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8月。

社会人になって初めての夏を、私は迎えた。

勝手に麗の家に行ってしまい叱られたあの日から、1ヶ月が過ぎた。


「琴子ちゃん。今日は遅くなるのよね?」


少々過保護気味のおばさまがその日の予定を確認するのが、最近ではいつものルーティーン。

心配してもらっているという自覚のある私は、素直に答えることにしている。


「麗と食事をして帰るので、10時くらいになります」

「そう、あまり遅くなるようなら電話しなさい」

「はい」


最近になって私は、奥様、社長という呼び方から、おばさまおじさまという呼び方に改めた。

本当はお母さんと呼んで欲しいみたいだけれど、それは追々。


「琴子、今日も電車?」

車通勤のため私より遅く起きてきた賢介さんが台所を覗いている。


「ええ、電車です。行ってきます」


これ以上もたもたしていると車に乗せられそうなので、私は慌てて家を飛び出した。


***


「おはよう」

「おはようございます」


いつも通り元気な彩佳さんに挨拶を返し、週明け月曜日の勤務がスタートした。


「藤沢さん」

勤務のためエレベーターに向かおうとした私を、主任が呼ぶ。

私は足を止めて主任を待った。


「藤沢さんは、秘書課の立花麗さんと親しいのよね?」

「はい。同期ですので、親しくしています」


「立花さんのお母様の記事が今日の週刊誌に出るらしいの。おそらく会社の周辺にも取材の人が集まると思うからそれとなく、気遣ってあげて」

チラッと周りを見た主任が、少し小声でささやいた。


「はい。今日は彼女と同期とで食事に行く約束ですから、気をつけます」

「よろしくお願いしますね」


きっと上から言われたのだろうけれど、こうやって部署を超えて気づかいをしてくれるのはいい会社だなと思いながら私は勤務に就いた。


***


「主任の話は立花さんの事?」

一足遅れて受付に入ると彩佳さんが聞いてきた。


「はい。今日発売らしいですね」


麗のママの記事が出る事は、すでのワイドショーでも話題となっている。

夫は有名作家で娘も元モデルとなれば世間的には注目度抜群で、今日も会社の前に何人かの記者が集まっていた。

ちなみに今回の記事の内容は、麗のママと同じ劇団の若手俳優との不倫疑惑。

決していい話ではないけれど、舞台が話題になるとママはまんざらでもない様子らしい。


「有名人も大変ね。平凡でよかった」

チラチラと私を見る彩佳さん。


実は、彩佳さんには賢介さんと知り合いだという事を話した。

いつまでも黙っておくのが嫌だったから、『社長の奥様と母が知り合いで、その縁で入社したんです。専務とも面識があるんです』と、社長の家に居候している事は言わずに知り合いだという事だけを伝えた。


「麗は普通ですよ」

「そうね。ちょっと気が強いだけね」

「もう、彩佳さんったら」


私もさすがに否定できず、2人で笑い合った。


***


勤務後、社員通用口を出ると、何人かの記者が待っていた。


「麗さん。コメントをいただけませんか?」

こちら意思など関係なく、すでにカメラを向けている。


「どいてください」

道を塞がれ、いささか不機嫌気味に麗が言う。


「お母様のゴシップはつきませんけれど、娘さんとしてはどうなんですか?恥ずかしいとか、世間に申し訳ないとか、何かないんですか?」

挑発的な言葉。


これは、麗を怒らせるためにわざと言っているんだ。


「・・・」

麗は無視を続ける。


「これを機に、麗さん自身も芸能界復帰の噂もありますが?その為の売名行為ですか?」


本当に、なんて失礼な人達だ。

麗が何も言えないなら私が文句の一言くらい言ってやろうかとさえ思ったその時、

「行くぞ」

後ろから現れた翼が麗の手を引いた。


「新しい恋人ですか?」

「お前・・・」

ギロッと翼が睨む。


「どいてください」

私は2人の横に立ち、向けられているカメラのレンズを手で塞いだ。


程なくして、警備が出てきて私たちはタクシーに乗り込んだ。


***


「本当にごめんね」


いつもの居酒屋ではなく、幾分高級な中華料理店の個室で麗が謝る。


「何言ってるの。麗は悪くないでしょう?ママだって、ただの噂だって言ってたじゃない」

「うん、ありがとう」


いつも強気で真っ直ぐ前だけを見ている麗。

でも本当は臆病なんだって私は知っている。

生まれたときからいつも注目を集めてきたから、きっと色んなことがあったはず。

私や翼からみれば、お金に苦労する事もなく、贅沢な暮らしをしてきた麗や賢介さんはうらやましい対象でしかないけれど、そんな生活にも苦労があるんだと最近知った。


「ホントに、ごめんね」

テーブルに置かれたおしぼりを麗が目に当てる。


「今まではね、こんな時は賢兄しか側にいなくて。友達といるの初めてで、うれしいの」

「これからはいつでも呼んで。すぐ来るから。こんな美味しそうな中華も食べられるんだから」

冗談のように言うと、麗も笑ってくれた。


「とにかく食べよう。せっかくの料理が冷めてしまう」

「そうね。麗、泣かないの。食べるよ」


まずはビールで乾杯。


「琴子、飲み過ぎたらダメよ。賢兄に怒られるんだから」


いつも以上にハイテンションの麗は、すでにワインのボトルを抱えている。


「麗こそ、飲み過ぎないでよ」

「いいじゃないか。今日は飲め」


いつもは毒舌の翼も、麗のグラスにワインを注いでいる。


***


トントン。

「失礼します」


男性の店員が春巻きとエビチリを運んで来た。

今日はママのおごりだけあって、頼みもしないのに料理が次々と運ばれてくる。

私はテーブルのお皿を動かしてスペースを作り料理を受け取ろうとした。

その時、


「あっ」

小さく漏れた店員の声。


その声につられるように顔を上げ、私は固まった。


マズイ。

反射的に顔をそらした。


声を上げたってことは私に気づいたはずだけれど、それ以上何も言うことは無く店員は料理を置くと部屋を出て行った。


「知り合いなのか?」

挙動不審な私に、翼が不思議そうな顔をする。


「まあね。昔の」

「ふーん」

と、それ以上詮索しないでくれる翼に私は感謝した。


***


食べて、飲んで、騒いで、気がつけば時刻は10時を回った。

そろそろ帰らないとまずいな。

その前にトイレに行こう。


「ちょっとごめんね」

一言断わって、私は席を立った。


部屋を出て廊下を見回す。

えっと、トイレは・・・

初めて来た店は勝手が分からず、キョロキョロするしかない。

その時、


「琴子だろ?」

聞きたくない声が耳に入ってきた。


そして、近づいてくる足音。


「随分いい生活をしているようだな」

いやらしそうに笑いながら、男が私の前に回り込んだ。


「平石商事なんて一流企業じゃないか。大体お前、頭よかったもんな。それに、立花麗の知り合いなんて、凄いじゃん。俺に紹介しろよ。昔なじみだろ?」

私の反応などお構いなしに、男は話し続ける。


「昔馴染みなんて、いつの話よ。そんな大昔の話、誰も信じないでしょう?」


ククク。

男が笑う。


「大昔の話しでも、当時のお前の写真とか出てくれば、困るんじゃないの?」

意味ありげに、顔を覗き込む。


「何なら、当時の写真を会社中にまいてもいいんだぜ」


まずいな。この男ならやりかねない。


どうしよう・・・どうしよう。

頭の中を回るけれど、今は何も打つ手が思い浮かばなかった。


結局、私はその場で連絡先交換をさせられた。


***


8月下旬。

麗の周りのパパラッチ達も大分落ち着いてきた。

みんなが平和な日常を取り戻したように見えるけれど、実は私は悩みを抱えたままだった。


「藤沢、こっち」

店に入った途端、カウンターの奥に座った翼が右手を挙げて合図した。


ここは、会社から二駅ほど離れたところにあるスナック。

人目に付かないところでお願い事があると翼に言ったら、ここを指定された。


「忙しいのにごめんね」

「いや、いいよ。俺も気になっていたし」


アルコールを飲むつもりのない私はウーロン茶を注文し、とりあえず翼の水割りと乾杯。


「で、このあいだの男だろう?中華料理屋の」

「そう。よく分かったわね」


やはり、翼は私の異変に気付いてくれていたのか・・・


「蛇の道は蛇だな。なんとなく危なそうな奴だと思った。お前の反応もおかしかったしな」

そう言うと、翼は意味ありげに私を見た。


「専務や麗には言いたくない関係なんだよな」

「うん、そう」


あの男、名前は田中浩二という。

歳は35くらい。

私が中学生の頃にはもう地元を仕切っているチンピラだった。

少し不良に走った中高生を集めてバイトを斡旋したり、ヤクザの下働きのようなこともしていた。


「弱みがあるとか?」

「まあね」

やはり口には出しにくく、曖昧に答える。


翼はじっと私を見つめた。


***


フー。

私は大きな息を1つ吐いた。

仕方ない、こうなったら翼には話すしかない。


「実はね。何度かバイトを斡旋してもらったことがあるの。まだ中学生や高校生の頃なんだけど。当時は生活に困っていて、生きていくためには仕方なかったのよ」


それで?

と、翼の目が話の先を促す。


「結構きわどいこともしたわ。私とお客さんがホテルに入るところを撮影して相手を脅したりね」

さすがに体を汚したり犯罪に手を染めたことは無かったけれど、素行に良い学生ではなかった。


「今となっては、当時の写真がお前を脅す道具になっていると?」

「まあ、そういうこと」


そこまで訊いて、翼は話が見えた様子だ。


「困った状況だな」

「うん」

本当に万事休す。


「専務には秘密なんだよな?」

「うん」

賢介さんには知られたくない。


つまみに出された乾き物に手を出しながら、翼も考えを巡らせている。


「実は、今日会う約束なの」

「今日?」

さすがに、翼が驚いている。


「会うつもりはないとずっと断わってきたんだけど、会社に行くって脅されて。断れなかったのよ」


はあー。

翼の溜息が聞こえた。


「ごめんね。他に頼る人がいなくて」

「光栄だな」

嫌みたっぷりに、笑われた。


「とりあえず会うか。俺も一緒がいいのか?」

「お願い」


私は田中に連絡を取り、会社近くの居酒屋で会うことにした。


***


「おや、男連れかよ」

気色悪い笑みを浮かべ、田中が向かい合って席に着く。


とりあえずビールとウーロン茶を注文し、田中は翼の顔を凝視する。


「この前、立花麗と一緒にいたよな」

「ああ」

不機嫌そうな翼。


「一緒に来たって事は琴子の男ってことか?」

凄くいやらしそうな目。


「お前に、関係ないだろう」


「まあ、俺は金を少し用立ててもらえればそれでいいんだ。琴子の男に興味はないし。30万でいいか?」

さも当然のことのように、田中は言った。


「断わったら、どうする?」

ギロリと翼が睨む。


「そんなこと出来ないだろう。なあ、琴子」

「・・・」


確かに、田中の元には当時の写真が残っているかもしれない。

もし本当にそんなものがあって、外に出れば私は困ったことになる。


「こいつを脅せば、今度は俺があんたをつぶすよ」

無表情に話す翼。


「はあ?お前、何言ってるんだ?」

馬鹿にしたように、田中が翼を見る。


「このあいだの店だって立花の母親の行きつけの店だ。その気になれば従業員1人辞めさせるくらいの力は持ってるんだけど?」


「いい加減なことを・・・」

「本当だよ。俺だって、お前1人つぶす力はあると思うけれどな」

自信満々に話す翼は、私が見ていても怖いと感じた。


「お前」

そして、あきらかに田中も動揺した。


***


このまま田中が諦めてくれるかもしれないと、私も期待した。

翼と田中はにらみ合いを続けた。

本当は解決のために多少のお金を払っても仕方がないかと思っていた。

しかし、こういう奴らは一度払えば必ず次も現れるからと翼に言われ、私は翼にすべてを託した。

うまくいけばすべてが解決するし、難航すれば賢介さんに助けを求めることになるかもしれない。

もちろんそうならないように努力はするが、このままずるずると長引くのが一番悪いからそうならないためにも覚悟だけはしておいてくれと言われている。


ガチャンッ

翼と田中のにらみ合いが続いた後、突然グラスの割れる音がした。


割れたグラスの底を持ちながら、尖ったガラス片を翼に向ける田中。


「そういうことなら道ずれだ。とことん大ごとにして、琴子のあしながおじさんとやらに金を貰おうじゃないか」


「何バカなことを言っているのよ」

私は大きな声を上げた。


***


そうだ。

田中は私にあしながおじさんがいることを知っている。

私がダメなら、そっちから貰おうっていうこと?

ダメダメ。

それはダメ。


田中。翼。私。

テーブルを挟んで、睨み合いが続いた。


「警察を呼びました」

異変を察知した店員が告げる。


まずいな。

逃げ出すなら今しかない。

でも、ここで逃げたらいつまでもゆすられる。


「仕方ない。ハッキリ片をつけよう」

どうやら翼は、警察に行く気らしい。


それから10分後、警官が到着。

私たちは近くの警察署へと連れて行かれた。


***


警察の取り調べでは、住所、名前、勤務先、事件の流れを訊かれた。


田中も私たちもゆすられていたことには触れず、昔の知り合いと久しぶりに飲んでいてつい口論になったと話した。

田中は前科があったようで、途中で別室へと連れて行かれた。


「お二人とも、未成年ではありませんが、どなたか身元引受人に来ていただけませんか?」


若い警官に言われ、書類を渡される。

ここに身元引受人の連絡先を書けって事らしい。


「麗でいいのかなあ?」

誰でもと言われても思い浮かばなくて、翼を見た。


「いや、専務を呼ぶべきだと思うよ」


え、賢介さん?


翼は、昔からかわいがって貰っているという元バイト先のマスターを呼んだ。

私は・・・


「家族を呼びますから、自分で電話したらダメですか?」

こうなったら、出来るだけ当たり障りなく伝えたい。


「ダメなんです。こちらから連絡する決まりでして」

申し訳なさそうに警官が言う。


「琴子、諦めろ。こうなったら専務に隠しておく訳にはいかないんだから」

「でも・・・」


昔のことを知られてしまったら、私はもう平石の家にはいられない。


「いいよ。俺が書く。名前と携帯番号でいいんですね」


躊躇っている私から用紙を奪い、翼が記入してしまった。


「これで間違いありませんか?」

最後に警官に確認され、私はコクンと頷いた。

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