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井野匠
さくらぶ
27,672
私が目を覚ますと、翠雨に治療してもらった時と同じように、爽やかな気分になっていた。
幼い頃から続いている体調不良が、嘘のように身も心も軽くなっている。
白川流霊枢治療の雨祓いは、精神科医に何年通っても治らなかった病に、劇的な変化をもたらした。
ドラッグでも同じ効果が得られそうだが、パパの遺言書に、一度でもドラッグを使うと、遺産が相続できないという条項が入っているので、ドラッグは絶対に使えない。
だから、ドラッグより遥かに高額な治療費を払わされても、私は、白川流霊枢治療を心から信頼している。
それに、お金は腐るほど持っているのだから、いくら高くても気にならない。
しかし、前回の治療で翠雨から、その雨祓いが対症療法でしかないと知らされた。
信じられなかった…
雨祓いよりも、更に効果の高い治療が存在するのなら、是非、試してみたい。と翠雨に切望すると、「その治療を施せるのは世界に一人だけだ」と断言して、紹介状を書いてくれたのだ。
ただ、紹介するに当たって、一つだけ不思議な条件が付けられた。
それは、「翠雨の代理人が連絡するまでは、白川鍼灸治療院への訪問を控えて欲しい」というものだ。
何故、翠雨本人ではなく代理人なのだろう?
それに、待機させられる意味も全く理解できなかった。
そして、一ヶ月以上も待たされた挙句、代理人から連絡が入ってきたのだが、今でも、その条件の意味は理解できていない。
まあ、その時間を利用して、日本観光を十分に満喫したのだから、何の文句もないのだが…
しかし、こんな粗末な鍼灸治療院で、本当に雨祓いよりも効果の高い治療を施すことが出来るのだろうか?
その上、京都の白川邸にある治療所とは、比べものにならないほど設備が貧弱だった。
建物だって今にも崩れそうだ。
そんなことを考えていると、若いドクターが笑顔で「気分はどうですか?」と聞いてきたので、私も作り笑いを浮かべながら、「最高です」と答える。
すると、彼が翠雨と同じように、「僕と少し話をしましょう」と言ってきたので、戸惑うことなく「イエス」と頷いた。
若いドクターが流暢な英語を使って喋り始める。
「ルナさんは四歳の頃、警察官になったつもりで、ごっこ遊びをしていると、持ち出した父親の拳銃が暴発して、母親を死なせてしまいます。
それからのルナさんは、母親を死なせたという罪の意識から、長い間、良心の呵責に苛まれてきました」
この言葉に、アシスタントの女性は驚いて、両手で口元を覆っているが、私は全く驚かなかった。
何故なら、前回の治療でも翠雨に同じことを指摘されたからだ。
それに、この事件は悲惨なニュースとして世間を騒がせたので、私の知り合いなら誰でも知っている。
きっと、日本語で書かれた紹介状には、治療の申し送りがあったのだろう。
しかし、私の冷めた反応を無視して、若いドクターは、話をどんどん前に進めていく。
「僕は、ルナさんの中にあった増え過ぎた邪気を体内に取り込みました。
しかし、邪気だけを取り込んだ訳ではありません。
取り込んだ邪気の中には、聖気のカケラや人間の思念なども含まれているのです。
その中に、ルナさんの母親と父親の思念が残されていました。
その声を聞いてみたいですか?」
この言葉に私は驚いた。
そんなことは、翠雨の治療でも告げられていない。
この若いドクターは、本当のことを喋っているのだろうか?
私の周りにいる大人は、誰一人として信用できない。
みんな、パパの残した莫大な遺産を虎視眈々(こしたんたん)と狙っている。
私を守ってくれるのは、飛び級で入った大学での知識と、パパが残してくれた資産管理のプロ集団である「ルナチーム」だけだ。
チーム名は、パパが付けたからダサいけれど、一流の弁護士や会計士、銀行や証券会社に加えて、有名なファンドマネージャーもメンバーに名を連ねている。
だから、簡単に大人の言うことを信じたりはしない。
「亡くなったママやパパの思念が残されているってどういうこと?
死んだ人間の思念が何年もの間、私の中に残っていたというの?」
若いドクターは、私の疑念に嫌な顔ひとせず、優しい笑顔で答えてくれる。
「母親が亡くなった時、ルナさんは幼かったから覚えていないかもしれませんが、至近距離から母親の返り血を浴びていたのです。
人は、死に際に強烈な思念を発生させます。
ルナさんの母親のように、事故の場合なら尚更です。
だから、母親の返り血に含まれていた思念が十年以上もの間、ルナさんの体内に残っていました。
父親のことは、ルナさんも鮮明に覚えていますよね。
拳銃自殺です。
その時も、自宅で銃声を聞いたルナさんが第一発見者となり、救急車が到着するまでの間、父親の出血を止めようと、必死で止血作業を行なっていました…」
私は混乱していた。
ママの事件はニュースになっているから、調べようと思えば簡単に調べられるが、パパの死因については、厳しい緘口令が敷かれていたので簡単には調べられないはずだ。
しかも、私は予約を取らずに突然訪ねて来たから、事前に調べることも出来ない。
仮に、何らかの方法で自殺を特定できたとしても、その方法や状況は私しか知らないのだ。
それに気付いた時、私は総毛立っていた。
この若いドクターは本物かもしれない。
そう思った私は、咄嗟に「ママとパパの残した思念を聞かせてください」と頭を下げていた。
すると、笑顔だった若いドクターの表情が急に険しくなる。
まるで、何かに取り憑かれているみたいだ。
口調も先ほどとは打って変わって、厳しい物言いになっていた。
「ルナ。私を殺したのはアナタじゃない。
アナタは、拳銃を握りながら驚いた顔で私を見ているけど、ほら、アナタの背後にしゃがみ込んだ夫が撃ったのよ。
ご丁寧に手袋をはめて、アナタが持っている拳銃と同じ、三十八口径のリボルバーを握っているわ。
ルナ、私を殺したのはアナタじゃない!」
驚いた私は、「嘘よ!」と叫んでいた。
「アナタは、私の罪悪感を取り除く為に、作り話をしているのよ!
私のパパが、ママを殺して、その罪を私に擦り付けたっていうの?
そんなことあり得ないわ!」
若いドクターは、私の反論を優しい笑顔で受け止めながら、静かに首を振り、私の反論を否定した。
「間違いなく、君の記憶は作り変えられている。
銃声と父親の怒鳴り声に驚いた君が、拳銃をすり替えられたのに気づかないのは当然だが、父親が、君の身体に煙硝反応を残す為に、消音器を付けた拳銃を、君の手の中でもう一度発砲させたことは完全に忘れている。
救急車が到着するまでに消音器を外し、発射された薬莢を新しい弾丸に入れ替えて、服を着替えれば、それで終わりだ。
警察は、拳銃の弾道、線条痕、煙硝反応などから、この事件を痛ましい事故だと判断した」
私の記憶が次々にフラッシュバックする。
確かに父親はあの時、黒いビニール手袋をしていた。
私は、バーベキューグリルを使っていたからだと思っていたが、お店ならともかく、家庭で使うのは不自然だ。
パパが私に拳銃を撃たせたというのは、どうしても思い出せないが、私の記憶に不審な点が多いのも事実だった。
それに、パパがビニール手袋と上着をバーベキューグリルの中に放り込んで燃やしたのは、どう考えても説明がつかない。
そう考えると、言い知れぬ怒りが湧き上がってくる。
私は、パパに騙されていたの?
自分の罪を擦りつけて、私に、地獄の苦しみを味あわせておきながら、自分は罪を免れて、のうのうと生きていたというの?
私は、若いドクターに思わず叫んでいた。
「パパの、パパの思念を聞かせてください!
あの男の見苦しい言い訳を聞いてみたいわ!」
私の激しい怒りを前にしても、若いドクターは優しく頷いてくれる。
そして、柔らかい声音で喋り始めた。
「ルナ。本当にゴメンよ。
長い間、君を苦しめてしまって…
ママを殺したのは君じゃない。
実は、私なんだ。
それなのに、君に罪を擦り付けて苦しめてしまった…
本当に申し訳ないことをしたと思っている。
言い訳をするつもりはないが、私の話を聞いて欲しい。
私の妻エミリーは、代理ミュンヒハウゼン症候群だった。
ルナも聞いたことが有るだろう。
子供の身体をわざと傷付けたり、病気になるように仕向けて、その子供を健気に看病する親を演じながら、周囲の同情や注目を集めようとする精神疾患だ。
愚かなことに、私は、小さい頃から入退院を繰り返すルナを、単純に、身体の弱い子供だと思い込んでいた。
しかし、これはエミリーだけの罪ではない。
自らの事業を拡大させることに夢中で、家庭を顧みなかった私にも責任の一端が有る。
いや。全ての責任が私に有ると言っても過言ではない。
私が普通の父親なら、もっと早くに妻や娘の異変に気付けたはずなのに…
ただ、今考えれば他に、もっとやりようが有ったとは思うが、あの時は、ルナを長年苦しめてきたエミリーに、強い憎しみを抱いていてしまったのだ。
そして、その事実を知った時、ルナに危険が迫っていた。
あの日も、ルナが退院して三日目だったので、そろそろエミリーが動き出す頃だ。
もう一刻の猶予も残されていない。
私は計画を実行した。
ルナを守る為とはいえ、母親が死んで父親が殺人罪で捕まれば、ルナが更に不幸になってしまう。
だから、自分が捕まらないように事故に見せかける必要があった。
計画を立ててしまうと、実行するのは意外と簡単だった。
ルナに空の拳銃を渡して、カチカチと空撃ちをさせてから、「君は警察官だ。犯人役のママを驚かせてやりなさい」と言えば事が始まる。
私は、ルナの背後から同じ高さにしゃがみ込んでエミリーを撃つ。
撃ち終わった拳銃に消音器を取り付ける。
銃声に驚いているエミリーの銃を、怒鳴りながら取り上げるフリをして、消音器をつけた拳銃をルナの手の中で再び発砲した。
発砲音はほとんどしなかったし、発砲の衝撃は私が手を添えていたから、何も感じなかったはずだ。
後は、二発撃った弾を、一発だけ撃ったように見せかける為に、拳銃に残っていた薬莢を新しい弾丸に入れ替える。
こうしてルナに、間違った事故の記憶を擦り込んだのだ。
しかし、全てが完璧だと思われた計画にも、少しずつ綻びが見え始める。
私は、幼いルナが事故の記憶など直ぐに忘れて、健康に育ってくれるものと信じていた。
しかし、ルナは何年間も事故のトラウマに苦しめられてしまう。
それは、私にとっても大きな苦痛だった。
ルナの苦痛が増す度に、私の苦悩も大きくなっていく。
更に、その苦しみに拍車を掛けたのが周囲の反応だった。
センセーショナルな事故だったから、報道の熱は中々冷めなかったし、周囲の噂も簡単には消えなかったのだ。
可哀想なルナは、母親殺しの汚名を着せられたまま、周囲から好奇の目を向けられてしまう。
そして、私自身も妻を殺害したという自責の念に加えて、娘に無実の罪を着せてしまったという罪悪感に苛まれていた。
苦しくて悲しくて、自らの命を早く終わらせたいと願ったが、残されたルナのことを考えると、すぐには死ねない。
ルナに、経済的な苦労を背負わせないためにも万全の準備が必要だった。
だからこそ、私の事業や資産が確固たるものとなり、サポート体制も万全になったとき、私は、自らの命に終止符を打ったのだ。
当然、死ぬときは拳銃を使うと決めていた。
何故なら、殺害した妻と同じ痛みと恐怖を味わうためだ…
それに、ルナにも死んで詫びたかった。
ルナ。どうか、この愚かな父を許して欲しい。
そして、事故のことなど忘れて、君だけは幸せに暮らして欲しい…」
私は、パパの思念に腹を立てて、相手が若いドクターであることも忘れて、思わず叫んでしまう。
「パパは何も分かっていない!
私は、お金なんて欲しくなかった。
大きな家も、豪華な車も、贅沢な暮らしなんて望んでいなかった!
ただ、パパと一緒に暮らしていたかっただけなのに…
他には、何もいらなかった。
それなのに、私を守る為に勝手に罪を犯して、黙って逝ってしまうなんて…
私は、とうとう独りぼっちになってしまったじゃないの!」
そう叫んだ瞬間、私の中に有った、何かとても不快な塊が粉々に砕け散っていた。
すると、私は子供みたいに大声で泣き始める。
大人の世界で、大人と張り合って生きてきたのに、張り詰めていた心の糸が切れて、しゃくりあげるように泣き続けた。
みっともないと思いながらも、どこか清々しい気持ちが込み上げてくる。
子供が、子供らしく生きるというのは、案外、大切なことなのかもしれない…
私は、子供なのだから、悲しい事が有れば我慢せずに、こうして泣けば良いのだ。
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