キャスリンは窓辺のソファに座り薄茶の生地にゾルダーク家の家紋を刺している。
刺繍枠を持ったまま眠りについたり歌を口ずさみ腹を撫でたりして日中を過ごす日々を送っている。結局あれから自室には戻っていない。この二月、ハンクの寝室で共に過ごし、半時をかけて花園を二人で歩いている。夕食も食堂に向かうことはなくなった。
貴族院の会議のためハンクが王宮へ出掛ける日は廊下にダントルを置き、ソーマとメイドのみが入室を許され、それ以外の者は誰も入れないようにと命が出された。ハンクの留守にカイランがキャスリンと話がしたいと部屋を訪ねてきたが扉は開かず、それでもしつこく待つカイランに扉越しに話をした。
「今日はライアンの往診の日だ」
「ええ」
「乳母は決めたか?」
「やっぱりハンクの信頼できる者がいいわ、だから騎士の奥様と使用人の娘に決めたの。会ったわよ、感じのいい方達だった。選んでくれたのでしょう?」
「ああ」
ハンクはソファに座るキャスリンの前に跪き、膝に頭を乗せ腹に額をつけている。仕事の休憩はいつもこうして二人きりになって話す。腹がとても邪魔をしているがもう少しでそれも終わる。
「昨日エドガー・ハインスが馬から落ちて死んだ」
アーロンはこの二月の間に上の娘に毒を与え、学園を辞めさせ、離れた辺境の農地しか持たない男爵家に嫁がせた。ハインスで何か起きたかと社交界には噂が飛び交った。その噂が消えない内にエドガーが乗馬中に落馬し首を折って死亡した。ウィルマの噂など直ぐに消え、皆がエドガーの死を悼み口を噤んだ。残るジャニスはまだ十五、すでに毒は受けて姉とは違う辺境に嫁ぐことは決まっていたが、時が重なるといらぬ憶測を呼ぶ。ルーカスのため社交界が落ち着くまではハインスで過ごすとドイルから報告があった。
「馬は怖いわね。ハンク、気をつけてね」
空色は俺の髪を後ろへ撫でながら微笑んでいる。
「ああ」
落ちる前に死んでいたのなら馬のせいではないがな。安定期に入ってるんだ、外にも行きたいだろ。それでも邸の庭にしか出していない。欲しいものがあれば商人を呼び買い物をさせ、一日のほとんどを俺の側で過ごさせている。それでも文句を言わず、幸せそうに微笑んでいる。
この満たされている時に扉の音が鳴るのは何かが起きた時だ。立ち上がり、入れと声をかけるとソーマの後ろから笑顔の老人が見えた。
「オットー、何をしに来た。年寄が死んだか」
空色が見えないように隠し、ソーマを退かそうと困らせている老人に問う。
「残念ながら生きていますよ。ソーマ、中に入れなさい」
ハンクは手を振りオットーの願いを叶えてやる。
「全く、長旅をした老人にすることかね」
「何の用だ」
オットーは笑顔を崩さず勝手にソファに腰をかける。
「ソーマ紅茶を出してくれないか、疲れたよ」
ソーマは紅茶を出す用意を始める。
「ぼっちゃま、若奥様を紹介してくれませんか」
キャスリンはハンクの服を引っ張り撫でる。
「そこにいていい」
ハンクは脇に動きキャスリンの横からオットーを睨む。
「はじめまして若奥様。大旦那様に仕えているオットーでございます」
「はじめまして、キャスリンです。ゾルダーク領からお一人で?老公爵様はご一緒ではないのかしら?」
キャスリンは腹を撫でながらオットーに問う。
「大旦那様には断られました。私の先は短い、一度若奥様にお会いしたくて馬車に揺られて参りましたよ」
「閣下が私に骨抜きなのか確かめにいらしたの?」
ハンクは薄い茶の頭を撫でる。
「確かめに来なくてもその通りだと知ってるだろうよ」
それを聞いたキャスリンはほんのり顔を赤らめハンクを見上げる。愛らしい頬に触れると俯いてしまった。
「ほぅ面白いですな。ぼっちゃまのお顔を怖がっていないのは確かですな」
「これは俺の顔を気に入っていると言ったろ」
穏やかに過ごしていたのに、不要な者がやってきてハンクは苛立つ。
「老公爵様はまだ私を狙っていますの?」
不安そうな声にハンクが反応する。
「年寄の子飼いは把握している。心配するな」
直ぐに消してやる、と薄い茶に口を落とし安心させる。
「閣下!人前では止めてください」
「老人は人じゃない」
オットーはギースに怒られながらも馬車に乗り人生最後の王都へやってきた。ハンクを狂わせた女性を一目見ようと長い時をかけて辿り着いた。久しぶりに王都の邸に着けばホールで待たされ、ソーマと見覚えのある従者に囲まれ、持ち物から服の中まで調べられて、敵のような扱いを受けた。老人に何ができるというのか。ぼっちゃまに会いたいと言えば、まだ日は高いのに執務室に二人で過ごしていると言う。若い娘に溺れている。ギース様の懸念が当たってしまうか。
女性というより少女に近い、ぼっちゃまと並べば父娘だ。それでも二人の雰囲気は自然で、腹を膨らませた若奥様が騙しているようには見えない。まるで婚姻したての初々しい男女に見える。
「若奥様に手を出す者はこの邸にはおりませんよ。そんなことをしたらゾルダークは終わります。ぼっちゃまには逆らえません」
「もう用は済んだろ帰れ」
着いたばかりの老人になんて酷いことを仰る。
「閣下、オットーさんに聞きたいことがあるの。よろしい?」
「ああ」
「オットーさんはゾルダークに長くいますのね、私は腹の子をハンクのように強い後継にしたいの。育て方を教えてくださる?」
ぼっちゃまの育て方は厳しすぎるから止めた方がいいが、本人の前では言いにくい。
「こちらに滞在中に話しましょう」
「ええ、助かるわ。閣下いいかしら?」
「ああ、二人になるなよ」
キャスリンは頷く。
ハンクが何故こんなにも強いのか知りたかった。男の子ならハンクのような後継にしたいと考えていた。
「オットー、部屋から出ていけ。医師が来る」
ハロルドに連れられオットーは執務室から出ていく。
「オットーさんはハンクを心配してるのよ。若い娘に骨抜きだから」
ハンクは笑顔のキャスリンを持ち上げソファに座り膝に乗せ、抱き締める。
「事実だろ」
指で俺の頬を摘んできた。
「私も閣下に骨抜きなのよ、知っていた?」
「ははっそうかお前も骨抜きか」
ええ、と笑っている。耳元に口を寄せ悦ぶことを言ってやる。
「今日は中に出す許可が出るだろうよ」
顔を赤くして俯いたが、顎を掴まえ瞳を合わせる。
「嬉しい…早く欲しい」
赤い唇が開き俺を誘う。上から口で覆い互いの唾液を飲みあい心が満ちていくのを感じていた。
「…お尻にも注いで?」
何度も孔に陰茎を入れた成果が現れだしたか、最近は孔でも感じるようだ、善がっている。
「ああ、お前の望みは叶える」
ライアンはキャスリンの診察の後、またカイランに捕まってしまった。
「アルノ医師、キャスリンの様子は?」
茶会の後からは診察の付き添いまで閣下に取られて、夕食も二人きりだからカイラン様は二月キャスリン様に会えていないらしい。閣下の留守に訪ねても鉄壁の守りで扉越しの会話ができた程度、離さないなんてもんじゃない、閉じ込めてるじゃないか。
ハインスには完璧に報復ができたし、アビゲイル様も平民の金持ちの後妻にローズ様は婚約解消させられ未だお相手は無し。なぜ閣下は神経質になってしまったか…キャスリン様に不満はなさそうだからいいんだけどさ。
「順調ですよ、一月経てばいつ産気付いてもおかしくはありません」
カイラン様の質問には答えていいと許可は貰ってるからなぁ。可哀想に、唯一夫らしく過ごせる時まで奪われて、憐れだ。他に女を作ればいいのになぁ。若いし公爵令息、見目もいいなら入れ食いだろうに。変な執着心だな。
「キャスリンは元気でしたか」
「ええ、変わらずお元気ですよ」
「父の様子は?」
「終始穏やかに話されてます」
閣下はただ話を聞いてるだけだけど。今日は子種を出していいと伝えたら、少し笑ったんだよなぁ。あれは笑みだよなぁ、ひきつっただけか…いや、頭に焼き付いてるけど笑ったんだよな…
「アルノ医師?」
思考にふけってしまった。
「はい、私は医院に住んでいますからいつでも呼んでください」
開院して僕の自室も大きく作ったからな。随分金をかけて作らせてもらった。閣下には逆らえないな。
では、と告げて僕は退散。カイラン様をどうするのか、話くらいさせてあげればいいのにさ。追いつめられたら何をするかわからないよ。
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