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第2章『空の向こうに、声がある』
【あらすじ】
アークに乗り込んだノアは、広大な空中都市の景色と、そこに暮らす多様な人々に驚く。
そこで出会うのは、陽気な発明家チロル、無口な戦士バルト、そして“神の声”を聴く巫女ミナ。
彼女たちは皆、**「世界の共鳴を感じる者たち」**だった。
だが、ノアの共鳴は“他とは違う”と知り、彼女は自分が何者なのかに悩み始める。
その夜、ルウが囁く——
(お前の声は、“神を目覚めさせる”声だ)
ノアの心に、新たな“恐れ”と“覚悟”が芽生える。
【アークの空中回廊】
アーク——人類最後の浮遊都市船。その甲板に足を踏み入れた瞬間、ノアは息を呑んだ。
夜が明け始めた空の下、彼女の目の前にはまるでひとつの都市が広がっていた。
金属のフレームに守られた透明なドーム。その内側には街路、森、池、住宅区、そして噴水広場。人工的な空でさえ、どこか温かく、生きていた。
「……ここ、空の上だよね……?」
言葉に出すと、現実味が増して胸がざわつく。
アークは、ただの船じゃなかった。空に浮かぶ“楽園”だった。
「歓迎するよ、ノア」
横にいたクロードが肩を叩いた。彼は以前よりもずっと穏やかな表情をしていた。
「ここは“再生のための箱舟”。今、君みたいな特別な力を持った者たちが、各地から集められてるんだ」
ノアはルウと目を合わせる。
ルウもまた、警戒しつつも、空気の匂いを確かめるように鼻を鳴らしていた。
(生き物の気配がある……獣も、人も……)
ルウの心の声がノアに伝わってくる。
それは、研究所の無機質な空気とはまったく違う、まるで“大地の匂い”だった。
「このアークは3層構造になっている。今いるのが“居住区”、下に“研究管理区”、そして上に“観測神殿”がある」
クロードが指差す先、高くそびえる建造物が目に入る。天に向かって伸びる塔のようなその場所は、まるで神殿だった。
「ノアの部屋も用意してある。少し休むといい。案内させよう」
そう言って現れたのは、小柄な女の子だった。
肩までの金髪ツインテールに、白衣を無造作に羽織っている。目の下にゴーグルをかけていて、袖から工具がはみ出していた。
「やっほー! 新人ちゃん! あたし、チロル! 一応メカニックやってまーす!」
元気な声に、ノアは思わずたじろいだ。
「……あの……こんにちは……」
「うわ、かわいい反応! うちのバルトと大違いだなー! あ、バルトってのはあとで紹介するね!」
チロルはぐいぐいとノアの腕を引いて歩き出す。ルウがそれに警戒して一歩踏み出すと、彼女はすぐに立ち止まった。
「うおっ、ごめんごめん、怖くないって! オオカミさん、めっちゃカッコイイじゃん!」
ルウはちらりと彼女を見たが、特に敵意は感じなかったようで、再びノアのそばへ戻った。
歩く先、アークの回廊から見える景色はどれも鮮烈だった。空に浮かぶ庭園、光る水晶の道、宙を泳ぐ鳥型のドローン。
ノアは思った。
(ここは、檻の外……なんだ)
けれど、その美しさの裏に、なにか不穏なものがあるようにも感じた。
それはまだ、この時のノアには言葉にならなかったが——
“世界が、揺れている音”が、確かに彼女の胸に響いていた。
【世界の共鳴者たち】
チロルに導かれるまま、ノアはアークの居住区を歩いた。
通路は曲線を描き、透明な天井の向こうには、朝日が差し込んでいた。風が通り抜けるような開放感がありながら、どこか温室にも似ている。
「はいここ〜、交流ラウンジ! 昼になるとみんなここでゴロゴロしてたり、ケンカしてたり、爆発してたり!」
「爆発……?」
「ま、軽いのだけどね!」
ノアは不安になりながらも、その先のラウンジへと足を踏み入れる。
そこには様々な人々がいた。
全身黒ずくめの男、空中に小鳥を浮かべている少女、机の上でカードを並べる少年、巨大な植物と対話している女性。
彼らの放つ“気”が、普通の人間とは違っていた。
(この感じ……どこか、共鳴してる)
チロルが肩をポンと叩く。
「さ、紹介するよ〜。まず、あそこ!」
チロルが指差した先には、大きなソファに座って読書している長身の男性。銀色の髪を後ろで結び、鋭い眼差しが印象的だった。
「彼はバルト。無口だけど、めちゃくちゃ強い。戦士タイプってやつ?」
「……はじめまして」
ノアがおずおずと声をかけると、バルトは本から目を上げ、ほんのわずかにうなずいた。
「お前が“ノア”か」
低くて落ち着いた声だった。
「共鳴の力、どれくらい使える?」
「えっと……まだ、よくわかってないけど……動物の気持ちを感じたり……」
「ふむ。なら、君は“触覚型”だな。言葉でなく、波で感情を読むタイプ」
バルトはさらりと説明する。
「この船には、共鳴を扱える者が何人もいる。ただ、その質と系統はバラバラだ。“見る”者、“聴く”者、“導く”者……」
ノアは思わず問う。
「……“導く”?」
「そう。そういう者の力は、他人の心を動かす。“神の声”に近いとされる」
「神の……」
その響きに、ノアの胸がざわついた。
バルトが目を細める。
「君の名は“ノア”。それだけで、注目の的だよ。名前と力が一致する……それは、運命を意味することもある」
そこへ、ラウンジの奥から別の声が響いた。
「怖がらせちゃだめよ、バルト。まだ来たばかりの子なんだから」
現れたのは、長い黒髪の女性。優雅で、静かな足取り。
首元に吊るされた水晶のペンダントが、微かに光っていた。
「はじめまして。私はミナ。ここでは“巫女”と呼ばれているわ」
ノアは緊張しながらも頭を下げた。
「……こんにちは。ノアです」
ミナはにっこりと微笑み、そっとノアの手を取った。
「あなたの手、少し震えてる。でも、熱を感じる。いい兆候ね。共鳴の感度が高い証拠」
ノアの頬が赤くなる。
「あなたは、まだ気づいていないだけ。きっと、あなたの“声”は——とても遠くまで届くはず」
その瞬間、ノアの胸の奥で、何かが小さく鳴った。
——カン……という、澄んだ鐘の音のようなものが。
ノアはまだ、それが“運命の音”であるとは知らなかった。
【巫女ミナの“神の声”】
夕暮れが近づくころ、ミナはノアを静かな場所へと誘った。
場所はアークの最上層、観測神殿。ドーム状の天井からは、空が一望できる。
祭壇のような円形の広場。その中央に、水面のように光を反射する円盤が埋め込まれていた。
「ここは、“空の耳”と呼ばれている場所よ」
ミナは円盤にそっと手を当てた。
「この円は、空や風の音、そして“神の声”を反響させる構造になっているの」
「神の声……」
ノアはその言葉に、また胸がざわついた。
ミナは優しく語り続ける。
「世界は、かつて神に祈っていたわ。雨が欲しいとき、命を救ってほしいとき。
でも今、神の声を聴く人はほとんどいない。人々は、耳を塞いでしまったから」
ノアはそっと円盤に近づいた。そこから放たれる微かな振動が、心を撫でるようだった。
「でも、ごく一部の者だけが、まだ声を受け取れる。私も、そのひとり。
私は“共鳴”によって、神の存在に触れているの」
「それって……本当に、いるの?」
ミナはしばらく空を見上げ、そして答えた。
「“神”は、きっとひとつの意志じゃない。風のようなもの。怒るときもあれば、優しく寄り添うときもある。
でも確かに、“何かがこの世界を見ている”と、私は感じるの」
ノアはミナの横顔を見つめながら、胸の奥にある震えを言葉にしようとした。
「わたし……時々、名前を呼ばれる気がするの。“ノア”って。誰の声でもないのに、はっきりと、心に響いて……」
ミナはゆっくりと頷いた。
「それは、“呼ばれている”のよ。
この世界が、あなたの存在に気づいている。だから、名を呼ぶの」
「……でも、怖い。応えたら、何かが壊れてしまいそうで……」
ミナはノアの手を握った。
「怖いと思うのは、あなたが“感じている”証。恐れは、感性の証明よ。
でもその恐れを越えたとき、あなたの声は——神に届く」
その言葉のあと、円盤の中心から一筋の光が立ち上った。
まるで誰かが応えたかのように——空が、静かに鳴いた。
ノアは空を見上げる。
(わたしの声が……届いた?)
遠くで、ルウがこちらを見上げていた。
その瞳には、誇りと不安と、そして微かな祈りのような光があった。
【揺らぐ心、選ばれた理由】
その夜、ノアは眠れなかった。
部屋の天井は透明で、星が瞬いている。
浮遊船の高度では、地上とは違う星の瞬き方があった。けれど、それさえも彼女にとっては未知の風景だった。
ベッドの上、ノアは抱えた膝に額を押し当てる。
「……選ばれたって、何? わたしに何ができるの……?」
巫女ミナの言葉が心に残っていた。神の声、呼ばれる名。
まるで世界の運命が、自分にのしかかってくるような重さだった。
その時、部屋の端に黒い影が現れる。
「……ルウ?」
彼は静かに部屋に入り、彼女の横に座った。
(お前の声、今日は響いていた)
「……聞こえた?」
(わずかに、な)
ルウは星を見上げる。
(けど、迷っている)
「うん……だって……あんなにすごい人たちばかりなのに、私だけ、何もできてない気がするの……。
チロルみたいに明るくもないし、バルトみたいに強くもない……ミナみたいな信念も、ない……」
ルウはしばらく黙っていたが、やがて言った。
(お前は、生き残った)
「……え?」
(研究所で、お前は“檻”にいながら、壊れなかった。
声を忘れず、俺とも繋がっていた。それが“強さ”だ)
ノアは目を伏せたまま、唇を噛んだ。
「でも……それじゃ足りないんじゃないかな……。この先、戦うこともあるんでしょ? 誰かを守るには……」
ルウはゆっくりと首を横に振る。
(守ることと、壊すことは違う。お前の声は、壊すためじゃない。
——“呼ぶ”ための声だ)
「呼ぶ……?」
(俺たちを、世界を。繋がりを思い出させる声)
その言葉が、ノアの胸の深くに沈んでいく。
彼女は小さくつぶやいた。
「……それでも、わたしはまだ怖いよ。期待されるのが……応えられなかったらって……」
するとルウは、ひとつだけ笑うような気配を見せて言った。
(なら、俺がいる)
ノアの肩が小さく震える。
彼女は目元を手の甲で拭い、かすかに笑った。
「……ずるいな、それ。そんなふうに言われたら……がんばるしか、ないじゃん……」
外では、浮遊船の軌道が静かに変わり始めていた。
朝が近づく。
ノアは、また一歩——心の檻から出ようとしていた。
【そして、空が呼ぶ】
朝の光が、浮遊船アークのドームを染めていた。
ガラス越しに差し込む陽光は、まるで新しい旅路への祝福のようだった。
ノアは自室の窓際に立ち、静かに空を見上げていた。
その背後には、ルウの気配。彼は変わらず無言で、ノアの肩越しに空を見ている。
「ねえ、ルウ。空って……毎日、同じようで、ちょっとずつ違うんだね」
(風が違えば、匂いも変わる)
「昨日より、ちょっとだけ遠くまで見える気がする。……私の心が、昨日より広くなったのかな」
ルウは答えずに、優しく尻尾を揺らした。
そこへ、チロルが元気よく部屋に飛び込んできた。
「ノアちゃーん! 準備できた? 今日からいよいよ、出発だよー!」
「えっ……今日?」
「うんうん、目的地は《試練の島》! “共鳴者”としての適応テストってやつだね。ま、そこまでガチじゃないよ! たぶん!」
不安げに目を見開くノアを見て、チロルは肩をすくめる。
「バルトもミナも参加するし、あたしも機材係で行くから安心して! 何かあったら、ガッツン!って助けるし!」
その言葉に、ノアは少しだけ笑った。
「ありがとう……うん、がんばる」
そうして一行は、アークの出発ゲートへと向かった。
そこには既にバルトとミナが待っていた。
バルトはいつものように無言で、ミナは優しく微笑んでいる。
「不安なときは、空を見上げるといいわ。空は、私たち全員とつながっている」
ノアはうなずく。
そして浮遊艇《ルーン》に乗り込むと、風を裂くような振動とともに、船が動き出す。
眼下には、雲と光が入り交じる空の海。
ノアは振り返らず、前だけを見ていた。
「ルウ、聞こえる?」
(ああ)
「今ね、胸の奥が……ポカポカしてるの。たぶんこれが、“恐怖”じゃなくて、“希望”ってやつだよね」
ルウは何も言わず、その隣で同じ空を見つめていた。
遠く、試練の島が見えてくる。
草原と岩場、霧に包まれた森。そしてその中央にそびえる、“共鳴の塔”。
その時、ノアの中で何かが、確かに呼ばれた気がした。
——“ノア”。
それは恐ろしいほどに静かで、でも心の奥にまで届く声。
ノアは胸に手を当て、そっとつぶやく。
「わたし、ちゃんと答えられるようになりたい」
ルウの瞳が、そっとノアを見た。
(なら、ここから始めよう)
浮遊艇は、青と白の境界線を越え、島へと降下していく。
空が再び、彼女を呼んでいた。
第2章・完