テラーノベル
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雪がちらつく帝都の朝は、吐き出す息さえも白く凍てつき、瞬きをする間にまつ毛が凍りついてしまいそうだった。
「……っ!」
たらいに張った水の中に手を浸した瞬間、指先の感覚が麻痺していく。
千歳は家族全員分の洗濯物を冷水に浸しながら、あまりの痛さに奥歯を噛み締めた。
帝都の東西通りに建てられた豪華な屋敷は、千歳の父である斎宮権蔵が所有する本邸。
だが、石造りの壁で囲まれた裏庭の洗濯場は、日の光も届かない凍えるような場所だった。
「……冷たい」
思わず漏れた独り言は、誰にも聞かれることなく冬の空に消えていく。
千歳に与えられているのは離れの物置小屋と、家族の食べ残しだけ。
斎宮家の長女として生まれながら、千歳の扱いは下男以下の使用人だった。
じわり、と千歳の左の頬が疼く。
分厚いおしろいで塗り潰したはずの『痣』が、外気の冷たさに呼応するように内側から不気味な熱を帯びた。
「あら、お姉様。まだ洗濯? 相変わらず愚図ね」
くすくすと馬鹿にしたような笑いが聞こえた千歳はゆっくりと振り返る。
最高級の狐の襟巻きを纏った義妹の百合子と義母からかじかんだ指先を隠すように、千歳は深くお辞儀をした。
百合子は買ったばかりの編み上げブーツで、千歳がようやく洗い終えた洗濯物が入った籠を蹴飛ばす。
「あら、ごめんなさぁい。うっかりぶつかってしまったわ」
「あらあら、百合子ったら」
義母は袖で口元を隠しながら、地面にぶちまけられた洗濯物を草履で踏みつけた。
「おまえは本当に器量も要領も悪いわね。おまえのせいで死んだあの汚らわしい母親とそっくりだわ」
義母の吐き捨てるような言葉が、冷水よりも鋭く千歳の胸を突き刺す。
母の死は、自分のせい。
不吉な痣を持って生まれた私の呪いのせいで、母は命を落としたのだ。
生きているだけで周囲を不幸にする迷惑な存在の自分。
屋敷の敷地内に居させてくれているのは父の慈悲だと、千歳はみんなから言われ続けて育った。
「すぐ洗い直しなさい」
泥だらけになった足袋を蹴飛ばし、二人は楽しげに笑いながら去っていく。
千歳は震える手で洗濯物を拾い上げた。
「千歳! 千歳はそこにいるか?」
「は、はい。裏庭にいます」
ドタドタという足音と共に本邸の扉が勢いよく開き、父が千歳を見下ろす。
泥にまみれた洗濯物を抱える千歳を眉ひとつ動かさずに見下ろした父は、手にした書面を突きつけるようにして言い放った。
「身支度を整えろ」
「……え?」
「おまえの嫁ぎ先が決まった」
嫁ぎ先……?
こんな不吉な痣を持つ自分を誰が娶るというのか。
「おまえには神楽坂へ行ってもらう」
帝都を護る最強の武門であり、当主の神楽坂鷹臣はあやかしをも凌駕する『鬼神』として恐れられる男。
神楽坂の屋敷に行った者は、男女問わず一晩も持たずに精神を病むか、あまりの恐ろしさに即座に逃げ出すと噂されている。
「社交界の女帝、鳳公爵夫人たっての縁談だ」
何があっても絶対に帰って来るなと、千歳は父に念を押された。
「神楽坂が望んでいるのは、あやかしを鎮める生贄」
父の目には娘を嫁に出す悲しみなんてものは微塵もなかった。
あるのは、厄介払いができるという安堵と、この縁談で鳳家や神楽坂家に恩を売ったという浅ましく冷酷な計算だけ。
「ついでにおまえの呪いで神楽坂を破滅させてこい」
神楽坂家が没落すれば、斎宮家が空いた地位を手に入れることができるのだと、父は口の端を上げる。
「おまえの薄気味悪い痣のせいで、名門だったこの斎宮家が傾いたのだ」
責任を取れと冷たい目で見下ろしながら、父は書面を千歳に放り投げた。
雪は次第に激しさを増し、千歳の視界を白く染めていく。
誰からも愛されず、誰にも必要とされなかった人生の最期は鬼神の生贄。
もし許されるなら、死ぬ前に一度でいいから誰かに優しく抱きしめられたい。
叶わぬ願いとはわかっているけれど。
「……はい」
千歳はその一言を絞り出すのが精一杯だった。
震える身体を隠すこともできないまま千歳は深く頭を下げる。
目から零れ落ちた大粒の涙が雪の上に落ちたが、背を向けた父に気づかれることはなかった。
◇
雪が舞う夜。
逃げないようにと両手を縛られた千歳が乗った馬車は、帝都の街外れにある森に囲まれた大きな屋敷の前で止まった。
千歳だけ置き去りにし、さっさと走り去ってしまった実家の馬車。
千歳は唯一の荷物である古びた小箱を縛られたままの腕で必死に抱きしめながら、屋敷の重厚な正門を見上げた。
父の命令通り、左頬の痣を隠すために何度もおしろいを厚く塗った。
長い前髪で左頬を隠し、さらに夜だというのに市女笠を深々と被り、顔を隠すために付けられた白い布が、吹き付ける冷たい風で揺れている。
こんな真冬の夜にするような姿ではないことは重々承知しているが、父の命令に背くことはできなかった。
「……誰だ?」
門の奥から現れたのは、松明の火に照らされた一人の男だった。
漆黒の軍服に金ボタン、肩にかけられた外套。
雪を踏む軍靴の音。
「……斎宮、千歳と申します」
初めて名乗る斎宮の姓。
縛られた手首に食い込む縄が雪を含んで硬く締まる。
痛みを堪えるように身を縮めたその時、巨大な門扉が重々しい地響きを立てゆっくりと開かれた。
ぎゅぎゅっと軍靴が雪を踏みしめる音が近づいてくる。
男は千歳の目の前で足を止めると、顔を隠す白い布を躊躇いもなく払いのけた。
「あっ……!」
風に煽られ市女笠が雪の上に落ちる。
あらわになった千歳の姿を、男の鋭い眼光が射抜いた。
男は千歳の左頬に施された不自然なほど白い化粧をじっと見つめ、震える千歳の顎を軍手に包まれた指先でくいっと持ち上げる。
男は頬へ指先を滑らせると、ひび割れたおしろいをなぞり、その下の「痣」をなぞっていく。
千歳は身体を震わせながら、ぎゅっと目を閉じた。
あぁ、ここで殺されるのだわ。
呪いだと罵られ、雪の中に捨てられるのだろう。
そう覚悟した千歳の耳に届いたのは、意外なほど低く穏やかな声だった。
「こんな冷たい雪の中にこんな薄着で、あまつさえ縛り上げて捨て置くとは」
千歳の手首に冷たい何かが触れたと思った瞬間、手首に食い込んでいた縄が引きちぎられる。
驚いた千歳が目を開けると、目の前の短剣を持った男と目が合ってしまった。
あの短剣で刺されるの……?
小箱をギュッと握りしめた千歳は震えながら身構える。
「その化粧の下に何を隠しているのか、ゆっくりと暴かせてもらおうか」
男は外套を脱ぐと、震える千歳の肩を包み込むように引き寄せた。
死を覚悟したはずの夜。
それなのに、初めて自分に触れた鬼神の体温は温かかった――。
#心理戦
鬼霧宗作
94
#成り上がり
aohana
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カイガ
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コメント
1件
うわぁ…読了したよ…😭💔 和泉さんの新作、もう1話目から胸がぎゅーってなった…! 千歳の境遇が辛すぎて、雪の冷たさとか家族の冷たい言葉が心に刺さった…。でも最後の鬼神さまの「温かかった」に一気に希望が見えた瞬間、鳥肌立ったよ…! 化粧の下の痣、どう暴かれるんだろう。続きが気になりすぎる…!!🌸✨