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凪は目を見開いた。千紘の胸を勢いよく押した。本気で拒否されたような強い力に、千紘は体を離しつつ少しだけ動揺した。

何だかんだ言って受け入れてくれつつあったのに。今まで普通に会話できてたのに、キスを本気で嫌がられた。最初のキスはできたのに。そんな考えが頭の中をグルグル支配する。


やっぱりキスはダメなのか。そんなふうに思っているところに「お前、俺の飲んだ後だろ! ふざけんなよ!」と本気で声を荒らげた。

千紘はしぱしぱと目を瞬かせ、ああ……と頷く。キスが嫌というより、自分の精液が嫌なのか。そう理解した千紘は、無言で凪から距離を取り、立ち上がると素早く洗面所に向かった。

それから流水をコップに注ぎ、口の中を何度かゆすいだ。凪の体温と匂いと濃い味をいつまでも口の中に温存しておきたかったのだが、キスを拒絶されるよりマシかと千紘は綺麗に洗い流す。


タオルで口周りの水気を取ると、再び凪の上から覆い被さる。何が起きたのかと放心していた凪は、あっさりと先程と同じ体勢に戻された。


「え、な……に?」


「口ゆすいできた。キスしたい」


「……は? そのために?」


目を丸くさせた凪は、チラリと洗面所の方を見る。こんなにも素直に行動するとは思ってなかったのだ。自分の体液が口内に入るのはどうしても嫌だった。客の体液は金を貰えれば我慢できる。しかし、プライベートで何の対価もないのに自分の体液を口移しされるなんて考えただけでも気持ちが悪かった。


それは、気持ちよりも体が先に反応し、千紘を拒絶させた。口をゆすいでこいと言ったわけでもないのに、凪が嫌がっているのを感じてすぐに対応した千紘の姿に驚いたのだ。


本当に俺が嫌がることはしないつもりなのか……。


そう思いながら、また千紘に視線を戻す。待てをされた子犬のように、潤んだ瞳を向ける千紘。一度拒否されたからか、それ以上強引にキスをするつもりはなさそうだった。


凪はそろそろと目を逸らした。


「なんなんだよ、そんな目で見んなよ……」


痛いほどの視線をどうしても受け入れられそうになかった。目を合わせてしまったら、許可しているような気がしたのだ。


「だって、凪のためにうがいしてきたのに。さっきちゃんと歯だって磨いて清潔なのに」


「そういう問題じゃ……」


「優しくするってば。無理矢理しないからさぁ……」


わざわざ目を合わせようと、千紘は凪の向いてる方向から顔を覗かせた。千紘の行動によってしっかりと目が合ってしまった。

慌てて逸らそうにも、千紘の視線が追ってくる。


くぅーんという子犬の鳴き声が聞こえた気がした。


「……だから、なんなのお前……」


「キスしたいんだよ……。ねぇ、お願い」


懇願する千紘からは必死さも伝わってくる。キス1つをこんなにも頼まれたのは初めてだった。凪は、金さえ払えばキスなどできるセラピストだ。プライベートだって、凪がタイプの女性であれば自らキスくらいする。

だから、今まで女性にだってここまでキスがしたいとお願いされたことなどなかった。彼女の「ちゅーして」なんていう可愛いおねだりならいくらでもあったが、これはわけが違う。


男からこんなにも求められるのは、きっと一生の内でこの男だけだろうと思えた。キスの何がそんなにいいのか……。凪にはよくわからなかった。ただ、今日初めてのキスがとんでもなく上手かったことだけは覚えていた。


下手な女からキスされるよりかはまあ……上手かったけど。


そう思いながら、眉を寄せた。


「ダメだって言わないってことは、絶対にダメだってわけじゃないってこと?」


痺れを切らした千紘が、期待を含めた瞳で凪を見つめた。


「……もう、勝手にすれば」


拒否したところで、ねぇねぇと何度もしつこくキスの許可を迫られることは目に見えている。凪は、それはそれでもう面倒に感じた。


千紘は凪の言葉にぱあっと目を輝かせた。顔の周りに光が見えるほど歓喜しているのが伝わる。


……そんなに嬉しいもんなのか? たかだかキスで? いや、男同士のキスはたかだかじゃないか……。


うーん、と考え込む凪。そんな凪の唇を見つめてうっとりと目を細くした千紘は、「勝手にしてもいいってことは、俺の好きにしていいってことだよね?」とだけ言って唇を重ねた。


一瞬うっと瞼を大きく開いた凪だったが、当然キスされることは予想できたわけで、千紘の唇で自分の唇を挟み込まれながら、やれやれと静かに目を瞑った。

無理矢理されるよりはいい。何度もしつこく懇願されるよりはいい。そんな先にたどり着いた《《よりはマシ》》は、じんわりと熱を帯びていく。


舌が侵入してきて、優しく絡まる。ほんの少し、千紘の吐息が凪の舌先に触れてゾクッと鳥肌が立った。


やっぱりキスは上手いんだよな……。どうやらそれは認めざるを得ないようだった。この技術を盗めたら、自分の仕事の向上にも繋がるかも……。とまたしても仕事のことを考えながら、千紘の舌の動きを感覚で捕らえていく。


なるほど、こういう使い方するわけね。と勉強していく中、濡れた感触と舌のザラつきとで少しづつジンジンと口内が痺れてきた。


「……そろそろやめ」


一瞬唇が離れた隙に凪はキスを制止させようとするが、すぐにまた塞がれて歯列を割って舌が顔を出す。


このやろ……。ちょっと許してやればすぐに調子に乗る。


凪が軽い苛立ちを感じて眉間に皺を寄せると、唇を離した千紘が至近距離で「名前呼んで。呼ぶまでやめない」と囁いた。


「……は?」


キスの許可をしたのは自分だというのに、いつの間にか止める権限は千紘に移行していた。目を丸くさせた凪にしつこい程のキスを降らせる千紘は、凪から名前を呼んでもらえるかもしれないと心を踊らせた。

ほら、もう諦めて俺のモノになりなよ

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