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朝、ユーリは胸の圧迫感とともに目が覚めた。見れば仰向けになった寝袋の上にポメラニアンが寝そべっている。
その寝顔は無邪気な小犬そのもので、起こすのに罪悪感を抱くほどだった。
とはいえ、いつまでもそのままにはしておけない。
「ほら、お前。起きて」
ユーリが寝袋の中で体を揺らすと、ポメラニアンはずり落ちた。頭から落ちて「クゥン……」と鳴いている。
ユーリは苦笑しながら寝袋を出た。さっそく小犬がまとわりついてくる。
テントを出る。ユリウスたちは既に起きていて、ロビンが朝ご飯の麦粥を作っていた。朝だから干し肉はなしの、本当に麦だけのそっけないおかゆだった。
「おはよう、みんな」
「おはよう。ユーリ」
ユリウスの笑顔はいつもどおりに見えるが、ポメラニアンにやる視線は鋭かった。
朝日の明るい中で見る小犬は、真っ白なポメラニアンそのものである。まんまるでふわふわの頭と体。ちょっと尖った鼻。つぶらで黒い瞳。ちょこちょこ動く手足。サイズ感も日本のポメラニアンと同じくらいだった。
陽光の中、ユーリはもう一度赤い首輪を確かめる。文字は――、かすれていて読めなかった。昨日の感覚は錯覚だったのだろうと思った。
小犬は食事の間もユーリにぴったりと寄り添っていた。
「お前も食べる?」
ユーリは麦粥をほんの少し指先に乗せて、小犬の鼻先に持っていく。小犬はふんふんと匂いを嗅いでぺろりと舐めた。そして顔をしかめる。
「魔物にも分かるまずさかぁ。へこむなあ」
ロビンがため息をついている。ヴィーが首を振った。
「別に、ロビンのせいじゃない。この材料で麦粥を作ったら、誰でもこの味になる」
「そうよねぇ……」
ユーリも麦粥を持て余し気味だ。お粥は具が入っていない上に味付けが薄い。けれど食べなければ体力が保たない。頑張って流し込むようにして食べた。
食事を終えて焚き火を消し、テントを片付ける。荷物は畳んでロバに振り分けて乗せた。
ロバは小犬を見ても驚かなかった。魔物であるはずなのだが、敵意がないせいかもしれない。
出発をしたら、なんと小犬がついてきた。ユリウスが鞘のままの剣を振って追い払っても、諦めずに後を追ってくる。
「困ったわね」
「ワン!」
ユーリがポメラニアンに向かってかがみ込むと、彼(?)は一声鳴いてテテテッと走り出した。
少し進んだ先で振り返り、尻尾を振っている。
「ついてこいってこと?」
ユーリが言うと、ユリウスが制止した。
「危険な場所に誘い込む気かもしれない。放置して行こう」
「そうよね……」
「わふん!」
ところが、ポメラニアンはユーリの足元まで戻ってきてぐるぐる回り、また少し向こうまで行って尻尾を振った。
「どうしても来てほしいみたい。一応ついていってみて、危険がありそうだったらすぐに引き返すのはどう?」
「……ユーリがそう言うのなら。ロビン、念入りな索敵を頼む」
ユリウスが平坦な声で答えた。ロビンは覚悟を決めたようにうなずいた。
「わたしも、魔力感知を張り巡らせておく」
と、ヴィー。
そうして彼らは進み始めた。
ポメラニアンは森の中をトコトコと歩いていく。下草の生い茂る獣道もすいすいと進む。あんなにふわふわな毛玉なのに、枝に引っかかることも汚れることもない。
小犬に先導されること三十分ほど。やがて小犬は足を止めた。
「……むっ。あれは」
ロビンが前方を見て警戒している。
それは、大きな木だった。樹高は十メートルを遥かに超え、二十メートルに達しているかもしれない。広がった枝に、奇妙な形の果実らしきものをたくさんぶら下げていた。赤や緑色の細長い形である。
「くしゃみの木だ。近づくと赤い実を投げつけてくる。実は人にぶつかると弾ける。すごい刺激臭で、涙とくしゃみが止まらなくなるんだ」
それ以上進まないようにね、とロビンは続けた。
(でも、あれ……)
ユーリは思う。枝からぶら下がっているのは――どう見ても唐辛子だった。
真っ赤なとんがり形に緑の帽子。そういえば、樹木自体も唐辛子の木を巨大化して頑丈にしたような印象だ。
「わふん、わん!」
ポメラニアンが得意そうに胸を張っている。
「……まさか、お前。カレー作りを知っていて、材料を教えてくれたの?」
唐辛子、別名カイエンペッパーはカレーの辛味調節に最適なスパイスである。地球では新大陸の原産だ。
町の市場では全く見かけなかったので、諦めていたのだが。
「…………」
みな、黙って小犬を見た。当のポメラニアンは小首をかしげている。
小犬はしばらく人間たちを見回して、誰も動かないのを感じたのか、そろそろと唐辛子の木に近づき始めた。
――ヒュン!
小犬の接近を感じ取った唐辛子の木は、枝をしならせた。赤く色づいた唐辛子が二つばかり飛んでくる。
ポメラニアンは慌てて後ろに下がった。唐辛子は地面に衝突して、ぶわっ! と真っ赤な煙を立たせる。
漂ってきた赤い煙に、小犬はふんふんと鼻を向けて。
「ふえっくしょい! くしょん、くしょん!」
何度もくしゃみをした。前足で鼻をこすっている。
ユーリは慌てて小犬のそばに膝をつき、水筒の水を少し出して鼻先を洗ってやった。
やっと落ち着いたポメラニアンが、きゅぅ……と鳴きながらうるんだ瞳でユーリを見上げている。どうやら感謝しているようだ。
「この子がどういう考えで、私たちを連れてきたのか分からないけど」
ユーリは言った。
「あの唐辛子――赤い実のことよ――は、カレーにぜひ欲しいスパイスだわ。なんとかして収穫できないかしら」
くしゃみの木こと唐辛子の木は、ユーリたちを警戒するようにゆらゆらと枝を揺らしている。
枝からぶら下がる真っ赤な唐辛子。先ほどの炸裂する様子を思い浮かべて、ユーリは鼻がむずむずしそうだ。
唐辛子スプレーは地球でも護身グッズや野生動物対策に使われていた。その効果は推して知るべし。
「近づいたら無差別にあの実を飛ばしてくるから。遠距離でゲットするしかないんじゃない?」
ロビンが言う。彼は弓使いだ。まさに遠距離攻撃の使い手である。
「じゃーまず、俺がやってみる。矢で実を落とすぜ」
彼は弓に矢をつがえた。使い込んだ木と鉄を組み合わせた弓だった。
放たれた矢は正確に唐辛子の一つを狙い、実と枝とを繋ぐ部分を射抜く。矢は葉の間を通って向こう側に落ちた。幹に突き刺さったら刺激になるという配慮だろう。
ぽとり、唐辛子が地面に落ちた。衝撃が少なかったせいか、赤い煙は立っていない。
「わっ! やったね!」
ユーリは手を叩くが、他のメンバーは苦笑いしている。
「で、あの実をどうやって取りに行けばいいと思う?」
「うっ……」
ユリウスに言われて、ユーリは言葉に詰まった。近づけば別の実を投げつけられるのだ。かといって、実を全て落とすには数が多すぎる。
「長い棒でそうっと拾うとか?」
「一応、やってみようか」
そこで彼らは落ちている枝を拾ってきて数本組み合わせ、三メートルほどの棒を作った。枝の先端に細かく切れ目を入れて、唐辛子を引き寄せやすくした。
ユリウスが棒を持って近づく。けれど三メートルの距離では近すぎたらしい。棒が届くだいぶ手前で唐辛子が飛んできた。それもポメラニアンのときよりもかなり多い数である。
ユリウスは棒を置いてさっさとその場を離れた。仲間たちと距離を取った場所から木に接近したので、森の一部が赤く染まっただけで誰にも被害は出ていない。
「これ以上、棒を長くするのも使いにくいし。この作戦は無理かな」
戻ってきたユリウスは肩をすくめている。
ユーリは腕を組んで考え込んだ。
「魔法はどうかしら。ヴィー、落ちている実を引き寄せるような……例えば風をこちらに吹かせて転がすようなことはできない?」
「できる。やってみる」
ヴィーは一歩前に出て軽く手をかざした。手のひらが淡く発光して、唐辛子の木の根元で風が巻き起こる。
風に押されて地面の唐辛子が転がり始めた。ユーリは声を上げる。
「あっ、いい感じじゃない? ……うわ!? わーっ、ストップ、ストップ!」
ところが魔法の風が刺激になったのか、転がった唐辛子が炸裂した。ちょうどユーリたちに向かって吹く風が起きていたので、真っ赤な霧が流れてくる。
「へくしょん、へくしょん!」
「はくしょん!」
ユーリとポメラニアンがくしゃみをする。その横でヴィーが改めて風を操作して、それ以上の被害は拡大しなかった。
なお、ユリウスとロビンは素早く動いて赤い霧の外に出ており、無事だった。
「て、手強い……!」
ユーリは涙が溜まった目で唐辛子の木を見た。
あれは近づかなければただの無害な木である。なのに唐辛子を取ろうとしたらこの有り様だ。
「もう諦めたら? 黄色マンドラゴラがあれば、カレーは完成なんだろ?」
ロビンは呆れ顔をしている。
「そうだけど、完成を超えて究極を目指したいじゃない!」
ぐすぐすと涙をぬぐって答えるユーリに、ユリウスはハンカチを渡してくれた。
「素晴らしい探究心だね。ユーリには笑顔でいてほしいけど、泣き顔もキュートだよ。グッときちゃう」
「……それはどうも」
ユーリはユリウスのこういう軽薄な態度があまり好きではない。からかわれていると思っている。
ハンカチで涙を拭き取って、改めて唐辛子の木をにらんだ。諦めてたまるか、と思った。
コメント
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第35話、楽しく読ませていただきました!「くしゃみの木」って聞いてどんな植物かと思ったら、まさか唐辛子の木だったんですね(笑)。ポメラニアンがわざわざ案内してくれたのが可愛すぎますし、ユーリが「完成を超えて究極を目指したい」って言い張るところ、すごく彼女らしくて微笑ましかったです。くしゃみで涙目になりながらも諦めない姿に応援したくなりました。収穫方法、どうなっていくのか気になります!