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ああ、よかった。バレてない。
僕の拙い嘘が、何とか通用したみたいだ。
体中の力が抜けていくのを感じ、僕はホッと安堵の息を漏らした。
でも、その安堵は一瞬でかき消される。岬くんはすぐに再び口を開いた。
「でもさ、朝陽くん。最近、元気ないよね?」
その言葉に、再び心臓がギュッとなった。
頭の中が真っ白になる。やっぱり気づかれてたんだ。
僕が必死に隠してきた、この不安も、痛みも、全部。
「え?そ、そんなことないよ」
僕は無理に笑顔を作ってみせた。
頬の筋肉を引きつらせて、できるだけ明るくいつもの自分を装おうとした。
でも、きっとそれは不自然な、歪んだ笑顔だったに違いない。
「いや、あるよ」
岬くんがソファーから立ち上がった。
彼の存在感が一気に増して、この狭いリビングが急に窮屈に感じられる。
ゆっくりと、僕に向かって近づいてくる足音が
一つ、また一つと僕の胸に響いた。
「俺のせい?」
「違う……違うよ」
必死に否定した。彼が悪いわけじゃない。
僕が見てしまったあの光景が、僕をこんなにも惨めな気持ちにさせているだけだ。
岬くんが僕の目の前にしゃがみ込む。
僕と彼の視線が同じ高さになり、逃げ場がなくなった。
彼の瞳に映る、情けない顔をした僕自身が、どうしようもなく小さく見えた。
「じゃあなんでそんな風に隠してるの?」
「……隠してないってば」
もう、だめだ。
嘘をつく体力も、彼から目を逸らす勇気も、もう残っていなかった。
そう、もう逃げられない。そんな絶望的な予感がした。
岬くんが静かに手を伸ばし、僕の頬に触れた。
ひんやりとした指先が、僕の熱を持った肌に触れた瞬間、体がビクッと震える。
でも、すぐに彼の掌から伝わる温かい感触が、僕の頬を包み込んだ。
その心地よさに、僕は思わず身を委ねそうになる。
「朝陽くん」
優しい声が、まるで子どもの僕を宥めるみたいに、耳元で響いた。
「……っ」
ああ、もうだめだ。
このままじゃ僕の心の中にある不安も、嫉妬も
何もかも、全て言ってしまいそうになる。
でも、怖かった。
もし、僕の勘違いだったら?
もし岬くんがその人と何でもなくて、ただの親戚とか、そういうことだったら?
僕が勝手に勘違いして、彼を疑って、そのせいで関係が壊れてしまったら?
「ねぇ」
僕は、喉が張り付いたみたいに苦しい中で、無理やり言葉を絞り出した。
「みさきくんさ……僕と、別れない……っ?」
岬くんは一瞬、時間が止まったかのように動きを止めた。
そして、怪訝そうに眉をひそめた。
「え?は?」
僕の問いかけが理解できなかったのだろう。
彼の瞳には、驚きと混乱の色が浮かんでいた。
「朝陽くん、急に何言ってんの?」
僕は唇を噛み締めた。言いたいことがたくさんあるのに、言葉が詰まって上手く答えられない。
「……みさきくん、僕が本命じゃないんだよね」
その言葉を聞いた瞬間、岬くんは驚いたように目を丸くした。
彼の表情は、僕の言葉の意味をまだ完全に理解できていないようだった。
「え……いやいやいや。待って。朝陽くんが本命以外ありえないでしょ。なんでそんな急に変なこと言いだしたのさ」
彼は早口にそうまくし立てた。
僕の不安を打ち消そうとしているみたいだったけど、僕はもう止まれなかった。
「だって……女の人に抱きつかれて嬉しそうにしてたの、見ちゃった」
僕は彼の瞳を、まっすぐ見据えた。
岬くんの顔から、さっきまでの困惑が消え、明らかに動揺の色が濃くなっていくのがわかった。
「え?え?ちょ……ちょっと待って、それって俺の───」
岬くんがなにかを言いかけたその時
電子音の無機質なチャイムが、僕たちの間に漂う張り詰めた空気を切り裂くように
軽快に鳴り響いたのだ。
びくりと肩を震わせた僕とは対照的に、岬くんは少し眉をひそめただけで
いつもの落ち着いた声で
「ちょっと出てくるから待ってて」
と言い残し、部屋を出て行った。
一人残された僕は、さっきの会話の続きをどうやって聞けばいいのか
あるいは聞かない方がいいのか、ぐるぐると頭の中で考えを巡らせていた。
「俺の───」の後にどんな言葉が続くはずだったんだろう。
まさか、僕が思っているような
そんな残酷なことじゃないといいんだけど。
心臓がドクドクと不規則な音を立てて、落ち着かない。
数分後、廊下からドアが開く音がして、岬くんが戻ってきた。
僕は安堵のため息をこぼしつつ、どんな顔をして彼の言葉を待てばいいのか分からず、ただ彼の姿をじっと見つめていた。
しかし、彼の隣に見覚えのある人物が立っていることに気づき、僕は息をのんだ。
昨夜、街中で岬くんと抱き合い、タクシーに乗り込んで行った、あの、すごく綺麗な女性。
その人が、今、僕の目の前に立っている。
頭の中が真っ白になって
僕の口から漏れたのは、もうどうしようもないただの驚愕の声だった。
「そ、その人、昨日の……!」
僕の声に、岬くんはきょとんとした顔で僕を見て、それから隣の女性に目をやった。
「え?昨日?」
「あっ、いや、な、なんでもない……!」