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週末、空は薄曇りだった。遠くで風が揺らす木々の音が
まるで囁きのように響いている。
梓は、京王八王子駅からバスに揺られ、山裾の小さな集落で降り立った。
行き先は、地図にすらはっきり載っていない“場所”だ。
夢に何度も現れた、あの歪んだ日本家屋のような建物。
実在するかどうかもわからないのに、彼女の中では確信に近いものがあった。
──行かなければならない。
なぜだかわからないけど、それが自分の“義務”のように思えていた。
「……ここから、あの山の方角」
スマホのコンパスを頼りに、梓はアスファルトの道を離れ
獣道のような細い林道へと足を踏み入れる。
周囲は静まり返っている。
風も鳴き声も、まるで音のない異世界のように。
途中、倒木に塞がれた古道をくぐり抜け、湿った落ち葉を踏みながら進んでいく。
不意に、背後で枝が折れる音がした。
振り返っても誰もいない。ただ、風に揺れる草の影だけが揺れている。
「……気のせい」
口に出してみたけれど、喉の奥がひどく乾いていた。
この道を進んだ先に、何があるのか。
梓は何かを思い出しかけている気がした
──けれど、その“記憶”はまだ、靄の向こう側にあった。
足元の土がぬかるみ始めたころ、太陽が雲に隠れ、森の中に陰が増してゆく。
深く、深く、何かに包まれていく感覚。
梓の背中には、確かに“何か”の視線が絡みついていた。
(→中編につづく)