テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
もちぷよ
987
270
きゅー
2,024
その温かい祝福に胸が熱くなりながらも、僕は休んでいる間からずっと引っかかっていた、もう一つの疑問を思い出した。
「……ねぇ、吉田さん。僕も本当のこと言ったんだから、吉田さんも白状してください!」
「は?なんだよ」
「吉田さんとはやちゃんの関係! だいちゃんもさっき、”勇斗も心配してた”って……。やっぱり、はやちゃんと知り合いなんですか?」
僕の真っ直ぐな追及に、吉田さんは一瞬だけバツが悪そうに視線を泳がせたあと、観念したようにふっと肩の力を抜いた。
「あー……ついにそこ突っ込まれるか。……お前の言う通り、俺と勇斗と太智は知り合いだよ。っていうか、お前が遠藤の件で前の会社にいられなくなった時、俺が面倒みるって言ったの」
吉田さんの口から、僕を最も苦しめたあの男”遠藤”の名前が不用意に飛び出してきた瞬間、僕の全身の血の気が一気に引いていくのを感じた。
「っ、……!」
喉の奥が急激に干からびたように引き締まり、視界がわずかに細くなる。
僕のあの最悪な過去を知っているのは、しゅんとはやちゃんの二人だけだと思っていた。
……それなのになぜ吉田さんがその名前を知っているのだろう。
どこまで知られているんだろう。
一瞬にして、あの頃の冷たい恐怖と不安が胸の奥からせり上がってくる。
テーブルの下でしゅんが僕の凍りついた手をぎゅっと、骨が軋むほどの力強さで握りしめてくれた。
彼の圧倒的な体温が僕を辛うじてこの現実に繋ぎ止めてくれる。
僕のただならぬ動揺を察したのだろう。
吉田さんは少しだけトーンを落とし、諭すような優しい目を僕に向けた。
「……安心しろ、山中。俺も太智も、お前のことを可哀想なやつとか、そんな憐れむような目であの過去を見たことは一度もねぇよ」
吉田さんはおしぼりをテーブルに置くと、少し照れくさそうにしながらも僕の目を真っ正面から見据えて、ぶっきらぼうに言葉を繋いだ。
「初めはさ、勇斗の頼みだから守ってやらなきゃって気持ちもあった。……だけどさ、お前がシンプルに良い奴だから、だから俺はここにいるんだよ。変な意味なんて、これっぽっちもねぇわ」
「そうやでじゅうちゃん。僕はじゅうちゃんと純粋に仲良くなりたかったんよ? あのことは関係あらへん」
だいちゃんがそう言って、僕を安心させるようにふにゃりと笑う。
だけど僕の胸の奥にこびりついていた冷たいそれは簡単には消えてくれなくて、胸の奥が鉛でも詰められたようにひどく重くなり、どこを見ていいかわからずに俯いた。
「……でも吉田さん。なんであのことを知っとるんですか……?はやちゃんが言ったんですか?」
しゅんは取り乱す僕を庇うように問いかけながら、僕の手を強く握りなおしてくれた。
「あいつはなんにも言ってないよ。あいつが山中の嫌がることするわけねぇだろ。…山中があの夜、勇斗に助け出されて病院に担ぎ込まれた時、俺と太智もいたんだよ。あの病院に」
「え……吉田さんと、だいちゃんも……いたの……?」
掠れた僕の声に今度はだいちゃんが静かに頷き、優しい眼差しで僕を見る。
「うん。あの日な、じゅうちゃんが処置室に入っとる間、勇斗一人で廊下で待っとるのが耐えられんくなったみたいでさ。死にそうな声でじんちゃんに助けを求めて電話してきたんよ。その時ちょうど僕、じんちゃんと一緒におって…。じんちゃん、真っ青な顔でさ、ひとりで病院に向かおうとしたから僕もついて行ったんよ。……病院に着いて、じんちゃんが何があったのか聞いても、あいつ、ただただボロボロになって泣いとるだけで……」
だいちゃんは思い出すように少し視線を落とすと、そっと言葉を継いだ。
「でもな、じんちゃんも僕もあいつのあの尋常やない様子と処置室の空気で…、すぐに何があったんかなんとなく分かっちゃって。……ごめんな。……ただな、僕らはあいつを一人にしたら絶対にアカンって、それだけは分かって…。だからあの場にいた。僕らにとっては、あいつが大事やったから…」
だいちゃんがそこまで言ったとき、隣の吉田さんは酷くバツが悪そうな顔をして黙って腕を組んだままそっぽを向いてしまった。
今でも思い出したくもない、脳が拒絶するような最悪な夜。
あの地獄みたいな時間の裏側で、はやちゃんだけでなく吉田さんやだいちゃんまでがそんな顔をしてそこにいたなんて、正直、どう受け止めていいのか分からなかった。
胸の奥が鉛でも詰められたようにひどく重くなって、息の吸い方すら分からなくなる。
完全に言葉を失って固まってしまった僕の様子をみてた吉田さんは、俯いたまま僕を気遣うようなぶっきらぼうな助け舟を出すように言葉を続けた。
「あいつさ、お前をこっちの会社に移したあともさ、『俺と繋がってるって知ったら柔太朗も何かとやりにくいだろうから、内緒にしておいてくれ』って俺と太智に頭を下げてきてさ。だからずっと黙ってたんだよね」
吉田さんは言葉を続けると、おしぼりを広げては畳み直してを何度も繰り返している。
「……それにさ。実は俺とお前、あの病院の夜より前にも、一度だけ直接会って話してんだよな」
「え……? 俺と吉田さんが、ですか?」
思いがけない言葉に、僕は首を傾げて吉田さんの顔を見つめた。
「そう…。あの事件の一週間前。あいつがいきなりさ……『綺麗な人がいる。その人と、もっと仲良くなりたい』とか言って、俺に嬉しそうに話してきてさ。……あの勇斗がそんなこと言うなんて珍しいことでさ、びっくりしたよ。あいつが言うんだからいい奴に決まってるだろうって…。だから俺も会ってみたいって言ったんだよ。そしたらあいつ、本当に嬉しそうな顔して俺を連れてったんだ。お前が当時バイトしてた、あの居酒屋に」
心がどくん、と深く跳ね上がる。
吉田さんの言葉の断片が、僕の脳裏の奥底に眠っていた古い記憶の泥を、ゆっくりと、だけど確かに揺り動かしていく。
その光景……、なんとなくだけど知っている気がした。
「あ……っ、」
そうだ。
あの薄暗い居酒屋の一番クーラーが当たりやすいテーブル席。
はやちゃんと初めてちゃんと話せたあの日。
あの時隣にいた、真ん丸お目目で可愛らしくて面倒見の良さそうな人と、今目の前にで腕を組んで足を大きく開いてドーンと座っている吉田さん…。
僕の脳裏で一瞬にしてカチリと重なり、一本の美しい線で繋がっていく。
吉田さんはおしぼりを片手に、少し照れくさそうに俯きながら、ぽつりと静かに言葉を繋いだ。
「……思い出した? あのさ、あの日、お前が俺に託した伝言、ちゃんと勇斗に伝えたよ…」
伝言……?
あ、あの事件の日の約束…。
はやちゃん、やっぱり来てくれたんだ。
そっか、だからあの時、助けてくれたんだ。
……そっか。
「思い出しました。俺、仁人さんのおかげで助かりました。本当にありがとうございました」
溢れそうになる涙を必死に堪えながら、僕の口から自然と零れ落ちたあの日の呼び名に、正面の先輩は一瞬だけ驚いたようにその真ん丸な目を見開いたあと、バツが悪そうにそっぽを向いた。
「あ、いや、俺はあいつに伝えただけ。なんもしてない。ありがとうなんて……」
僕は全部思い出した。
あの日、僕たちは確かに言葉を交わしていたのだ。
けれど、そのわずか一週間後、あの遠藤による最悪な事件が起きた。
あまりの精神的衝撃と絶望のせいで、僕の脳は防衛本能のように、事件前後の記憶をすべて曖昧に濁らせてしまっていた。
だから僕は、ずっと吉田さんのことを、この会社に転職してきて初めて出会った「経理部の先輩」だと完全に思い込んで、今日まで忘れてしまっていたんだ。
「お前の顔見るたび、なんか騙してる気がしてさ…。正直心苦しかったわ。……でもそれだけあいつはお前のことを誰よりも大切に守りたがってたんだよ。だから、ずっと言えなかった。ごめんな」
吉田さんは俯いたままそう言った。
自分のために頭を下げて泣きそうになっていたはやちゃんの姿。
そしてそれを裏切れなくてずっと心苦しさを抱えながらも、嘘をつき続けてくれていた吉田さんたちの思い。
一人で怯えて、誰も信じられずに閉じこもっていたあの暗闇のなかで、本当はこんなにも不器用な優しさがずっと僕の後ろにいてくれたんだ。
誰も僕を蔑んでなんかいない。
ただ必死に僕の心を守ろうとしてくれていただけだった。
「……っ、ごめんなさい、」
目頭が急激に熱くなって、視界が涙でぼやけていく。
「ちゃうやろ、そこはありがとうでええんちゃうん?」
だいちゃんが優しく笑いかける。
「……、あり、がとっ」
「ははっ、ほんとお前は……、かわいいやつだな」
「守りたくなるよな~。ほらじゅうちゃん、涙拭いて!!」
だいちゃんがそう言って、手元から取り出したハンカチで、僕の涙を優しく拭ってくれる。
「じゅう、良かったな。ほんま。……ほら、パスタ冷めてまうよ?いっぱい食べ?」
隣の席のしゅんが、いつもの優しいふにゃりとした笑顔で僕の顔を覗き込み、テーブルの下で僕の震える手をそっと大きな掌で包み込んでくれた。
そこから伝わってくる恋人の確かな熱量に支えられながら、僕はこれ以上涙が溢れないように、必死に小さく頷いた。
to be continued…
コメント
2件
コメント、失礼します!ドキドキの展開で、登場人物たちの優しさが一文字一文字に込められているように感じました。長編だからこその感動を味わえました。今回は、💛様たちの思いや考えが総まとめされているようでもあり、隠れていた優しさが伝わる話でした。今までを乗り越えてきたからこそ、暖かく、優しい世界観が、身に沁みる話でした。 本当にいい作品を書いてくださり、ありがとうございます!次回も楽しみに待ってます!