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「休んでてええで?」
「いえ、行かせてください!」
日が高くなり始める頃、ようやく始まる本業の畑仕事。五月の今は田植えの真っ最中で、とにかく忙しいらしい。
しかし田んぼと一言で言っても外に出れば一面の田んぼが広がっており、それを人の手で一つずつという時代。
「今は男がおらんから、その分も村のみんなでやってるんや」
固まってしまった私の心情を察してくれたようで、ムリせんで良いよと言ってくれる。
「いえ! やらせてもらいます!」
居候の身で働かないなんて、ありえない!
既に体は疲労感が溜まっているけど、私はその精神だけで動いていた。
「大志さーん! どうしたん、その子?」
既に田植え仕事をしていたお母さん世代の女性達が私と同じ着物とモンペ姿で、チラッとこちらを見るも手を止めずそう問うてくる。
「遠い親戚の子なんですわ。都会で体調崩して、こっちで預かることになりまして。どうか気にかけてやってください」
いくら田舎とはいえ、赤の他人である同世代の男女が一つ屋根の下で生活を共にするのは部が悪い。この村にそれを咎める人はいないらしいが、都会では異性兄妹が街を共に歩いているだけで警察官に呼び止められ、秩序の乱れになると叱責されることもあるらしい。
とんでもない価値観に唖然となりつつ、それが戦時時代なのだと知った。
「和葉です。一生懸命働きますので、よろしくお願いします!」
頭を深々と下げる。
私はよそ者、大志さんに迷惑はかけられない。そんな思いで。
「都会育ちで田畑のことは知らんで、気長に見たってください」
「隣人の米田菊です。困ったことがあったら言ってね」
菊さんを筆頭に、みんな優しい言葉をかけてくれる。
想像もしなかった対応に、震えていた心が落ち着いていく。戦時中はみんなピリピリしていたイメージがあったけど、他人にこんなに優しくしてくれる人も居たんだ。大志さんも。
「じゃあ、やってこっか」
「はい」
田んぼに裸足で入ると、ぬめっとした泥土が足先にまとわりつく。
慣れない感触に身を縮めるもそんなことは言ってられないと、中腰になり育った苗を田んぼに植えていく。たった、それだけ。
しかしそれを無限に広がる田んぼにやっていかなければならず、一体どれだけやれば終わるのか先が見えない。
初夏の日差しとはいえ直射日光の中で肌を出さない服装は暑く、野外での中腰作業は腰にも足にもくる。
また私は汗を多量に流して息を切らし、慣れない泥の匂いと下ばかり直視していたからか頭がクラクラとする。
菊さんや他の人は休まず続けていくが、私は一往復する毎に休憩を挟ませてもらう。
……本当に情けない。
その後。作業をする中で私の仕事は明らかに遅く、みなさんの半分も出来ていない。
極め付けにはどうしても体が動いてくれず、夕食の準備なんて全く出来なかった。
初日やからとみなさんに宥めてもらうも、本当に情けなくて仕方がない。
どうしよう、頑張らないと。
優しい大志さんを困らせたくない。
迷惑だと思われたくない。
床についた私は元の時代に帰りたいと思う余裕もないほどに、いつの間にか眠りに落ちていた。
時間が過ぎる中で、この生活にも慣れていった。
釜戸でご飯と味噌汁を作り、洗濯板で着物とモンペをゴシゴシ洗い、農作業で鎌や鍬を軽く扱い、薄い布団で寝る。
何度も何度も元の世界に帰りたいと願ったけど、目覚めても広がるのは同じ天井。帰る方法を考えたりもしたけど、結局答えは出ない。幸か不幸か生きる為の毎日は忙しく、帰れない現実に向き合い泣いている時間などなかった。
冬は農業の仕事がないが、男手が少ないこの村。大志さんはそれらの仕事を一気に引き受けており、私は藁仕事を教えてもらい春に備えて畑仕事の道具を作っていった。
こうして、この時代に来て九ヶ月。春を間近に迎えた二月上旬。暖かい地域の為にあまり雪は降らず、過ごしやすい。
初めは戦時中という事実に震えたけど、ここは田舎。都会みたいに爆弾の雨から逃げ惑うことも、食料不足に喘ぐことも、目の前で人が亡くなることもない。
戦災は地域差がかなりあったと習っていたが、やはり田舎は被害が少なく畑をやっているから食料がある。現代に比べると貧相だが、飢えに苦しんだことなど一度もない。
それに大志さんは本当に優しい人で、こんな出来損ないの私にいつも笑顔で接してくれる。
それだけでなく、運動神経鈍いのに屋根の修理を引き受け、近所の田畑を率先して手伝い、学童疎開してきた子供達が字の読み書きが出来ないと知ると時間が許す限り文字の書き取りや勉強を教えてあげていた。
この人に出会えて、本当に良かった。そうじゃなかったら私は、精神を病んでいたかとっくに死んでいただろう。
だけど戦況は悪化の一途を辿っており、そんなことを実感させられる出来事が起きた。