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『この時間は、誰にも渡したくなかった』
放課後のチャイムが鳴った頃、姫那は図書室に向かうつもりで教室を出ようとしていた。
そのとき──
「姫那さん、今日って、ちょっと時間ある?」
振り返ると、廊下の壁にもたれた湊が、やわらかく笑っていた。
「……あるけど、どうしたの?」
「行きたいところがあるんだ。一緒に、どう?」
姫那は少しだけ戸惑いながらも、その言葉に頷いた。
•
向かったのは、学校の近くにある静かなカフェだった。
放課後の空気がまだ残る店内は、人も少なく、落ち着いた雰囲気。
「ここ、前の学校の近くにあってさ。姫那さんと、なんとなく来たくなった」
そう言って、湊は窓際の席を選んだ。
「……なんで、私?」
姫那がそう尋ねると、湊は真っ直ぐに目を合わせてきた。
「姫那さんと話すと、自分がちゃんと“自分”でいられる気がするんだよね」
その言葉に、胸がぐっと熱くなった。
翔にも、こんなふうに言われたことはなかった。
翔の隣は安心する。でも、湊の隣は、心がくすぐったくて、ドキドキする。
窓の外に映る夕焼け。
カップから立ち上る湯気。
ふと、湊が言った。
「もし迷惑じゃなかったら、またこうやって一緒に過ごしたいなって思ってる」
姫那は一瞬、言葉を失った。
その優しい声は、まっすぐに彼女の胸に届いていた。
(これって……)
わからない。
でも、確かに“誰かに求められている”ことが、
こんなにもあたたかいものだと、初めて知った。
•
その帰り道──
遠くから、カフェを出るふたりを見つめていた影がひとつ。
翔だった。
傘も差さずに立ち尽くす彼の頬を、冷たい雨が静かに濡らしていた。