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「あ、あのっ、今のはえっと……へ、変な意味ではなくて、その……」
懸命に失言をリカバリーしようと頭をフル回転させている羽理の横。ニヤリと笑った仁子が、「おっ、羽理。とうとう課長本人に推し活の尻尾を掴ませちゃったかぁ~」とクスクス笑ってくるから。
羽理は仁子の口を手のひらでバフッと塞いだ。
羽理に口封じをされた仁子が、尚もムグムグと何かを言っているようだけれど、今は手を離すわけにはいかない。
(お化粧崩れたらごめんね、仁子っ。後で仁子の分まで私が働くから……その間に化粧直ししてっ!)
実は、仁子。羽理が趣味で小説を書いていて……倍相課長をモデルに作品を発表していることを知っているのだ。
さすがに公開しているサイトが「皆星」なことや、ペンネームが夏乃トマトであること、それから問題の作品タイトルが『あーん、課長っ♥ こんなところでそんなっ♥』なんて破廉恥なものだということまでは教えていない。
でも……もし倍相岳斗をモデルに小説を書いていることを課長本人にポロリとバラされて……岳斗自身から「そういうのは気持ち悪いからやめて欲しいな?」とか言われてしまったら、羽理は作品を引き下げるしかなくなってしまう。
折角少しずつ読者が増えてきた作品を途中で非公開にしてしまうのは忍びないし、それに――。
(尊敬する上司から軽蔑されるのだけは何としても避けたいっ!)
そもそも、そんなことになったら仕事がしづらくなってしまうではないか。
羽理は仁子の耳元にスッと唇を寄せて『お願い、仁子っ。小説のことは話さないでっ?』と小声で耳打ちをした。
仁子がコクコクとうなずいてくれたのを確認して恐る恐る手を離すと、仁子がぷはぁーっと吐息を落として。
「息できなくて死ぬかと思ったぁー!」
とか大袈裟なことを言ってくる。
「鼻は塞いでなかったでしょ?」
「バレたか」
二人でいつものようなやり取りをしていたら、岳斗が恐る恐るといった調子で問い掛けてきた。
「あの……違ってたら申し訳ないんだけど……ひょっとして荒木さんは僕のことを気に入ってくれてると思っていい?」
岳斗から、羽理の大好きなキュルンとした表情で小首を傾げられては、否定なんて出来るはずがない。
「……はいっ。倍相課長のふんわりとした雰囲気が好きで……私、密かに課長の笑顔にいつも癒されてました」
言ってからマズいと思った羽理は慌てて「き、気持ち悪いこと言ってすみません!」と付け加えたのだけれど。
「部下に慕われてるのを知って、嫌な気持ちになる上司はいないと思うんだけどな? むしろ今の話を聞いて僕、可愛い部下たちのためなら、何でも出来ちゃえそうだなって……改めて実感しちゃったくらいだよ」
眉根を寄せられる覚悟もしていたというのに、予想に反して岳斗からニコッと極上のふんわりスマイルを向けられた羽理は、岳斗の背後にぱぁぁぁっとパステルカラーの柔らかな色合いの花々が一斉にほころぶ錯覚を覚えてしまう。
仁子から、「推し活、本人に公認してもらえてよかったね♪」とクスクス笑われた羽理は、ひとまずホッと胸を撫で下ろして。
それと同時、岳斗の〝何でも出来る〟と言う言葉に、〝至らない自分の尻ぬぐいをさせてしまっているかも?〟という問題を思い出して、(今日は無理だけど、後日にでも改める形で穴埋めのお誘いをするべきかしら?)と岳斗を見詰めた。
「あ」
「ねぇ、荒木さん。今日こそはずっと伸ばし伸ばしになっていたランチに行かない?」
明日にでも、と前置きをした上で岳斗をランチに誘おうと決意した羽理が口を開いたよりもわずかに早く。
出始めの〝あ〟に被せるようにして、岳斗からランチの提案されてしまった羽理は戸惑いに瞳を揺らせた。
「あ、あの……今日は……」
昨日の買い物で、大葉が新しく用意してくれた猫の絵柄の可愛いランチボックスと、同じく猫柄の保冷バッグに入れられた彼お手製のお弁当があるので、別日にして欲しいと告げようとしたのだけれど。
「やっぱり今日もダメかな? ――僕、なるべく早く荒木さんに話しておきたいことがあるんだけど……」
そう言われてしまっては、グッと言葉を飲み込むしかない。
だって話したいことと言うのは、きっと羽理の仕事への苦言に違いないのだから。
倍相岳斗はお気遣いの上司なので、皆の前で部下の落ち度を責めることは皆無だ。
そう思ってみれば、前々から仁子を誘わず自分だけに声を掛けてくれようとしていたのも、そういう事情からだったんじゃないだろうか?と得心がいって。
(お弁当は……惜しいけれど仁子に食べてもらっちゃおう。部長は今日、お昼は出張で会社にいないって言ってたし……平気、だよ、ね?)
大葉が聞いていたら『バレなきゃいいってもんじゃねぇわ!』とプンスカしそうなことを考えながら、「分かりました」と岳斗へ了承の意を伝えた羽理だった。
***
(あー、マジで面倒くせぇーな)
朝一で社長室から呼び出しを受けた屋久蓑大葉は、言われなくても分かっていた呼び出しが案の定の内容だったことにうんざりして社長室を後にした。
社長室や役員室のあるフロアから降りて自室――総務部長室――のあるフロア入り口を抜けたと同時、小さく吐息を落とした。
そうしながら、ふと視線を上げた先。
自分とは対照的に、やたらと上機嫌な空気をまとった倍相岳斗を認めて、我知らず眉間のしわが深くなる。
(ひょっとして倍相のヤツ、俺が不在の間に羽理と何かあったとか?)
荒木羽理は自分の彼女なのだし、まさか妙なことにはならないとは思うが、やたらと胸騒ぎがするのは何故だろう。
そう思って羽理の方へ視線を移せば、こちらを見詰めていた視線とバチッと嚙み合ったと同時、わざとらしいくらいに慌てた様子で視線をそらされた。
(おい、羽理。お前、何やらかした?)
この後すぐに出張に出なければならないと言うのに、何となくこのまま放置しておいてはいけないような気持ちがして。
大葉は後ろ髪を引かれつつもとりあえず部長室へ入ると、携帯を取り出した。
実際、内線を鳴らして部長室へ呼び寄せることも考えたのだが、用件は至極私的なこと。
ならば、と思い直してスマートフォン内のメッセージアプリを起動して、羽理に『何かあったのか?』と一言送ってみるに留めた大葉だ。
本当は〝さっきの挙動不審な態度は何だ!?〟とか〝倍相と何かあったのか!?〟とか……問い詰めたい思いは溢れんばかりにてんこ盛りなのだけれど、グッと押さえての、あえての八文字。
羽理には、頑張った自分を評価してすぐさま安心させて欲しい。
なのに――。
待てど暮らせど送信したメッセージは既読にならず、もちろん返信のメッセージが送られてくる気配もない。
出掛けなければいけない時間は時々刻々と迫っているというのに!
まぁ勤務時間中にプライベートの携帯を見ないと言うのは社会人としては褒めるべきところなわけで。
だが、今日ばかりはそんなクソ真面目な羽理のことを、恨めしく睨み付けても構わないだろう?と思ってしまった大葉だ。
大葉はモヤモヤを抱えたまま、淡々と出かける支度をこなしていく。
いくらプライベートで気になることがあっても、出張は相手のある仕事。
約束の時間に遅れるわけにはいかないのだ。
そう思いつつもずっと……効率悪くも机上に置いたままのスマートフォンの画面を睨み付け続けてしまうのくらいは許して欲しい。
そんな大葉のそわついた心をあざ笑うかのように、結局羽理からの返信はないまま時間切れになった。
***
「あ、あの……倍相課長……」
仁子が化粧ポーチを片手に「ちょっとメイク直ししてくるね」と席を空けて程なくして。
羽理は〝言うなら今しかない!〟と意を決して岳斗の元へと近づいた。
「ん? 何か問題でもあった?」
のほほんと春風をまとった雰囲気で岳斗が問い掛けてくるのを見て、羽理はごくっと生唾を飲み込んで――。
「きょ、今日のランチのことなんですけど……」
身体の前で束ねた手を、ギュッと握って用件を切り出した。
***
「女性と二人ならどこかのお店にって思ってましたけど、お相手の方が望むならこういうランチも悪くないですね」
羽理は今、会社近くの公園で、倍相岳斗と二人並んでベンチに腰かけて、お弁当を広げている真っ最中。
一旦は大葉の手作り弁当を、仁子に食べてもらおうかと思った羽理だったけれど。
どこかから戻ってきた不機嫌そうな大葉の顔を見たら、どうにも後ろめたくなってしまった。
うかがうようにじっと大葉の顔を見つめていたのがバレた時、思わず視線をそらしてしまったのが決定打になって、仁子が席を空けた隙。
良心の呵責に耐えかねた羽理は、岳斗に「ランチには外でお弁当とかどうですか?」と提案してみたのだ。
最初は「え?」と驚いた顔をした岳斗だったけれど、「実は私、今日もお弁当を持って来てまして……」と正直に告白したら「そういうことでしたら」と納得してくれて。
しばし考えたのち「じゃあディナーに切り替えますか?」と聞かれたのだけれど。
「あ、あのっ。……それでは遅すぎると思うのです!」
そう力説して再度岳斗を驚愕させてしまった。
ただ単に、自分に問題があるならば早めにお聞きして、午後からの仕事に生かしたいと思っただけだったのに……そんなに驚かなくても良かろうに、と思ってしまった羽理だ。
そんなことを思いながら羽理がキョトンとした顔で小首を傾げると、岳斗は小さく吐息を落として――。
「荒木さんが僕との食事をそんなに待ち遠しく思って下さっているなんて思いませんでした。……何だかすっごく光栄です」
とにっこり微笑んでくれた。
待ち遠しく?と岳斗の言い回しにちょっぴり疑念を抱いた羽理だったけれど、早く話して欲しいと希うのは、そういう言い方も出来るのかな?と思い直して、深くは追及しなかった。