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「アカン」
昼寝から目覚めてアタシは頭を抱えた。
「メチャ、リアルな夢見てしもた」
来年の3月。
夢の中でアタシは浮かぬ顔してオールド・ストーリーJ館に帰ってきた。
玄関にお姉とうらしま、桃太郎にワンちゃん、それからカメさんがズラリと並んで待ち構えている。
受験、どうだった? と言われ、アタシは力なく首を振った。
「アカン。問題、全然分からんかった」
こりゃもう1年、浪人やな。
そう言って夢の中のアタシは笑ってた。乾いた笑いだった。
時計を見れば午後3時。
桃太郎は世直しの旅に出たのだろう。
「起こしてくれたらいいのに。まぁいいか。どうせ世直しの旅に出てもアタシ、することないもん」
そこであらためて気付いた。
「アタシ、アカンって!」
学校にも行ってないし、働いてもいないから、アカン。
朝寝坊の上に昼寝のクセまでついてきた。
この状況を何とかせんといかんという焦りが、段々なくなってきた。
「だから、それがアカンねんて! 自分がまさかの高校浪人やってコトを弁えんといかん」
来年あらためて受験するとしても、今から準備しとかんと。
今が5月。
9ヶ月か10ヶ月後には試験。
それは長いようで短い期間や。
何とか……何とかせんといかん。
ブツブツ言いながらアタシは立ち上がった。
階段を下りて、お姉の部屋をノックする。
今日もヒラヒラピンク割烹着姿のカメさんが、りりしく出迎えてくれた。
「ああ、今日カメさん来る日やったんや。さすがに部屋きれいな」
「いえ、とんでもありません」
控え目に返しながらもカメさん、浮かぬ顔だ。
お姉とかぐやちゃんのデートを見守り損ねたことに、ひどくショックを受けてるみたい。
数日ぶりに来てみたら風呂場の屋根が隕石で大破している──そっちの方にはノーリアクションなんやな、この人。
「お姉は?」
部屋を覗き込むときれいな板間の真ん中でお姉、通帳と書類見ながらニヤニヤしている。
書類が入ってた封筒には、ドルとユーロのマークと共に数字がいっぱいメモされていた。
「ユーロが堅いわぁ。色々言うても、やっぱりユーロが手堅いわぁ」
久々に聞くお姉の関西弁。
イッシッシ……押し殺した笑い声が続く。いやらしい。
「お、お姉、外貨になんて手ぇ出してみ? 痛い目みんで」
話しかけると驚いたようにこっちを向く。
「うるさい! 円なんて日本が潰れたらお終いよ。アメリカとヨーロッパのお金に変えてたらその分は助かるでしょうが。万一の時の危険を分散しているのよ。わたしは自分の財産を賢く守っているの」
そんなんアメリカやEUが潰れても一緒やん。
しばらくして通帳から顔をあげ、お姉は怪訝そうにアタシを見た。
「リカ? 泣きそうな顔をしてどうしたの?」
「うっ……」
さすがお姉。どんな状況下でも妹のこと、お見通しや。
アタシは今見た夢の内容を涙ながらに語った。
「アカン、この状況ホンマにアカンねん。アタシ、アカンねん」
アカンアカン連発。
アタシ、アカン人間になってるやろ。
「そうね」
お姉は軽い感じで言って、オホホと笑った。
……お願い。否定するか、慰めるかして。
ツッこむのは心の中だけにしといて、とにかくアタシは問題集を広げた。
全ての高校に落ちた日の夜、お父が買ってきてくれたものだ。
無言で差し出された|紀伊国屋《本屋》の紙袋……きっと一生忘れられへん。
1回もページ開けてないコレを使って、今からみっちり勉強する!
アタシは決意した。
「まずは鬼門の算数からや! うわ、さっぱり分からへん!」
「……算数って言ってるあたりで厳しいですね」
カメさんが呻いた。
「最初からさっぱり分からへん。お願い。お姉、イチから教えて!」
「さぁ、わたしにも分からないわ」
「え、でもお姉はストレートでトーキョーの国立大入ったやん」
「わたしの時代は何もかもマークシート形式だったのよ。入試はおろか、定期テストもね」
てことは……勘?
頭良かったわけじゃなくて?
「トーキョーの大学だって本気で受かるなんて思っちゃいなかったわよ。でも行きたかったの。尊敬するヘビメタバンドの解散ライブが受験の日の夜、トーキョーであったから」
「お、お姉……頭良くて美人のお姉って……アタシはこれでも自慢に思っててんで?」
尊敬するヘビメタバンドって何や。
好きなヘビメタバンドでいいやん。
尊敬って……。
ガックリ肩落としたアタシの背を、カメさんが優しく叩く。
「リカさん、一緒にがんばりましょう」
「カメさん……。頼りになるのはカメさんだけや!」
そう叫んで泣くと、カメさんは微妙な笑顔を浮かべた。
それは控え目で優秀で乙女なカメさんの、今まで見たことない迷惑そうな表情だった。
「……自信はありませんが」
ともかく3人で問題集と格闘を始めた時。
ドンドン──扉を叩く音。
「リカ殿~! リカ殿~っ!」
この声、桃太郎だ。
半ベソかいた情けない感じでドアを叩く。
「何かあったんじゃないでしょうか」
アタシは無視しようとしたのに、わざわざカメさんが玄関を開けに行った。
「ヒッ!」
カメさんの悲鳴。
すごくイヤやったけど、アタシも出ていく。
そして絶句した。
桃太郎、あられもない姿で廊下にポツンと立っていたのだ。
「勝訴」の旗しょった背広のメガネボーイ。
上着はちゃんとしている。
しかし下は穿いてなかった。
パンツ一丁だ。
「知らぬ間に……知らぬ間に、ズボンが脱げてた」
「……そんなアホな。な、何でズボン? 一番大事なものやん! どこで落としたん?」
「それが分からぬから……」
「じゃあ、どこで気付いたん?」
「げ、玄関で……」
「どこの玄関? 家の? アパートの?」
「アパート……と思う」
「思うって何やねん! 情けない! 情けないわッ!」
桃太郎の背をバシバシ叩き、アタシは目の前が霞むのを自覚した。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ!」
桃太郎もハラハラ涙を零している。
「リ、リカさん、落ち着いてください」
カメさんに宥められ、アタシはようやく落ち着きを取り戻した。
アカン。アタシ、すっかり桃太郎のお母さんと化している。
「余は、コスチュームはあれ1個しか持っておらぬ」
コスチュームって言うな。
「早う見つけよ。見つけたら褒美にきびだんごをやるぞよ」
この期に及んで、尚も上から目線なん?
桃太郎の背を軽く叩いて廊下に出ようとしたアタシを、カメさんが押し止める。
「いえ、俺がズボンを探しに行ってきます。リカさんは勉強を続けてください」
そこでなぜか桃太郎が頬を染めた。
「そちは優しい奴じゃのぅ」
カメさんもえらくテレた。
何やねん、アンタら。気持ち悪いねん!
「22.不毛恋バナ~甘酸っぱく始まったものの、苦々しく終了する」につづく