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下手したら自分の鼓動の音が結葉に聞こえてしまうんじゃないかと内心ドキドキの想だ。
だけど、〝鎮まれ、鎮まれ〟と意識すればするほど、心臓がうるさく騒ぎ立てる悪循環で。
「ねぇ、想ちゃん。もう……寝ちゃった?」
だから結葉にポソポソとささやくような声音で話しかけられたとき、心臓が口から飛び出てしまいそうなくらいびっくりしてしまった想だ。
さすがに表には出さないように頑張ったつもりだけれど、「いいや」と応えた声が、自分でもやけに上ずっているように感じられて。
(結葉は俺の今の声、変に思っていないだろうか)
そんなことを思いつつ、
「久々にお前と寝てるからかな。興奮してなかなか寝付けねぇわ」
努めて平常心を心掛けてそんなことを言ってみる。
「わぁ〜。想ちゃんも? 実は私も……なの」
結葉がゴソゴソと動く衣擦れの音がして。
彼女が寝返りを打って、自分の方を向いた気配を感じた。
想は自分だけが結葉に背を向けているのもおかしい気がして、一度だけ心の中でスーハースーハーと大きく深呼吸をすると、そそくさと結葉の方へ向き直る。
そうしてみて、ベッドの段差のお陰で向かい合う形になってもお互いの顔がよく見えないのが有難いな、と思った想だ。
これが横並びに布団を敷いて、だったりしたらと考えたら、それだけでザワザワと胸の奥が騒いだ。
(昔は同じ布団に入って寝たこともあるっちゅーのにな)
想は子供の頃の無邪気な自分に戻れ、と頭の中で必死に念じた。
今はどうしても結葉を異性として意識してしまっていけない。
今夜結葉が着ているのは、前が開襟になったモコモコの白いパジャマで、控え目に言ってもふんわりした結葉の印象にとてもよく似合っている。
***
風呂上がり、泣いた影響だろう。
ほんの少し鼻が赤くなっていて、目元を泣き腫らしてトロンとさせた結葉が、上気した肌にそのパジャマを纏って出てきた姿はなかなかにパンチ力があって。
自分とは違うフローラル系のシャンプーの甘い香りがふんわりと漂うのに加えて、艶やかな黒髪が少し湿り気を帯びているように見える結葉は、思わず想が息を呑んでしまうぐらい色っぽかった。
結葉が風呂から上がったら飲ませようと準備していたキンキンに冷えたミネラルウォーターを、思わずコップに溢れるくらいなみなみと注いでしまって、慌ててこっそり流しに捨てた想だ。
「……これ、水分補給な」
言ってグラスを手渡すとき、コップを持つ手が震えそうになって困ったのを思い出す。
***
その結葉が、すぐそばに寝そべっているのだと思うと、意識するなという方が無理な話なんじゃないかと、想は半ば諦めるように小さく吐息を落とした。
「あのね、少しおしゃべりしない?」
眠れないから話をしようと結葉が誘ってくる。
それは幼い頃にもよくやった光景だ。
違うのは、結葉のことを意識している想の心の中だろうか。
「おう」
その緊張を隠すように短く応じたら、結葉が小さく溜め息を落とした。
「想ちゃん、芹ちゃんがいないからかな。何だか私、すっごく緊張してる。変……かな」
想は一瞬、自分の心のうちを見透かされてしまったのかとドキッとして。
でも主語が「結葉」だったことに気付いてハッとする。
「いーや。俺も同じだから……別に変じゃねぇだろ」
もう子供の頃のように無邪気に戯れ合うのは無理なんだな、と今更のように実感させられた二人だ。
「私ね、偉央さんに出会う前は……ずっと想ちゃんに片想いしていたの。――ふふっ。知ってた?」
どこか悪戯っ子のように小さく笑う結葉の声に、想は(マジかよ)と思わずにはいられない。
兄妹のように接してきた女の子だから、想は自分の中に芽生えた恋心を必死で隠してきたのだ。
幼なじみという生ぬるい関係を壊したくなくて。
なのに――。
もし自分がもっと勇気を振り絞っていたら、ふたりの未来は変わっていたのだろうか。
そう思わずにはいられない。
だが、悲しいかな。過去はどんなに足掻いても変えられない。
では未来は――?
「俺も……ずっと結葉のこと好きだけどな。……お前こそ知らなかっただろ」
極力何でもない風を装って告げたけれど、想の心臓は、口から飛び出しそうなぐらいバクバクいっていた。
***
(びっくりしたぁ〜っ)
いきなり想から「好き」だのなんだの言われた結葉は、思わず呼吸をするのを忘れてしまうぐらい驚かされてしまった。
確かに想は幼い頃から、それこそ今日に至るまでずっと、結葉にとことん甘々で優しかったけれど、それは実妹の芹に対しても同様で。
大きくなってからも変わらず〝妹扱い〟されていると感じていた結葉は、想への恋心を持て余した結果、想のそういう言動に異性扱いされていないと感じて切なくなったりしていたのだ。
なのに――。
「もぉ、想ちゃんったらぁ! そんな素振りちっともなかったのに……。冗談が過ぎるよぅ! 危うく信じそうになっちゃったじゃない」
きっと、結葉が緊張のあまり変なことを言ってしまったから、想もそれに合わせてくれただけなのだ。
(ちょっぴり変な間があいちゃったけど、ちゃんと冗談として受け止めたよって感じで返せたかな?)
薄暗がりの中。
自分はベッドの上。
想はそれより三十センチ以上低い床の上にいるから、きっとドギマギしてしまっている結葉の表情は見えないと思う。
思うけれど、何だか恥ずかしくて布団を額の辺りまで引き上げてしまった結葉だ。
一応自分の恋心は偉央との出会いをキッカケに一旦ひと区切りつけたよと言うつもりで、「好きだった」と告げた結葉だったけれど、想の方はまるで現在進行形ででもあるかのように「好き」表現だったことにも結葉はソワソワさせられている。
偉央とのこともまだ片付いていないというのに、元々大好きだった想からそんなことを言われて、不埒にもときめかずにはいられなくて。
でも同時に、こんな大変な時に何を浮き足立っているの⁉︎と自分を諌めるもう一人の自分がいることも確かだった。
***
結葉に冗談と言い切られた想は、「本気なんだけど?」という言葉をグッと喉の奥に押さえ込んだ。
考えてみれば、いま結葉は旦那とのことで頭が一杯のはずなのだ。
それなのに。
(こんな時に俺の気持ちを押し付けられても困るだけだよな)
と反省して。
「そりゃ~お前がいきなり『好きだった』とか言ってくれるからさ、こっちだってそう言いたくもなんだろ」
わざとククッと笑って軽口を叩くみたいにそう返したら、結葉が「うん。ごめんね」とどこかくぐもった声で返してくる。
ふと視線を転じてみたら、どうやら結葉、布団の中に潜り込んでしまったらしい。
(動揺……させちまったか)
何だかすごく申し訳ない気持ちがしてしまった想だ。
結葉が謝ってきたから、それに便乗するように「俺のほうこそ調子に乗り過ぎた。悪かったな」と、まるでいまの告白自体結葉が言うように〝冗談だったのだ〟と認めるような言葉を返してしまう。
本心を押し殺してまた嘘をついてしまったからだろうか。
ギュッと胸の奥が痛んで。
(俺、こうやって結葉のこと、他の男に奪られちまったんだよなぁ)
思ったけれど、過去を悔やんでも仕方がないと、小さく吐息を落とすついで。
そんな後悔も、思い切って身体の中から追い出してしまう。
タイミングの良し悪しはあるだろうけれども。
結葉がこのまま旦那と訣別して……。
晴れて独身になったなら。
その時こそはちゃんと茶化さず自分の気持ちを結葉にぶつけよう、と心に誓った想だった。