私は報われない事が嫌いだ。
たった数十年の時間しか持っていないのに、そんな貴重な時間を支払ったのに、得られる対価が見合わないそんな残酷な事が他にあるものか。
特にこんな場所にいると嫌でも自覚させられる。人生なんてのは本当に不確かであっけないことを。
何となくぶっ飛ばした奴が私の10倍は生きてるなんてザラ。あの我儘お嬢様でさえ500歳だ。
奴らが年齢に見合わない幼稚さで満ちてるのは、きっと危機感がないからだ。奴らはめったに死なないし、寿命に怯える事もない。だからのんびり成長てきる。
だが人間は違う。簡単に死ぬし時間はあっという間に消えていく。だから必死に生き、成長し続けなければいけない。
その点で、私はあの巫女を幾らかの軽蔑の目で見てしまう。毎日を無意味に過ごしている。よく一緒にいるスキマ婆のせいだろうか。
しかし、あれには私との決定的な差異がある。
才能だ。
私が何年も積み上げて来た物を、あれはあっという間に越えていく。
やはり才能のある者が人生の勝者、無い者は負け犬である。
話を戻そう。
努力が報われるまでには個人差がある。それこそ当に才能の有無、努力によって何を得るかは生まれ持つ物による所が大きい。
努力が報われるまでには多くの時間を費やす。それが貴重である事は先に記した通り、だから損切りという物が必要になってくる。ここでまた問題が生じる。
例えば、あと少し時間を割けば大きな結果が得られそうだとしよう。それは急激な好転であり予測し難い。そこで諦める事、これは大きな過ちとなる。
一方で、得られる結果が少ない、つまり才能に恵まれなかったとしよう。しかしいつかきっと報われると言ってそこに貴重は時間や資源を割いていく。これも過ちである。
それが楽しめてるだとかで一通りに言い切れないとは言え、人生の努力に於いて人は多くの選択を強いられる。それが間違っていたか知る事はあるいはできない。
とにかく考え続けるしかない。今自分が何ができて何ができそうで何をするべきなのか。
ここまで私は努力についてしか述べなかった。だが人生には他にも重視すべき側面がある。それは楽しめるかだ。貴重な一生を何かを為すことだけに費やす訳にもいかない。楽しめなければ。
その点で、私はあの巫女が羨ましい。彼女の理想はあの何も無い時間なのだろう。努力に費やす必要のない時間を多く持つ、それもまた才能だ。
凡人は若干後ろめたさを感じても、後悔の無いよう楽しみ切るしかない。つまり…
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