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みら

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目黒に抱きしめられたまま。
阿部は、しばらく動けなかった。
思い出した。
自分がアイドルだったこと。
元は男だったこと。
九人で過ごしてきた時間。
目黒を好きだったこと。
一緒に暮らして。
何度も喧嘩して。
何度も笑って。
それでもずっと隣にいたこと。
ほとんど全部。
戻ってきた。
なのに。
その先だけが。
まだ、黒く塗り潰されたみたいに見えなかった。
阿部は目黒から少しだけ身体を離した。
「……それで?」
誰も答えない。
阿部はみんなを見る。
「このあと、何があったの?」
静かだった。
さっきまで。
思い出してほしいと言っていた佐久間でさえ。
何も言わない。
「佐久間?」
名前を呼ぶ。
佐久間は俯いた。
「……ごめん」
「なんで謝るの?」
返事はない。
隣にいる康二を見る。
康二も唇を噛んでいた。
「康二?」
「……俺からは、言われへん」
掠れた声だった。
そのまま。
康二の目から涙が落ちる。
阿部は目を見開いた。
「康二……?」
「ごめんな、あべちゃん」
一度落ち始めた涙は止まらなかった。
康二が顔を伏せる。
その隣では。
ラウールまで泣いていた。
声を出さないようにしているのに。
大きな目から、次々と涙が落ちている。
「ラウ?」
「……やっぱり」
ラウールが小さく首を振る。
「思い出さなくてよかったのに」
「……」
「今のあべちゃん、楽しそうだったじゃん」
声が震える。
「もう、あんなこと知らなくてよかったのに」
渡辺も。
いつの間にか泣いていた。
阿部が見ると、慌てたように目元を拭う。
「……翔太まで」
「うるさい」
「何も言ってないけど」
「分かってる」
渡辺は鼻をすすって、顔を背ける。
「だから嫌だったんだよ」
「……」
「思い出すの」
深澤はそんな渡辺の肩に手を置いていた。
でも。
深澤自身も。
今にも泣きそうな顔をしている。
宮舘も。
岩本も。
何も言わない。
そして。
目黒。
阿部が隣を見る。
一番。
辛そうだった。
「めめ」
「……うん」
「話せない?」
長い沈黙。
やがて目黒は。
小さく頷いた。
「今は……」
声が詰まる。
「俺からは、無理かも」
その言葉で。
阿部にも分かった。
この先にあるのは。
誰も思い出してほしくなかった記憶なのだ。
阿部は、自分の鞄へ手を伸ばした。
今日。
持ってきていたものがある。
一冊のノート。
この世界で目を覚ましたあと。
部屋の荷物を整理していて見つけた。
自分の日記。
大事なところだけ。
不自然なくらいページが破られていたもの。
「これ」
テーブルの上へ置く。
全員の表情が変わった。
「俺の日記」
目黒がじっと見る。
阿部はページを開く。
残っていた。
最後の言葉。
『しばらく一人で生きたい。』
「ずっと気になってた」
阿部はその文字を指でなぞる。
「なんで俺、こんなこと書いたんだろうって」
誰も答えない。
「その前のページ」
破れた跡を見る。
「全部なくなってる」
自分で破った。
今なら。
そんな気がする。
「俺が破ったんだよね?」
目黒が。
ゆっくり頷いた。
「……うん」
その瞬間だった。
ぱら。
小さな音。
阿部が目を落とす。
「……え?」
破れていたはずの場所に。
一枚。
紙があった。
「何これ……」
さっきまで。
なかった。
阿部は恐る恐るページをめくる。
そこには。
自分の字。
見慣れているのに。
知らない文章。
目で追う。
そして。
一行読んだ瞬間。
頭の奥で。
何かが弾けた。
映画の撮影現場。
目黒の隣。
綺麗な女の人。
笑っている。
スタッフにも。
共演者にも。
愛想がいい。
最初は。
それだけだった。
――目黒くんって本当に素敵ですね。
そんなことを言っていた。
目黒も。
仕事相手として普通に接していた。
自分も。
何とも思っていなかった。
目黒が映画で共演している女優。
ただ、それだけ。
でも。
いつからだっただろう。
女優の目が。
少しずつ変わっていった。
目黒を見る時間が長くなった。
必要以上に近づくようになった。
撮影が終わっても話しかける。
連絡先を聞く。
食事へ誘う。
目黒は。
全部断っていた。
『恋人いるんで』
そう。
はっきり。
何度も。
それでも。
やめなかった。
阿部ははっと息を吸った。
「……思い出した」
目黒が身体を強張らせる。
「あべちゃん」
阿部は。
ノートを見る。
「映画」
誰も動かない。
「めめが出てた映画」
目黒が小さく頷く。
「うん」
「共演してた……女優」
名前までは。
まだ出てこない。
でも。
顔は。
はっきり浮かんだ。
昼間。
目黒と話していた女性とは違う。
阿部の頭に突然浮かんだ。
あの女。
「この人だ」
手が少し震える。
「昼間、思い出したの」
渡辺が目を伏せる。
深澤も。
何も言わない。
阿部はもう一度ノートを見る。
すると。
また。
ぱら。
ページが増えた。
一枚。
また一枚。
破ったはずの紙が。
少しずつ。
元の場所へ戻っていく。
「……俺が思い出してるから?」
答える人はいない。
でも。
この世界なら。
あり得る気がした。
阿部は。
次のページを開いた。
週刊誌。
スマートフォンの画面。
並んで写る。
目黒と女優。
二人きり。
距離が近い。
まるで。
恋人みたいに。
見出し。
交際。
密会。
そんな文字。
阿部は。
その写真を見た。
でも。
すぐに分かった。
『これ、おかしい』
目黒が隣にいた。
『うん』
『加工されてる』
『俺、この時二人じゃなかった』
元の写真には。
他にも人がいた。
切り取られて。
繋ぎ合わされて。
まるで二人だけだったように作られていた。
女優が。
週刊誌に売った。
あとになって。
それも分かった。
目黒は怒っていた。
自分のことより。
阿部のことを心配していた。
『あべちゃん、大丈夫?』
『大丈夫』
『信じてるから』
本当に。
疑わなかった。
一度も。
目黒があの女を選ぶなんて。
思わなかった。
「……俺」
阿部の声が震える。
「めめのこと、疑ってない」
目黒の目から。
また涙が落ちた。
「うん」
「ずっと?」
「ずっと」
「よかった」
阿部が言う。
目黒が苦しそうに顔を歪める。
「よくないよ」
「え?」
「あべちゃん」
目黒は。
何かを言おうとして。
やめた。
阿部には。
まだ分からなかった。
信じていたのに。
どうしてこんなにも。
みんなが辛そうなのか。
また。
ページをめくる。
女優と。
仕事現場で会う。
すれ違う。
そのたび。
言われる。
『まだ目黒くんと付き合ってるんですか?』
笑いながら。
『本当に釣り合ってると思ってます?』
『目黒くん、可哀想』
『もっと似合う人がいるのに』
最初は。
聞き流せた。
言わせておけばいいと思った。
だって。
目黒を信じている。
目黒も。
自分を好きだと言ってくれている。
それで十分だった。
事務所にも相談した。
事務所は動いてくれた。
週刊誌にも対応した。
目黒と女優が必要以上に接触しないよう。
仕事の調整もしてくれた。
目黒自身も。
何度も。
はっきり拒絶してくれた。
『あべちゃんに近づかないでください』
『俺が好きなのはあべちゃんです』
守ろうとしてくれていた。
分かっていた。
全部。
分かっていた。
だから。
大丈夫だと思っていた。
阿部の指が。
ページの端を強く掴む。
「事務所も知ってた」
岩本が頷く。
「うん」
「みんなも?」
「知ってた」
宮舘が静かに答えた。
「できることは、みんなでしてたよ」
「……そっか」
じゃあ。
誰も放っておいたわけじゃない。
目黒も。
みんなも。
事務所も。
助けようとしていた。
それでも。
止まらなかった。
阿部には。
もう分かり始めていた。
次のページ。
手が。
少しだけ止まる。
読みたくない。
そんな気がする。
身体だけが。
この先を知っている。
「あべちゃん」
目黒が呼ぶ。
阿部は顔を上げる。
「無理なら」
「……ううん」
首を横に振る。
「読む」
そして。
ページをめくった。
廊下。
仕事終わり。
少し先に目黒がいる。
女優が来た。
何かを話している。
目黒は明らかに困った顔をしている。
離れようとする。
その時。
女優が。
目黒の服を掴んだ。
引き寄せた。
そして。
キスをした。
阿部の。
目の前で。
『……』
何も。
言えなかった。
目黒はすぐに女優を引き離した。
『何してるんですか!』
怒鳴る声。
初めて聞くくらい。
強い声。
目黒が。
すぐにこちらを見る。
顔色が変わる。
『あべちゃん』
走ってくる。
『違う』
分かっている。
見ていたから。
目黒からしたんじゃない。
無理やりだった。
全部。
分かっている。
信じている。
信じているのに。
胸が。
痛かった。
どうしようもないくらい。
苦しかった。
「……っ」
阿部が口元を押さえた。
息が一瞬。
詰まる。
目黒がすぐに手を伸ばす。
「あべちゃん」
阿部はその手を掴んだ。
「大丈夫」
「でも」
「大丈夫だから」
昔と。
同じ言葉。
目黒の顔が。
さらに苦しそうになる。
阿部も。
気づいた。
自分は。
昔も。
ずっとこう言っていた。
大丈夫。
信じてる。
平気。
何でもない。
目黒を困らせたくなくて。
みんなを心配させたくなくて。
自分自身にも。
大丈夫だと言い聞かせて。
でも。
本当は。
全然。
大丈夫じゃなかった。
戻ってきたページは。
まだ残っている。
阿部は震える指で。
次へ進む。
文字が。
少しずつ乱れていた。
最初のページは。
綺麗だった。
いつもの自分の字。
でも。
後になるほど。
文字が小さく。
歪んで。
ところどころ。
強く書き殴ったようになっている。
『めめを信じてる。』
『絶対に信じてる。』
その言葉が。
何度も書かれている。
まるで。
自分に言い聞かせるみたいに。
『でも苦しい。』
『今日も会った。』
『また言われた。』
『もう会いたくない。』
『めめは悪くない。』
『分かってる。』
『分かってるのに苦しい。』
阿部の目から。
涙が落ちた。
一滴。
ノートの上に落ちる。
そして。
記憶も。
戻ってくる。
食卓。
目の前にある料理。
箸を持つ。
でも。
口へ運べない。
目黒が心配そうに見る。
『食べられそう?』
『うん』
そう言って。
一口。
無理やり口へ入れる。
飲み込めない。
気持ち悪い。
『……ごめん』
『謝らなくていいよ』
目黒が。
すぐに料理を下げる。
ゼリー。
スープ。
飲み物。
食べられそうなものを。
何度も探してくれる。
それでも。
何も。
喉を通らなくなっていった。
夜。
一人になると。
あの女の顔が浮かぶ。
目黒に触れた手。
目黒へ近づく姿。
自分へ向けられた言葉。
また明日。
何かされるかもしれない。
もっと酷いことが。
起きるかもしれない。
目黒を信じている。
信じているのに。
怖かった。
このまま。
何かが続いたら。
いつか。
目黒を奪われるんじゃないか。
頭では。
違うと分かっている。
目黒は自分を選んでくれている。
それでも。
心が。
もう追いつかなかった。
阿部は。
ノートから目を離した。
「……俺」
声が出ない。
目黒の手を。
強く握る。
「苦しかったんだ」
目黒は何も言えない。
ただ。
握り返す。
阿部は涙を拭った。
「めめのこと、信じてたのに」
「うん」
「何にも疑ってないのに」
「うん」
「それでも」
胸が痛い。
昔の自分の苦しさが。
今の自分へ。
少しずつ戻ってくる。
「もう」
阿部は目を閉じた。
「苦しくて仕方なかった」
バーの中では。
誰も。
何も言わなかった。
戻ってきたノートには。
まだ。
続きが残っていた。
コメント
1件
はる。だわ。読んだ。第20話、めっちゃ重かった……。 阿部が「大丈夫」って繰り返すたびに、胸がギュッてなった。信じてるのに苦しいって、そういうことあるよな。目黒を信じてるからこそ、自分の中で処理できなくて、どんどん追い詰められていく感じがリアルで刺さったわ。 ラウールの「思い出さなくてよかったのに」って台詞が特に来た。みんな阿部に幸せでいてほしかったんだなって。 ノートが戻ってくる演出、この世界観ならではで好き。次のページが待ちきれない🔥