凪は、本意ではないが美容師としての千紘の技術だけは認めざるを得なかった。
「ふーん。まあ、悪くはないけど」
サイドを確認しながら決して褒めない凪に千紘は笑いを堪えるようにして片手で口を押さえ、肩を揺らした。
「気に入ってもらえたみたいでよかった」
「気に入ったとは言ってない」
「似合ってるよ」
「俺は何でも似合うんだよ」
「そうだね。でも、俺の方が凪の似合うをわかってる」
凪が不貞腐れたような表情をしているにもかかわらず、千紘はどこまでも楽しそうに笑った。
俺の方が、というのは普段米山がカットし、出来上がった凪の姿よりという意味が込められていることに気付かない凪は「俺のことは俺が1番わかってるに決まってるだろ」と噛み付いた。
中々思うように伝わらない事さえおかしくて、千紘は思わずふはっと柔らかい笑みをこぼした。
そんな様子を周りのスタッフは不思議そうにチラチラと見やる。普段営業スマイルを振りまく千紘だが、いつだって余裕そうに対応している。その彼が自然な笑顔を見せるのはとても貴重な光景だった。
「成田さん、笑ってる……」
「珍しい……」
そんなスタッフ間の会話などもちろん2人には届かないが、ほとんど初対面とは思えない雰囲気に周りは不思議な感覚に包まれた。
「他の美容院に変えてもいいけど、俺のカット特殊だから他の美容師にはどうこうできないよ」
穏やかな空気は一変し、千紘は意地悪そうな笑みを浮かべた。
「はぁ?」
「俺の予約取りにくいから他に行くお客さんも多いんだけど、結構伸びるまで無理って言われたって言いながら戻ってくる人多いの」
「てめぇの商法か」
「商法って言わないでよ。俺のはセット込のカットなの。だから伸びっぱなしでダサくなりたくなかったら俺のところに来るしかないよ」
「……お前、最悪だな」
「なんとでもどうぞ。カットが気に入らなかったなら謝るけど」
「……気に入らないとは言ってない」
堂々巡りのやり取りに、千紘はまたブブッと吹き出した。こんなにも楽しい気持ちになるのは本当に久しぶりのことだった。
「来月待ってるね」
「絶対こねぇ」
「急でもいいよ。凪のためなら時間作る」
「お前、他の客も大事にしろよ」
「してるよ。皆、平等。凪だけ特別」
そのミルクティー色の髪のように柔らかな笑みを向ける千紘。凪は調子が狂う、と大きく大きく息を吐いた。
会計を済ませた凪は、最後まで不服そうにしながら店を出ていった。千紘は店の外に出て凪に手を振ったが、彼が振り返ることはなかった。
「成田さん、お客さん待ってます」
「うん。行くよ」
呼びにきたアシスタントに軽く流し目で返事をした千紘は、うっとたじろぐその体を横切って成田ブースへと入っていった。
凪に接客していたことで待たせていた自分の客は数人並んでいる。全員カット待ちだ。
「皆、平等。凪だけ特別」は嘘ではない。今までずっとあの髪に触れたくても触れられなかったのだ。米山がカットするのを横目に軽く舌打ちするほど気に入らなかった。
どの客も自分を指名してくれる客は大事な存在。ただ、凪だけは誰とも同じ位置に置けなかった。
「今日も成田さん指名したいってお客さんいたよ。1年待ちだって言ったらじゃあいいって言ってたけど」
きっかけは米山のその一言だった。千紘は顔をしかめて「1年? 新規ならどっか入れても良かったですけど」と片付けをしながら言った。
「でもスケジュール埋まってたよ? 今月中にやりたいってことだったから俺が担当しようと思って」
「そうですか……。じゃあ、お願いします」
千紘はそう言ってその予約を米山に任せた。こうして予約が流れることは度々あった。人気美容師の千紘の予約が取れないのは仕方のないこと。ただ、プロ意識の高い千紘は、自分の技術を求めてくれる客には全員平等に提供したいと思っていた。
それを千紘に相談なしに流されるのは気に入らない。しかし、近々で予約が入れられないのが現状で諦めるしかないのも確かだった。
そんな中、やってきたのが凪だった。パッと目を引く整った容姿。千紘の指名客の中には芸能人やモデルもいた。イケメンと言われている男性客は多く存在していた。
しかし、千紘は自分の客を恋愛対象として見た事はなかった。そこに情が湧けば仕事がしにくくなる。体の関係だけに発展すれば仕事が減る。
メンズカット専門になったのも、女性客には触れたくない。好意を抱かれたくない。そんな単純な私情ではなく、自分の技術で男として自信を持てる人間を増やしたかったからだ。
千紘は今でこそ自分の容姿を気に入ってはいるが、昔はその中性的な見た目が嫌いだった。
恋愛対象が同性だと気付いたのは中学生の時。クラスメイトの男子とじゃれ合っているときに胸がときめいたのがきっかけだった。
ただ、そんな相手に「女みたいな顔してる」と言われる度に異性と比べられる屈辱を味わった。
女性が嫌いなわけではない。会話はするし、好意を持たれるのもありがたいことだとは思う。ただ、恋愛対象としてはみれないよ、ごめんね。そんなふうに思うだけ。
けれど好きな男ができた時、その男が自分のことを好きだと言った女性に好意があると知った時には嫉妬と言うにはあまりにも重たい、憎悪にも似た感情を抱くことがあった。
綺麗な顔してるなぁ……。
千紘はそう思いながら一瞬チラリと凪を見てその後ろを通り過ぎた。
「すみませんでした。せっかく予約の電話してくれたのに成田さんいっぱいで」
米山のそんな声が聞こえて、先月千紘の予約を断って米山が担当することになった経緯を思い出した。
ああ、この子がそうだったんだ。
千紘は何となく残念に思い、それでも目の前の客のカットに専念した。
千紘が手がけた客は皆、来た時と印象を変えて帰っていく。垢抜けた姿を写真に収め、満足そうに笑った。千紘はそんな顔を見るのが好きだった。
「千紘はいいよな。背も高いし顔もいいし、モテるしさ」
友人からそう言われる度に複雑な気分になった。モテるというのは女性からであって、いつも千紘が好きになるのはノンケばかり。
当然ノンケは女性にしか恋愛感情を抱かないわけであって、いくら千紘がイケメンでも背が高くてもそんなものは何の意味もなかった。
「髪型だけで印象かなり変わるよ」
高校時代、そう言って友人の髪をセットすると翌日から一気にモテ始めた。その噂を聞きつけて、色んな男子から声をかけられ他人の髪に触れる機会が多くなった。
男性から好意を持たれることはない。自分はきっとまともな恋愛はできないだろう。そう思っていた千紘にとって、違う形でも自分を求め、頼ってくれたことがたまらなく嬉しかった。
だから美容師を目指したし、なったからには頂点に立ちたいと思った。プロ意識を持つようになり、その人にとっての最高の自分を与えてあげたかった。
「ありがとうございます。いい感じです」
全てのメニューが終わると、凪は満足そうに笑っていた。米山も笑顔でカットの説明をする。
「なにあれ……」
千紘が思わずそう声に出してしまうほど、唖然とした顔で凪の横顔を見つめていた。金色に近い明るい色。ツーブロックで毛先を細かく幾つも束にし、均等にセットされていた。
美しくはある。米山の技術は申し分ない。ただ、凪にとって1番似合うのはそれじゃない。そう千紘は感じた。
俺ならああはしなかったな。例え客がそうしたいって言っても別のを薦めたよね。
そう思いながら苦い顔をした千紘は、「もったいない」そう呟きながら残りの仕事に戻った。
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