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雪がチラつく一月中旬。学校が終わった俺が向かうのは、いつも同じ場所。もう、すっかりお馴染みの場所。そこは。
「直樹くん。今日も来てくれたの?」
マスク越しでも分かる、この笑顔。俺にとっての安らぎの場所。
「俺は監視役だから。無理させないと、お前の母親と約束してるからよ」
「うん。ありがとう」
こいつは ふふっと笑い執筆の進行具合を話してきて。俺は学校であったこと、こいつの友達は元気にしていると現状を軽く話す。
一息吐くと、こいつはパソコン。俺は学生鞄より分厚い本を取り出して、互いに黙り込む。
治療クールが終わり、病状も安定してきたこいつは、精力的に書いている。それこそ二時間でも、三時間でも。
健康な俺が疲労を感じる頃、こいつは変わらずパソコンに向かい黙々と文章を打ち込んでいる。そんな姿に。
「あー! 分かんねー!」
と叫んでみる。
「あ、やっぱり受験勉強って難しいんだ? 私そうゆうの分からなくて」
そう返してきたこいつが、見てくるのは俺の持つ分厚い本。参考書だ。
こいつが頑張っているのに、俺がサボるわけにはいかない。そんな思いも相まっで何もやってこなかった勉強を、ガラにもなくやっている。
「おい! パソコン貸してくれよ。調べた方が早いからよ」
「うん。ちょっと待ってね」
一区切りついたところで貸してくれ、こいつはギャッジを上げたベッドにもたれ、ふぅっと小さく溜息を吐いた。
マスクで全面は見えないが、血色が悪いのは見てとれた。
「あ? よく分かんねーな。悪いが時間かかりそうだ。寝て待っててくれねーか?」
「そお? うん、分かっ……」
言葉に詰まったこいつは、閉じていた目をパチリと開け、俺を見つめてくる。
そして。
「ありがとう」
微笑むその姿は、早い春の訪れと錯覚させてくる。
「何で貸してくれた方が、言ってるんだよ!」
俺はプイッと顔を背ける。
……もし、このニヤついた顔を見られでもすれば。
考えただけで赤面ものだった。
また季節は巡り、春が訪れる。暖かな風、やわらかな花の香り。
美しい桜が、ひらひらと散っていく。そんな四月中旬。こいつは、一つの物語を書き上げた。
「まあ。いいんじゃねえの?」
下読みが終わった俺は軽く返すが、この言葉は嘘だ。
|初稿《しょこう》、つまり初めに書いた文章のことを言うんだが、初稿を見た時は、相変わらず言いたいことが多過ぎて、テーマが絞れてなくて、話が暴れまくっていた。
それはうつらうつら寝ている間にこっそり盗み見たもんだったんだけどな。
まあバレちまって、俺に見せる気はなかったのにって、しっかりみっちり叱られちまったのは仕方がねぇ。
見て欲しいのはこっちと差し出されたものは、一本筋で書かれた物語。
ああ、長ったらしい序章は削ったんだなっとか、似たテーマは一本に絞ったんだなっとか、好きそうな場面も話の筋がズレるからと泣く泣く消したんだろうなとか、見て取れる。
良い物語を作る為に、自分本位を捨てる。こいつの覚悟を感じ取れる、一作だった。
「駄文を書く勇気を持ったの」
「だぶん? 駄作じゃなくてか?」
駄作を書く勇気。
執筆の心得みたいに使われる言葉で、端的に言えば「失敗することを恐れずに、とりあえず書いてみろ」という意味で使われる。
しかし駄文って何だ?
「私ねぇ、ムダに文章へのこだわりあるじゃない? だから一文書くのも時間掛かって、後で見直していらないと分かっていても、せっかく書いたんだからって消せなくて。だけど、それじゃあダメだって気付いたの。最初から完璧な文章なんて求めちゃいけない。だって、いらない場面なら消さないといけないから。いくら文章が気に入っていても、物語の内容に合わなかったら潔く省かないといけない。消すことに怯えていたら、こじんまりとした話しか書けない。だから覚悟を決めたの。鉛筆みたいに下書きをしたらいい。いらないと思ったら、消しゴムで消すみたいになくなさいといけない。いらないかもしれない文章をいっぱい書いて、取捨選択して消すの。それが駄文を書く勇気……かな?」
表情からは覚悟のようなものが見え、ああ、やられたなっと気持ちよく惨敗させられた。
こいつの物語は、読み手を引き込む構成で見せ方が絶妙で。内容を引き立てる文章力があり。繊細な心情を上手く書き表せていて。終わりが良く読後感がある。
俺に口出しする隙間なんかねぇ。
俺には到底書くことも出来ねぇ。
吉永未来でないと書けない、最高傑作だ。
「良かった。直樹くんのおかげだよ!」
「俺は、何もしてねーよ」
それは事実で、物語構成、心情描写、文体、物語展開、結末。その全てをこいつが一人で書き上げた。
俺は自分の人生を語っただけで何一つ口添えはせず、今初めてこの物語を読んだ。
率直な気持ちは一つ。この物語を世に出したい。だった。
「……桜、綺麗だね」
そう呟き目を細め、窓より桜を眺めていた。
こいつの考えていることは分かっている。『来年も見られるか?』だろう。
ここからは、美しく舞う桜を見ることは出来ない。……見せてやりたい。
「藤城くん。今日もありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
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俺が珍しく、バイト以外でしっかり対応をする大人。あいつの母親。
あいつから聞いた話によると、あいつが一歳の頃に死別により一人親になり、二歳で娘が小児癌だと宣告され、病気の娘を支えてきた人。
俺がこいつの元に突然現れたと言うのに面会を許可してくれ、今の関わりを許してくれている寛大な人。娘の寿命を縮める結果となっても最後は好きなことさせてやりたいと、命を削る執筆を応援すると言ってくれた強い人。
だからこそ相談してみたい。今しか出来ない経験を。