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自室へ足を踏み入れて、寝室へと向かう。
ふと、足の裏が心地良いのに気がついた。
薦められたカーペットはルームシューズ越しでも、その良質さがわかるらしい。
はしたないかな? と思いつつ、ルームシューズを脱いで素足で立つ。
想像以上に優しい感触だった。
素足で堪能するなら、ベッドの足元に置かれたルトリッツ産のシルクが最高だろう。
ルトリッツ産のメーメー毛は、僅かだが擽ったい。
逆にルームシューズを履いているなら、滑りにくいメーメー毛の方が転びにくいはずだ。
適材が適所に置かれる安堵感に思わず大きく頷く。
寝室で存在感を放っているベッドも、きちんと寝具がセットされた状態で置かれている。
今すぐベッドへダイブしたい衝動に駆られたが、繊細なアクセサリーは外しておかないと危険な予感がしたので、雪華へと目線を投げた。
恭しくジュエリーケースを差し出してくるので、まずは外さねばと首の後ろへと手を回したのだが、既に彩絲が背後に回ってペンダントを外してくれているところだった。
丁寧に仕舞われている最中に、アンクレットに手を伸ばそうとすれば、今度はノワールが外してくれた。
三人がかりで世話をされてしまう気恥ずかしさと、夫一人でも同じように片付けてくれるだろう面映ゆさに心の中で悶える。
用意されていたネグリジェはピュアホワイトのロング丈。
しかも、大きくV字に開かれた胸のすぐ下に三個しかないボタンで留まっている前開きの、なかなか大胆なデザイン。
何というかこう、夫が喜んでボタンを外して、ゆっくりと前をはだけそうな新婚仕様っぽいものだった。
「ふむ。これなら御方も悩殺できるじゃろうて」
満足そうに彩絲が頷く横で、雪華はにやけている。
ノワールにも一度だけ小さく頷かれたのが、一番胸にきた。
夫の、夢の中で愛し合いましょうね! という声には、緩く首を振って答えておく。
「おやすみなさい」
ベッドの中へ潜り込めば守護獣たちのキスが額へ届いた。
何だか今日は妙に過保護対応に感じるが、思い過ごしだろうか?
問い詰めてみようかと思ったが、疲れが勝ったので目をつむる。
明かりが落とされて、瞼の裏が暗くなったなと認識したときにはもう、夢の世界へと旅立っていたようだ。
夢の中で夫に愛された。
詳しくは語りたくないが、ネグリジェは夫を大変喜ばせたとだけ、言い残しておく。
体が疲れていないので夢だと思えるのだが、疲れがあれば現実だと思うリアルさだった。
実際夫の能力であれば、現実と毛ほども変わらない状況なのかもしれないが……。
殊更慎重に体を起こして、ベッドの上で思い切り伸びをする。
「おはようございます、主様。モーニングティーをお持ちいたしました」
起き抜けに何か飲み物があると嬉しいかも? と思う絶妙のタイミングで、ノワールが紅茶を持ってきてくれた。
何とも贅沢な生活だ。
ちなみに自宅だと、緑茶が多い。
こちらも自分で淹れることはほとんどなく、甘い言葉とともに夫が手渡してくれるのだ。
「今朝は何の紅茶なの?」
「仄かにバニラの香り付けをいたしました、ブレンドティーでございます。コクのあるしっかりした茶葉を中心にブレンドしております」
「ん! 美味しい。バニラの香りが、目覚めを緩やかに促してくれる感じの、素敵な紅茶だわ」
砂糖は入っていないようだったが、バニラの香りのせいか甘みも感じる、飲みやすい紅茶だった。
「お着替えは、守護獣のお二人が現在選んでございます。今少しお待ちくださいませ。本日の御予定は如何なさいますか?」
「ふおっふおっ! ノワール特製アーリーモーニングティーのお蔭で、ほどなく目も覚めたじゃろうて。まずはこれを読んでみるとよかろう」
くちばしに封書を銜えたランディーニが飛んできて、ベッドの上に座り込む。
置かれた封書には銀色の封蝋が押されている。
精緻な紋章は王家のものではないかと推察した。
封蝋の斜め下には、リゼット・バローと、読みやすい筆記体で署名がなされている。
「ふむ。バロー氏は、王家の紋章を使えるのじゃな。ただの乳母ではとても使えぬはずのものじゃがのぅ……」
「そうですね。さすがに王族のみが使える金色ではありませんが、王族に準ずる者が使える銀色の紋章です。バロー殿は冒険者としての実力も、メイドとしての実力も、銀色を使うに相応しい者でしょうから」
正直、王家の紋章よりもノワールの言葉に信頼が置ける。
バローは王の乳母というだけで、重宝されているわけでもないと知れて良かった。
渡されたペーパーナイフで封を切って、中の文章に目を通す。
内容に眉根を寄せた。
「ほぅ。指名依頼とはのぅ……」
「王家って、そんなに人材不足なの?」
「あの屑妃が派手にしでかしたようじゃからのぅ。信を置ける者が少ないのじゃろうて」
バローからの手紙には、喜んでお茶会に参加する喜びとお礼を典雅な文章で綴ったあとで、指名依頼をお願いしたいと書かれていた。
ギルドマスターにも許可は得ているらしい。
王家からの依頼で、ギルドも承認した依頼は、滅多にないよー、さすがは、アリッサ! と雪華が教えてくれた。
この上ない栄誉かもしれない。
王家と関係を持ちたい、冒険者として名を馳せたいと、思う者にとっては。
しかしどちらにも興味がない私には、面倒でしかない依頼だった。
便せんの二枚目には依頼内容が書かれている。
要約すると、行方不明となっている、王の元婚約者であった公爵令嬢ローザリンデ・フラウエンロープを捜してほしいというものだ。
屑妃を完全排除できていないから、王族からの依頼ではなく、リゼットからの依頼という形を取ったのだろう。
冤罪で追われた聡明な女性を無下にするのもどうかと思う。
同様に、私には一切関係ないし、この件で王家と望まない縁が繋がるのもよろしくないと考えた。
お茶会で詳細を聞いたらどうです?
思考に沈めば、夫の声が聞こえる。
より親しくなりたい方々を呼ぶ、初めてのお茶会なのに、そんな話はしたくないです!
反射的に答えた。
依頼だというのなら、別に聞きたい。
何より夫が依頼を聞けというのだから。
それはつまり、私のためにも受けておくべきという意思表示に他ならないから。
王は、随分と本来の思考を取り戻しているようですよ?
夫はどうやら、王城の情報を掌握しているようだ。
麻莉彩のいる世界は健全でなければなりません。
今回は修正が必要でしょう。
乙女ゲーム終了後の、電波ヒロインざまぁ! をリアルで体験できるなんて、貴重な体験ではありませんか?
実は不謹慎にもちょっと思ってしまった。
オタクの業に、大きく首を振る。
当事者でもなく、モブでもなく、絶対者としての配役は何より安全です。
守護獣や妖精たちもいますしね。
奴隷も良い子たちが残ったようですから。
続けられた夫の言葉に私は決断した。
「バローさんをお茶会より先に招待したいのだけど、可能かしら?」
「どれ、我が行ってこよう」
「あー、まー、ランディーニが無難かぁ。小蛇化していけば、私でもいけるんだけどなぁ」
「なれば妾が、小蜘蛛化していっても同様じゃ。バローなれば、蛇も蜘蛛にも動じぬであろう。だが万が一にも他者に見つかれば駆除されかねぬ。ここは隠形に長けたランディーニ殿に任せておこうではないか」
「いいことを言うのぅ、彩絲。急ぎということで、手紙などは認めず、奥方のお言葉をそのままお伝えしてまいりましょうぞ!」
ランディーニが執事がするような独特な礼を取る。
格好良いというよりは、可愛い。
ノワールの冷めた眼差しも全く気にしないのは、何時ものことだ。
「ではよろしくお願いします。あぁ……朝食はどうするの?」
「王城で摘まんでくるから、奥方は気にせず堪能してくれればよかろうて」
「気をつけていってきてくださいね」
「いざ!」
ばひゅん! と羽ばたくにしてはおかしな音がしたと思ったら、ランディーニの姿はもうなかった。
王城の朝食が楽しみだった……という理由ではないだろう、たぶん。
「彩絲殿、雪華殿。あの愚か者をあまり煽らないでくださいませ」
「ふむ、すまなかった」
「ごめんね! ほら……! おばあちゃんがやる気になっていると、つい背中を押したくなっちゃうじゃない?」
そういえば、ランディーニは屋敷にいる中では、一番年上なのだった。
年寄りの冷や水……という格言が一瞬頭をよぎるが、目をそらしておいた。
「指名依頼、受けるのかぇ?」
「主人が珍しく薦めてくれたから、受けようと思います」
「御方が! それじゃあ、安心だね」
「……ランディーニが情報を収集してくるとは思いますが、私の方でも手を回しておきます」
「はい、お願いしますね」
「あ! ノワール! 今日の朝食は何?」
尋ねながらも雪華の手が今日の衣装を見せてくれる。
薄いサクラ色のAラインワンピース。
袖口や襟元、裾までもがサクラの花びらをイメージしてデザインされている。
丸いラインが何とも女性らしい。
ワンピースの生地にも花や蕾、花びらの形が透かし模様として可愛らしく入っていた。
頭からかぶれる着やすいワンピースは、楽ちんのルームウェアといった風合いだ。
「エッグベネディクト風オープンサンド、彩りサラダ、フルーツ三種盛り、ハニーホットミルク。希望に応じて、各種セジソー(ソーセージ)を目の前で焼く仕様となっております」
「おー! 美味しそう、さすがはノワールだね!」
彩絲がサクラの花びらを模したペンダントとイヤリングをつけてくれるのに、お礼を言いながら、焼きたてセジソーの誘惑に勝てるだろうかと真剣に悩んだ。