
「母がね、朝っぱらから家に迎えに来たんですよ」
何も言っていないのに、私の視線を汲み取って先回りするとか、さすがです。
ここならあのカフェまで充分徒歩圏内な気がするし、葉月さんに送っていただけない場合も何とかなると思っていらしたのかな?
いや、そもそも課長なら遠慮なくタクシーを使うか。
そこまで考えて、何だかんだで私、織田課長の足として利用されたのかも?と思い至る。
本当、この人って抜かりがないなぁ。
そんなことをぼんやり考えていたら、
「このスペースは利用料金さえ払えば誰からも咎められませんのでご安心を。もちろん僕が勝手に連れて来ましたし、お金もこちらがお支払いします」
そんな意図なんて感じさせないみたいに恩着せがましく言われて、そう言うところもすごく課長らしいなって感心する。
「さぁ、部屋に上がりましょうか。話はそこでゆっくり……」
こんな大きなマンションの事情にうとい私は、よく分からないまま雰囲気に気圧されて、そんな課長の言葉に素直にうなずいていた。
それが、織田課長の仕掛けた巧みな罠とも気が付かないで――。