テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#王子
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
数日降り続いた長雨が、嘘のように上がり
遊郭「朧月夜」は打ち水をしたばかりのような澄んだ空気に包まれていた。
今夜は、一年に一度の「星落祭」
異界の空から星の欠片が光の粒となって降り注ぐ。
その光を恋人たちが杯に受け
共に飲み干せば、永遠に結ばれるという言い伝えがある特別な夜だ。
「緒美、行くぞ……」
刹那様は、いつもより少しだけ落ち着かない様子で、私の手を取った。
今日の彼は、私の浅葱色の着物に合わせたのだろうか。
深い藍色の、夜の海を思わせる豪奢な羽織を纏っている。
鏡の前で並んで歩く練習をしたわけではないのに
その姿は、まるで昔から添い遂げてきた仲睦まじい恋人同士そのものだった。
「……お祭りなんて、久しぶりです。本当に、綺麗ですね」
見上げれば、夜空から淡い金色の光が、静かな雪のようにゆっくりと舞い落ちてくる。
通りには、あやかしの細工菓子や
七色に光る水飴、色鮮やかなお守りが並ぶ露店が軒を連ね
殺生を忘れた妖たちが今夜ばかりは浮き立ち、楽しげな囃子がどこからか聞こえてくる。
「これを、お前に」
不意に、目の前に差し出されたのは、二つの「縁結びの守り」だった。
重厚な金糸で丁寧に刺繍が施された、対の飾り。
「刹那様……これは、どうされたのですか?」
「……道すがら、目に付いた。周囲の目を欺くためだ。これを持っていれば、お前が俺の確かな『番』であると誰もが信じるだろう」
「……ほら、受け取れ」
どこまでもぶっきらぼうな物言い。
けれど、お守りを差し出す彼の大きな指先が、微かに震えているのを私は見逃さなかった。
私は、胸が締め付けられるような思いで、彼の手から一つのお守りを受け取った。
温もりを感じるその守りを自分の胸元に大切に仕舞う。
代わりに、預かっていたもう一つを、彼の帯に、解けないようにしっかりと結びつけた。
「……これで、お揃いですね。刹那様」
ふふ、と私が微笑むと
刹那様は決まり悪そうに、ふいと視線を斜め下に逸らした。
わずかに赤らんだ彼の耳元。
その横顔は、いつもの冷酷な「鬼の若旦那」ではなく、女性に不慣れな一人の不器用な青年のように見えて───
(いけない。これは演技。ただの、カモフラージュなんだから……)
自分に言い聞かせるほど、なぜか胸の奥が熱く、疼くように締め付けられる。
その時
背後から押し寄せた大きな人混みの波に押され、私はバランスを崩した。
「あ……っ!」
「危ない!」
刹那様の強い腕が、反射的に私の腰を力強く引き寄せた。
気がつけば、私たちは至近距離で見つめ合う形になっていた。
世界から音が消え、ただ二人の存在だけがそこに際立つ。
彼の緋色の瞳の中に、祭りの灯火と、驚きに戸惑う私の姿が鏡のように映り込んでいる。
「……緒美。お前は、本当に……」
刹那様の声が、掠れたように低く響いた。
鼻先が触れそうなほどの距離。
彼が纏う白檀の香りと、独占欲を含んだ熱い吐息が私の頬を掠め、理性を甘く溶かしていく。
(今、この瞬間に彼に口づけられたら、私は──)
懐中の時計を確かめる余裕なんて、もうどこにもなかった。
ただ、帯に結んだお守りを通して伝わってくる彼の鼓動が
私のものと同じ速さで、激しく
痛いほどに打ち鳴らされていることだけが、手に取るように分かった。
「……帰るぞ。これ以上ここにいると、変な毒に当てられそうだ」
刹那様は、まるで自分自身から逃げるように私の手を引き、足早に歩き出した。
繋がれた手からは、夜風の中でも消えることのない、逃れようのない熱が伝わってくる。
「偽りの縁」を形にするはずだったあのお守りが、今夜の月明かりの下で
呪いよりもずっと深く、私たちの魂を繋ぎ止めてしまった。
そんな予感に、私はただ
引かれる手に力を込めることしかできなかった。