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Nebraska
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ソラ
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ぴのん
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おらふの夜の内省、すごく丁寧で胸が締め付けられる回でした。特に「手を洗う」という行為で感情を一度ほどこうとする描写がとても好きです。好きだと思ったこと自体を汚いものにせず、「大切にしたい人を大切にできる自分でいればいい」という着地に、静かだけど確かな強さを感じました。おやすみ前のむぎの重みも、ほっとする余韻になっていて素敵です🌙
夜中の一時を少し過ぎた頃、おらふはまだ眠れずにいた。
部屋の明かりは落としていて、ベッドの脇に置いた小さな照明だけが、床と壁の一部をぼんやり照らしている。むぎとそらはとっくに静かになっていて、ときどき寝返りを打つたび、毛布がかすかに擦れる音だけが暗い部屋に残った。
明日は少し遅めの集合だった。
だから、多少夜更かししても困らない。
そう思ってスマートフォンを触っていたのに、いつの間にか画面は消えたままになっていた。
考えていたのは、ドズルのことだった。
今日、特別なことがあったわけではない。いつも通り収録をして、いつも通り話して、いつも通り帰っただけだった。
それなのに、一人になってから何度も思い出してしまう場面があった。
収録の途中、ドズルが笑いながら隣へ来た時のこと。何か確認するために少し顔を寄せられて、その距離がいつもより近かった。
本当に、それだけだった。
仕事中には何も思わなかった。普通に返事をして、そのまま次の話へ進んだ。
けれど、夜になって静かな部屋で思い返しているうちに、その時の距離や声の近さが妙にはっきり蘇ってきた。
おらふは布団の中で目を閉じた。
やめとこ。
そう思って、明日の予定や編集のことを頭へ浮かべようとする。
けれど、寝返りを打つたびに布団がさらりと鳴り、その小さな音が途切れると、また静けさの中からドズルの声が戻ってきた。笑った顔や、近くにいた時の気配まで、暗い部屋の中では昼間より鮮明に思い出される。
いつもなら、それを思い出すこと自体は嬉しい。
今日は違った。
好きだと気づいてから少しずつ分かるようになった、自分の中の別の感覚が混じっていた。ただ会いたいとか、話したいとか、隣にいたいとか、そういう気持ちだけではなく、もう少し身体に近いところから湧いてくる感情もあるのだと気づいてしまった。
その瞬間、おらふは目を開けた。
暗い天井が見えた。
息が途中で引っかかり、吸おうとした空気が胸の奥まで入ってこない。おらふは無意識に布団の端を握り、乾いた布が指の中で小さく鳴るほど力を込めた。
胸の奥が、急に熱くなった。
けれど手足は冷えていた。
耳の奥では自分の鼓動だけがやけに大きく聞こえ、頬も首筋も熱いのに、背中には薄い汗が浮いている。
おらふは唇を結んだ。
今、自分は何を考えた。
言葉にしてしまえば、もっとはっきりしてしまいそうで、頭の中でさえ認めたくなかった。
ただ近くにいた。
ただ声を聞いた。
ただ、笑った顔を見た。
それだけのことを、どうしてこんなふうに受け取ってしまったのか。
「……こんなん、思うんや。」
声に出した途端、自分の声がひどく他人行儀に聞こえ、その直後、部屋にはまた静けさが戻った。
驚きより先に、嫌悪感が込み上げてきた。
胃のあたりがきゅっと縮み、胸の内側に冷たいものを押し込まれたような感覚が広がる。
ドズルは何もしていない。
いつも通り優しくして、いつも通り笑っただけだ。
それなのに、自分はその優しさを勝手に別のものへ変えて、相手の知らないところで、勝手に身体へ近い感情を抱いている。
その事実が、ひどく汚いことのように思えた。
おらふは目を伏せた。
見られているわけでもないのに、顔を隠したくなった。
自分の中を覗かれたら、きっと嫌われる。
そんな考えが、ほとんど反射のように浮かんだ。
違う。ドズルは、そんなことを知らない。知らないからこそ、今まで通り接してくれているのに、自分だけが何も知らない相手のそばで、勝手に意味を重ねている。
そのことが申し訳なくて、胸の奥がさらに狭くなった。
呼吸が浅くなる。吸っても吸っても足りない気がするのに、深く吸おうとすると、胸の奥に溜まったものがこぼれそうだった。
おらふは一度、強く目を閉じた。
好きなら、そういうこともあるのかもしれない。
頭では分かる。誰かを好きになることと、身体の感覚がまったく別の場所にあるわけではないのだろう。
それでも、簡単には受け入れられなかった。
好きだと思っていた。
大切にしたいと思っていた。
ただ隣にいられればいいし、話せればいい。笑っているところを見られれば、それで十分なのだと思っていた。
その気持ちの中に、自分でも扱いに困るものが混じっているなんて考えたこともなかったし、自分はもっと、きれいに好きでいられるのだと思っていた。
おらふは自分の腕を抱いた。
シャツ越しの肌に触れる自分の手が妙に生々しく感じられ、指先の冷たさに反して腕には細かな鳥肌が立っている。
こんなことを考える自分は、ドズルのそばにいていいのだろうか。
今まで通り話しかけていいのだろうか。
明日、顔を見た時に、何も知らないふりをして笑えるのだろうか。
考えるほど、自己嫌悪が深くなった。
自分の中にあるものなのに、自分のものではないような感覚がした。身体だけが勝手に反応して、心がそれを追いかけているようで、止めようとすればするほど、かえって強く意識してしまう。
おらふは布団から起き上がった。
身体を起こした拍子に、掛け布団がさらりと足元へ落ちる。その音にむぎが一度だけ耳を動かしたが、すぐにまた丸くなった。
少し喉が渇いた。
それを理由にして、部屋を出る。
足の裏が床へ触れる。
ぺた、と小さな音がする。
もう一歩。
また一つ。
暗い廊下を歩く自分の足音だけが、静かな家の中についてくる。
身体は洗面所へ向かっているのに、頭の中だけはまだ、昼間のあの距離と声の近さに取り残されていた。
洗面所の照明をつけると、スイッチが小さく鳴り、白い光が急に目へ飛び込んできた。
おらふは反射的に目を細める。
鏡の中に自分の顔が映った。
頬は赤く、目元には力がない。唇は固く結ばれ、呼吸のたびに肩がわずかに上下している。
ひどい顔やな。
何か悪いことをした人間みたいだった。
おらふは蛇口へ手を伸ばした。
金属に触れる。
ひやりとする。
少しひねると、最初に管の中で小さな音がして、その直後、勢いよく水が落ち始めた。
しゃあ、と一定の水音が洗面所いっぱいに広がる。
夜中の家の静けさの中では、その音は思っていたより大きかった。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
むしろ、頭の中で何度も繰り返されていたドズルの声を、水音が少しだけ遠くへ押しやってくれるような気がした。
おらふは冷たい水へ両手を入れた。
指先から手のひらへ、はっきりとした冷たさが広がる。
さっきまで身体の内側にばかり向いていた意識が、少しずつ手へ戻ってくる。
石鹸を押す。
小さく容器が鳴り、手のひらへ透明な液体が落ちた。
ゆっくり泡立てる。
手のひらを擦る音は、水音にほとんど消えてしまう。指の間まで洗い、爪のまわりをなぞり、また手のひらへ戻る。
特に汚れているわけではない。
それでも、手を洗いたかった。
何度も同じ場所を洗っていることに気づいても、すぐにはやめられなかった。
白い泡が指の間を埋める。
その白さを見ていると、胸の中にあるものまで一緒に覆い隠せるような気がした。
けれど、泡を水へ流しても、感情は消えなかった。
水が指先から手首へ伝い、ぽたぽたと洗面台へ落ちていく。
おらふはその様子をしばらく見つめた。
消えへんよな。
当たり前だった。
ドズルが好きだという気持ちも、夜中に浮かんだ感情も、自分の中にあった事実そのものは変わらない。
それでも、水に触れているうちに、さっきまで胸の奥をぎゅっと掴んでいたものが少しだけ緩んでいくような気がした。
おらふは鏡を見る。
赤くなった頬も、伏せがちな目も、全部自分だった。
目を逸らしたくなる。
それでも、少しだけそのまま見ていた。
思っただけだ。
何かをしたわけではない。
ドズルに押しつけたわけでも、困らせたわけでもない。
そう考えようとしても、すぐに別の声が返ってくる。けれど思った、相手が何も知らないところで、自分だけが勝手に、と。
その自己嫌悪は、簡単には消えてくれなかった。
それでも、おらふは水音を聞きながら、ゆっくり息を吐いた。
一度。
二度。
三度目で、ようやく少し深く息が入る。
冷たい水へ触れているうちに、さっきまで一つの塊だった罪悪感が、少しずつ分かれていく。
感情が生まれたこと。
その感情をどう扱うかということ。
そして、実際に何をするかということ。
全部、同じではない。
好きだからといって何をしてもいいわけではないし、自分が何を望むかと、相手へどう振る舞うかは別のことだった。
そこを間違えなければいい。
思ったことと、したことは違う。
感情が生まれたことと、それを相手へ押しつけることも違う。
自分の中にあるものを認めることは、ドズルを傷つけることではない。
そう考えられるようになるまでには時間がかかったし、それだけで自己嫌悪がなくなったわけでもなかった。
それでも、胸の中で固まっていたものに少しだけ隙間ができた。
おらふは蛇口を閉めた。
水音が細くなり、最後に数滴が落ちて、洗面所が急に静かになる。
さっきまで絶えず鳴っていた音がなくなると、その静けさは部屋にいた時とは少し違って感じられた。
苦しい静けさではなかった。
ただ、何も鳴っていないだけの静けさだった。
おらふはタオルを取り、濡れた指先を包む。
布が水分を吸う小さな音と、掌を拭く感触がはっきり伝わってきた。
鏡を見ると、自分の顔にはまだ赤みが残っているし、目元も疲れている。
何もなかったことにはなっていない。
それでいいのかもしれないと思った。
「……びっくりしただけやな。」
小さく呟く。
今度の声は、さっきより少しだけ自分のものに聞こえた。
好きだと分かった時もそうだった。名前がついただけで、自分そのものが変わったわけではない。
今日も同じなのかもしれない。
自分の中に、そういう感情もあると知った。
それだけだ。
まだ恥ずかしいし、明日ドズルの顔を見たら今日のことを思い出すかもしれない。それでも、そのたびに自分を罰する必要はないのだと思いたかった。
自分の中にあるものを相手のものにしないこと。
勝手に期待しないこと。
大切にしたいと思うなら、その境界線も大切にすること。
そこだけは、忘れなければいい。
照明を消す。
かち、とスイッチが鳴る。
暗くなった廊下へ出ると、さっきと同じ床なのに、足の裏へ伝わる冷たさが今度はちゃんと分かった。
一歩ずつ部屋へ戻る。
小さな足音が続き、寝室の前で止まる。
扉を開けると、暗がりの中でむぎが少しだけ顔を上げた。
「起こした?」
小声で聞いても、返事はない。
おらふはベッドへ戻り、掛け布団を持ち上げた。
さら、と布が鳴る。
その中へ身体を滑り込ませると、さっきまで冷えていた足先に、残っていた温もりがゆっくり戻ってきた。
むぎが少し動き、足元で丸くなる。
その重みと、毛布の擦れる小さな音に安心して、おらふは目を閉じた。
胸の奥には、まだわずかな熱が残っていた。
けれど、もうそれを無理に消そうとは思わなかった。
ドズルの顔が、もう一度だけ頭に浮かぶ。
今度は、昼間に近づいた時の距離ではなく、いつもの笑った顔だった。
好きなのは変わらない。
その中には、自分でも扱いに困るような感情が混じることもあるのだろう。
まだ戸惑うし、恥ずかしい。完全に受け入れられたわけでもない。
それでも、その一つの感情だけを理由に、自分の「好き」全部まで汚いものにしなくてもいい。
大切にしたい人を、大切にできる自分でいればいい。
そう考えているうちに、洗面所で聞いていた水の音が遠い記憶のようになっていった。
何かを洗い流したわけではない。
消してしまったわけでもない。
ただ、冷たい水へ触れ、水音を聞きながら絡まっていた気持ちを一度ほどき、自分の中の置いておける場所へ戻してきた。
布団の中でゆっくり息を吐くと、足元でむぎがもう一度、小さく寝返りを打った。その音を聞きながら、おらふは明日のことをほんの少しだけ考えた。
またいつものように顔を合わせて、ドズルが何でもない話をして、たぶん何かの拍子に笑うのだろう。今日までと同じように、その笑顔を見れば自分もきっと嬉しくなるし、今夜気づいたことを思い出して、胸の奥が少しだけ揺れるかもしれない。
それでも、その時の自分が今日より少しだけ落ち着いていられたらいいと思った。
好きな気持ちがあることも、自分でも扱いに困る感情が混じることも、全部抱えたまま、それでも相手を大切にできる自分でいられたらいい。
明日、ドズルが笑ったら。
その笑顔を、今までと同じように好きだと思える自分を、少しだけ信じてみたい。
そう考えると、胸の奥に残っていた最後の固さが、ほんの少しだけほどけた。
おらふは目を閉じる。
暗い部屋の中では、もう水音も足音も聞こえない。
ただ、足元の温もりと、自分の呼吸だけが静かに残っていた。