30分ほど待って、賢介さんが現れた。
「琴子!」
私の名前を呼びながら入って来た賢介さんは、普段とは別人のように慌てている。
いつも家で見るようなラフな服装にかろうじてジャケットを羽織り、乱れた髪のまま駆け込んできた。
キョロキョロと周囲を見回した後、パイプ椅子に座る私を見つけると、
「琴子大丈夫か?怪我はないのか?」
心配そうに私を見る。
そして、隣に座る翼に気づき、
「お前がついていて何で危険な目に遭うんだっ」
珍しく、怒鳴った。
珍しくどころか、賢介さんが大声をあげる姿を初めて見た。
どんな時も冷静沈着で落ち着いている賢介さんとは思えない姿に、私の方が慌ててしまった。
「賢介さん違うの。私がお願いしたの。だから」
翼を怒らないでと言おうとしたのに、
「たとえそうだとしても、こんなことになる前にお前が止めろ」
賢介さんは不機嫌なまま翼を睨んでいる。
その後も、私ではなく翼に怒る賢介さん。
それに対して、翼は何の言い訳もしない。
ただ私一人がいたたまれない思いを抱いたまま、そこに座っていた。
***
「すみません。店員の話によるとお二人が田中に脅迫されていたようだと言うんですが」
と、部屋に入って来た年配の警官が訊いてきた。
「琴子、どういうことなんだ?」
答えに困っていると、賢介さんにも訊かれてしまった。
一体どう説明したらいいんだろう。
私はチラチラと、翼を見る。
「因縁をつけられたのは事実ですが、それについては訴える気はありません」
ハッキリと翼が言ってくれた。
脅迫なんてどちらかが訴えなければ成立はしない。
当然田中は何も言うはずがないし、後は私と翼が言わなければ問題ない。
「では、本日の聴取は以上です。お二人はお帰りいただいて結構です」
前科のある田中はまだ拘束されているようだが、私と翼は帰宅を許された。
「琴子、行くよ」
賢介さんに腕を引かれ、私は警察署を後にした。
***
警察署の入口で翼と別れ、駐車場までやってきた私と賢介さん。
「琴子、乗って」
厳しい口調で言われ、私は賢介さんの車の助手席に乗り込んだ。
賢介さんが乗って来たのは、いつも私用で使っているドイツ製の高級外車。
普段は社用車か運転手付きの車で外出するから、使うのは完全にプライベートの時。
もちろん買い物などで私も何度か乗せてもらったことはあるけれど、正直今日は乗りたくない。
後ろめたいことがありすぎて、出来ることなら今すぐここから逃げ出したい。
「琴子、シートベルトを締めて」
「はい」
私の思いなんて無視するように、重たい空気を乗せた車は自宅ではなく都心に向かって走り出した。
***
そして、連れて来られてたのは都内のホテル。
確かここも平石コンツェルンの系列ホテルのはずだ。
正面エントランスの前で車を降り、そのまま客室に向かう賢介さんの後ろを私は無言で歩いた。
「入って」
エレベータに乗り絨毯敷きのと廊下を歩いて着いたのは、高層階の高そうな客室。
スイートルームらしく奥にはベットルームが見える。
この部屋、一体いくらだろう?
そんなことがまず頭に浮かぶのがいかにも庶民だ。
部屋に入ると、賢介さんが着ていたジャケットを脱ぎ、ソファーにかける。
そしてクルッと振り返り、怖い顔をして私を睨んだ。
「ごめんなさい。迷惑をかけてしまったことは反省しています」
瞬間的に謝ってしまった。
いきなり警察に呼ばれてさぞ驚いたことだろうし、きっと失望させたに違いない。
「違うよ。迷惑をかけたとか、そういうことはどうでもいいんだ。俺は、琴子が危ない目に遭っているときに一緒にいたのが俺でないことが嫌なんだ。俺の知らないところで危ない真似をするな」
「ごめんなさい」
と謝ってしまったけれど、何か違和感が・・・
「琴子、この際だからはっきりと言っておく。俺は琴子を妹とは思っていない。出来ることなら、伴侶として一生側にいたいと思っている」
そ、そんな・・・
私は黙り込んでしまった。
きっと今、私は告白された。
それも、超エリートの、超超イケメンの、誰もがうらやむハイスペックに。
でも・・・素直には喜べない。
私が賢介さんにふさわしくないのはわかっている。
それでも、出来ることならもう少しだけ賢介さん側にいたかった。
だから、昔のことは話したくなかった。
きっと、私自身も賢介さんに恋をしはじめているんだと思う。
惹かれていく気持ちを、住む世界が違うからと必死に押さえてきた。
でも、もう無理かも。
こんな風に告白されては、誤魔化すことは出来ない。
はああー。
大きな大きな溜息をついて、私はすべてを打ち明ける覚悟をした。
***
「わかりました。すべてを話します」
そう言うと、私はソファーに腰掛けた。
向かいのソファーに、賢介さんも座った。
「私は賢介さんが思っているような人間ではないんです。おとなしいお嬢さんでもないし、清く正しく生きてきたわけでもありません」
「そんなことは思ってないよ」
何だそんな事かとでもいうように、賢介さんはニコニコしている。
でも、おそらく賢介さんは本当の私を知らない。
それを知れば、すぐに離れて行ってしまうはずなのに・・・
「私は確かに、おばさまから学費の援助を受けていました。でも、祖母との暮らしは苦しくて、私が働かないと食べていくことが出来なかったんです。中学高校の時代から私はずっと働いていました」
それで?と賢介さんの視線が話の続きを催促する。
「人を傷つけることと、自分の体を傷つけること以外なら、何でもしましたよ。私は悪い子なんです。そして、生活に困ればまた同じことします。今日のことも、当時の知り合いに脅迫されたのが原因です。こんな女を、賢介さんは愛せますか?」
一気に言って、息をつく。
ここまで言えば、賢介さんの気持ちは離れて行くはずだ。
平石コンツェルンを継承する賢介さんに、私みたいな女が釣り合うはずもない。
「あのね琴子、君は誤解しているよ。俺はずっとずっと以前から琴子のことを知っているんだ。まだ小学生だった頃の琴子がどんなにかわいかったかも知っているんだよ」
「嘘」
そんなこと私は知らない。
だって、私はずっと祖母と二人きりだったもの。
***
「なあ琴子、子供は悪い事をすれば叱られるんだよ。お前、叱らたことないだろう?」
いきなり説教気味に言われ、
「生きるのに精一杯でしたから」
で?なに?と、挑戦的に言い返した。
そもそも叱ってくれるような大人がいれば、一人で生きてくることは無かった。
誰にも頼ることができなかったから私は必死に働きながら育つしかなかったんだ。
「確かに、琴子は悪い子だね」
スッと、座っていた向かいのソファーから立ち上がった賢介さんが私の前に回り、突然腕を引かれた。
え、ええ。
驚いて動けない私は、次の瞬間には賢介さんに担ぎ上げられていた。
「やめて」
思わず叫ぶけれど、賢介さんは止まってくれない。
米俵のように担ぎ上げられたことがあまりにも恥ずかしくて、私は力の限り抵抗した。
でも、所詮は女の力。
私を担いだままの賢介さんが部屋を横切り、隣の部屋へと続くドアを開けてベッドルームへ。
そして、ダブルベットの上に私を放り投げた。
***
投げ出された衝撃で一旦ベッドに沈んだもののすぐに体勢を立て直し起き上がろうとした私に、賢介さんが覆い被さった。
「悪い事は悪いとちゃんと認めろ。生い立ちや環境のせいにするな。悪い事したらごめんなさい。反省したら、もうしません。そのくらい子供でも言えるぞ」
息がかかりそうな距離で言われる。
それでも何とか抵抗したい私は、拳で賢介さんの背中を叩いた。
しかし、賢介さんはビクともしない。
それどころか逆に両腕も押さえられてしまい、ギュッと締め付けられ痛みが走る。
細身の賢介さんのどこにこんな力があったんだろうと思うほど強い力で抱きしめられ、息をするのも苦しい。
それでも負けたくなかった。
だから、死んだって弱音は吐かないぞと私は奥歯を噛み締めた。