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背中や腰の、鈍い痛みにより目を開く。 元の時代に戻っている。……ことは、なかった。
昨日と同じ天井に、和室の部屋。慣れない場所と寝心地にふぅーと溜息が漏れる。
この時代の物と現代の物とは当然違い、布団一つを取っても寝心地が全然違う。昔の人はこれで、疲れが取れていたのかと思うほどに。
だけど丁寧に三つ折りに畳み、押し入れに収納する。
もし大志さんに拾ってもらわなかったら、私は野宿するしかなかっただろう。
着ていたカッターシャツとスカートを脱ぎ、貸してもらった茶色の着物とモンペをまとう。
この時代に肌を出すなんてとんでもないことであり、それに加えこの農産地では虫に刺される恐れがある為に外では肌を隠すようにと言われた。
肩まで伸ばしてあるストレートヘアは、スカートのポケットに入ったままになっていた髪ゴムでまとめお団子にする。
髪は作業をする中で、ただただ邪魔なものだ。オシャレなんて概念を捨てる意味で制服を脱ぎ、モンペの紐をギュッと締めた。
着替えが終わり襖を開けるとそこは縁側に繋がっており、鳥の囀りが耳に掠め黄赤の東雲空が広がっている。遠くの山より光りが差してきた朝日に向かって、誓う。
死ぬ気で働かないと。
「私は家事も畑もしたことがありません。でも必ず覚えます! 教えてください!」
昨夜食事を用意してもらった際、それに手を付ける前に畳に手を付き頭を擦り付けて教えを蒙った。
大志さんは頭を上げるように私の両肩に片手ずつを添え、「生きていく為に、覚えておいた方がええな」と顔を歪めることもなく、教えると言ってくれた。
だから私は、朝の台所に駆ける。
すると、既に大志さんは食材や調理器具を調理台に並べていた。
「遅くなりました!」
「おはよう。寝れたか?」
「はい、ありがとうございます」
深々と頭を下げる私に、だから遠慮はいらんってと声を上げて笑ってくれる大志さん。
そんなわけにはいかない。しっかり仕事を覚えて、少しでも役に立たないと。
まずは二、三〇〇メートル先ぐらいにある共同井戸にバケツを持っていき、水を汲んで帰ってくることだった。まさか、そんなところから始めないといけないとは。
重たいバケツの取っ手を握る手の平はキリキリと食い込み、水の重さに体はフラフラとする。だけど絶対にその手を離さず、溢さないようにとギュッと握り締める。
その貴重な水で泥付き野菜を丁寧に洗って刻んでいき、鍋に入れ水を加える。次に米を研ぎ、ようやく下準備完了。
ここからが一番大変な釜戸に火をつける工程で、マッチを擦って拾ってきた小枝などを燃やしてかまどに火を付け、それが調理出来るぐらいに燃えるようにと火吹き竹と呼ばれる道具を使って息を吹き掛ける。
本当にそんなことするんだ。
朝ドラで見ていた昭和初期の映像を実際に目にした私は、呆然としてしまう。
やってみないと覚えられないからとやらせて欲しいと懇願し、釜戸の前にしゃがみ火吹き竹をふーふーと吹きかける。だけど火が求めている酸素量と私が吹きかける量は比例していないらしく、力の限り何度も吹きかけてようやくパチパチと燃えてくれる。
今はまだ五月らしく、太陽の日差しは柔らかく時折吹く風は暖かい。だと言うのに私は息切れ、多量の汗を滴り落としていた。
目の前より放たれる熱気と咽せるほどのキツイ匂いがする白煙に、目と喉がヒリヒリとし酸素は薄く息苦しい。
これを毎日、朝夕にやるの……?
その現実も相まって、頭がクラクラしてきた。
「大丈夫か?」
そう言いながらしゃがみこみ、私の顔を覗き込んでくれた大志さんの顔がボヤけて見える。
「……はい」
なんとか返答するけど、お風呂でのぼせたみたいに体がフラフラと大志さんの方に倒れ込んでしまう。
「あっちで休んどき。一回で覚えんでええし」
「ごめんなさい……」
結局、私は大志さんに抱えられ隣の和室で寝かせてもらうことになった。額に乗せてもらった手ぬぐいが冷たく、火照った体が冷やされていく。
本当に情けない。これくらいのことで。
両手の平で両目を覆い、余計な物が流れないように抑えつける。
しばらく休み台所に戻ると、大志さんは汗を手拭いで拭いながらずっと火加減を見ていた。
……あんなこと、本当に出来るようになる?
一抹の不安が押し寄せてきたが出来るかではない、やるんだ。そう思い、その背中をただ眺めた。
朝ご飯を食べてから、するのは洗濯。
また井戸に行って水をバケツで運び、それを木製タライに入れる。次に洗濯板でゴシゴシと衣類を擦り付け、力を入れて洗う。
朝ドラでは軽く見ていたけど、こんなに息が切れて力がいて腕や手首がプルプルなるとは。
家事をしただけで私はへたり込み、次の作業に進めないでいる。
本当に全て人の手だったんだ。今までいかに、恵まれた環境にいたのかを思い知った。