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静かだった。
地下の部屋は、コンクリートでできた小さな空間。
窓はなく、外の音も届かない。
ただ、薄暗い照明が天井にひとつ。
その下で、良規はじっと座っていた。
腕には、まだ首輪がついたままだ。
肌に食い込んで、微かに痛い。
でも、それすらも彼女の”温もり”に感じられた。
––-–—–『俺は、選んだんだ。自分で……』––––––-
鍵を渡したとき、美咲は言った。
「これは信頼の証だよ。私の言うことだけ、聞いてね?」
それは命令ではなかった。
けれど……
命令以上の力を持っていた……
最初の一日は、平穏だった。
部屋にはベッド、トイレ、小さな冷蔵庫。
壁にはスピーカーが埋め込まれていて、美咲の声が時々流れる。
「良規くん、今日も好きだよ」
「ほかの誰も、もういないね」
「ずっと一緒にいようね」
その声に、良規は微笑む。
彼女の愛を、全身で浴びている気がした。
–––––『やっと……誰かの“全部”になれた』––––––-
社会にとっても、家族にとっても、誰にとっても”いらない人間”だった自分。
でも、美咲だけは、自分を”必要”だと言ってくれた。
それが、何より嬉しかった。
だが、時間は残酷だ。
二日目、三日目……
時計もスマホも奪われたこの部屋で、時間の感覚が次第に狂いはじめた。
–––––—-『今は朝なのか? 夜なのか?』––––––––
食事のタイミングで何となく時間を感じるが、次第にズレていく。
それでも、良規は文句を言わなかった。
いや…… 言えなかった。
もし『出してくれ』と言ってしまったら、美咲の信頼が崩れてしまう気がして。
––––––––––『それだけは、嫌だった』––––––––-
やがて、美咲はモニター越しに姿を現すようになる。
小さな液晶画面に映る、美咲の笑顔。
「元気? ねぇ、今日も独り占めできて幸せだよ。……良規くん、外に出たいって思ってないよね?」
『……うん、思ってない』
「本当に? 嘘ついたら、怒っちゃうよ?」
『嘘なんかつかない。ずっと、ここにいる』
「よかった。大好き」
モニターの中で、彼女は微笑んだ。
その笑顔が、何よりの“報酬”だった。
––––––––––––––『……でも』––––––––––––-
良規の中で、微かに何かが芽生えていた。
言葉にできない“ざらつき”のような感情。
彼女が笑えば笑うほど、それは静かに、胸を締めつけた。
五日目、食事が来なかった。
スピーカーからも、美咲の声は流れなかった。
–––––––––––『何かあった?』––––––––––––
不安だった。
まるで、心臓の音が遠ざかるように、静寂が深まっていく。
––––––『もし彼女が、俺を捨てたら……』––––––-
初めて”恐怖”を感じた。
この部屋が“牢獄”になる瞬間だった。
それまでの数日は、ただ“愛の空間”だったのに。
六日目の朝、美咲が現れた。
「ごめんね、体調悪くて寝込んでたの。心配かけた?」
『……うん』
「怒ってる?」
『怒ってない。……でも、すごく、怖かった』
「そっか。嬉しいな、それ。“私がいないと生きていけない”ってことだもんね」
良規は、微笑むしかなかった。
その夜、夢を見た。
真っ白な部屋。
鏡の中に映る、自分の顔。
笑っているのに、涙が止まらない。
『助けて』と口が動いていた。
けれど、声はどこにも届かなかった。
目覚めたとき、喉が乾いていた。
––-—『……俺は、ここで死ぬのかもしれない』––––
ほんの少し、そんな考えが頭をよぎった。
でも、それでもいい。
彼女の“すべて”であるまま死ねるのなら。
この世界に、二人きりでいられるのなら……。
その日の夜、美咲の声が久しぶりに明るく響いた。
「ねぇ、良規くん。私、もう“外の世界”に興味ないんだ」
『……うん』
「会社も辞めたし、SNSも消した。友達もいない。家族なんてとっくにいないし」
『俺も、同じ』
「だからさ……もう、ここで、ふたりきりで生きようよ」
『……うん。ずっと一緒にいよう』
「でも、私……長くないかも」
その言葉に、良規は息を呑んだ。
『何、言ってるんだよ』
「体調、最近おかしくて。病院行ったらね、“これ以上進行したら危ない”って」
『そんなの……』
「でも、安心して。私が死ぬとき、ちゃんと良規くんも一緒に連れて行くから」
その声は、優しかった。
あまりに優しくて、ぞっとするほど、冷たく感じた。
けれど……
良規は、逃げなかった。
いや、“逃げようとすら”思わなかった。
だって、自分にはもう彼女しかいないから。
美咲も、自分しか見ていないから。
この愛は、誰にも壊せない。
もし終わるのなら……
ふたりで、同じ日に、同じ場所で。
それだけが、彼の唯一の“希望”だった。