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結局は向き合いたいと思っているんだ。
あの、ルイーヴおじさんと。
問いただしたいことも、言いたいことも。
全部、向き合うための手段なんだ。
僕は次の日の朝、
クリッシュと共にあの人の住んでいた場所へ
向かうのだった。
「ほんとにもう歩けるんだね」
クリッシュは裏路地と表通りの境目で立ち止まる。
「ええ、精神的なものだったのは明白のようで」
自分でも、自立出来ていることに驚いていた。
「向き合わないだけでこんなにも人は劣化してしまうのですね」
声も脚も上手く動かなかったのは、
僕の意思と繋がっていたからかもしれない。
おじさんに失望したまま、
向き合えない己の弱さが身体全身に露呈したのだ。
「それって結構大事なことじゃない?」
彼女は芯のある声で言う。
「向き合うにも力が必要じゃん。進めなくて、立っているだけでも大変だよ。劣化なんかじゃないよ」
僕は未だ後ろで立ったままの彼女に、
立ち止まっている理由を尋ねる。
「私は行かないよ。さすがに、何も知らなさすぎるもん。待ってる」
彼女は僕に明るく弾けるような笑みを向ける。
「頑張ってね。もう、一人で行けるでしょ?」
どこかで聞いたような台詞。
正直のところ、分からなかった。
僕だけで解決できるのか、
少なくとも自信はなかったと思う。
「もう、そんな顔しないで。なに?じゃあ、もう帰る?」
彼女は僕の扱い方を心得ているように、
わざと選ばない選択を迫ってくる。
「行きますよ。なんなら、表通りで食事をして待っててもいいですよ」
ブルーローズを買った花屋の定員と
調子よく話してた快活さが戻ってくるのが
自分でも分かった。
僕は一人、路地裏にある扉を開け、
おじさんと住んでいた部屋へ入っていく。
背後で扉が閉まる音がする。
外の雑音が一切踏み込んでこない静寂。
意を決して室内を見渡すと、部屋はもぬけの殻だった。
異様な静けさが僕の心臓を煽るようだった。
「あらかた検討はついていますけどね…」
僕はわざと聞こえるようにつぶやく。
おじさんの机上はやけに片付いているようだった。
前まで置いていた資料や分厚い書籍はなくなっている。
広がっていた紙の破片も僕が離れるのと同じく、
片付けたようようだ。
ただ、布の破った写真立てはまだそこにある。
その目の前に立ちながら、それを再び見るべきかどうか。
僕はでかかった手を止める。
自分の気持ちと反して動く身体。
「ソロの言う事が本当かどうかだけ、確認してみますか」
僕は布をめくり捨てる。
そこには前と同じ家族写真があった。
同じ緑色の瞳がこちらを向いている中。
「彼が…異父兄弟の一番目、兄のソロでしたか…」
彼はいた。
その事実ともに、隅に写るブルートパーズに目が入る。
それはおじさんだった。
何度観ても同じことで、父親に姿を変えることはない。
赤子を抱える奥さんは僕の母親なのだろうか。
しかし、その女性はどこかで会ったような気がした。
「白い街灯…」
記憶を遡った時、それは口に出ていた。
いや、まさかな。
そんな都合よく覚えがあれば、
誰も真実を聞こうなんて思わない。
彼女の隣にいるのは、
横柄にふんぞり返って座っている男性。
これが、本当の父親。
いや、ソロの父親というだけだ。
目まぐるしい情報の開示に、頭がいっぱいになる。
それが全て正しいのか。
僕の記憶には何一つない。
僕の人生は、おじさんが僕を箱庭で育てたようなものだから。
僕はそのまま、壁に飾られている絵画に近付く。
問題は、この先にあの人がいるかどうかだった。
あの人が出張で留守にしているなら
それはそれでいい。
それが答えであるから。
僕らの関係は疎遠のまま、終止符を打ったのだと。
僕は確かめるために、絵画を傾け
廃墟と化した部屋を進み屋上まで上がる。
けれど、あの人はいなかった。
がらんと虚無で広がる屋上。
僕は前に見上げた空を目に入れることはなかった。
あの人がいないと分かれば、ここに長居する理由はない。
それでも未だある寂寥感の募るベンチを見つめてしまう。
本当に。なんの意味もなく…。
途端、思い出したかのように階段を上がってくる足音が一つ。
僕は深呼吸をした。
あの人が上がってきたのだ。
なんて都合が悪いのだろうか。
再びこの場所で話す事になるとは。
「…おじさん、待っていましたよ」
僕が振り返ると、彼は酷く不意打ちでも食らったような顔をしていた。
「そ、そんな…お前…」
わざとなのか、異常なほど目を瞬かせている。
「お前だなんて…久しく会うのですから、名前で呼んでくれてもいいんじゃないですか」
僕は彼の動揺に釣られないように、目を合わせない。
彼の肩が激しく上下していることに気付く。
過呼吸のように息を立て始める。
「…んなっ、まさか。どっして…」
「まず、落ち着きましょう。このままでは話も出来ません」
僕は冷静だった。
取り乱して震え出す彼を支えては、食卓の部屋まで連れていく。
「クインテッド…いやっ…もう俺には、そんな呼ぶ資格すらないか」
胸に手を当てながらも話し続ける彼を、席に座らせる。
「お、俺は…」
僕の身体はいつの間にか動いていた。
それはあまりに慣れた手つきで、お茶の準備をする。
数十年間の軌跡を辿るようだった。
気付けば、ジャスミンティーを注いでいた。
鎮静効果でリラックスできる最適茶。
「あ、ありがとう」
両手で捧げ物を頂くように受け取る。
深いため息を吐ききってから、彼は言う。
「お前が泣いて帰ってきた時、俺がしてあげたことを…まだ、覚えているんだな」
僕はそれに、飲む手が止まる。
「あれはお前がまだ幼少期だった頃か。懐かしいな、過呼吸で泣き叫んでた」
思い出を慈しみ語る彼。
僕は無意識的に彼に恩を返してしまったようだ。
そんなつもりはなかったけれど、否定する気にもなれなかった。
僕は咳払いを一つする。
「おじさま。僕は思い出を振り返りに来たわけではありませんよ」
きっぱりと言い放つ。
飲むのを辞め、カップを机上に置く。
思ったよりも強く響いた音に、
彼は僕が本気なのだと気付いたようだった。
「く、クインテッド…」
僕はブルートパーズを一瞥する。
「俺は、悪かったと思ってる」
「僕に全てを隠しながら、あんな趣味の悪い手紙を送り付けて。挙句の果てに、僕を殺そうとするなんて」
「ちが…クインテッド、聞いてくれ。俺は…」
「商売道具というのはそんなに容易いものですか」
僕は一切、おじさんから目を背けていた。