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鍾乳窟の周囲は水気に溢れていた。
冬の間、あれほど頑固に凍りついていた氷の全ては、柔らかな陽光を受けてキラキラとした雫に姿を変え岩や土、芽生え始めた植生に目覚めの恵みを与え続けている。
太陽の光は流れる水の反射を受けて、チラチラとした屈折を周囲に齎(もたら)し、ワクワクとした煌(きらめ)きを見る者の目にも心にも届けていた。
春がやって来たのだ。
半分死んでいた変温動物、ジグエラが大空への飛翔を再開し、大猪(おおいのしし)が空腹に耐えかねて根雪の残る谷を猛ダッシュ、食事に向かってから既に七日が過ぎていた。
神と直接対話を果たしたあの日以来、魔術師バストロは一度も錯乱する事無く、幼い弟子たちと共に魔力操作の習熟と口にする生き物たちへの感謝の念を高め続けていった。
冬篭りの前と比べて、まるで別人の様な魔力量を得たバストロの変化を目にしたジグエラとヴノの両者も、遅ればせながら、そんな感じで魔力操作、全身の魔力を高速で循環させる訓練に、それこそ必死の形相で取り組み始めていたのである。
「よーし、出来たんじゃないかなー?」
『グァグァ♪』
『うわあ、綺麗になったねレイブお兄ちゃん! 真っ赤な刀身がキラキラしてるじゃない♪』
「むふうぅ!」
満足気な表情を浮かべたレイブの手には、例のゼムガレのナイフが握られている。
白銀に輝いていた刀身全体が、ねっとりとした糊に覆われていた。
糊はそもそもの白濁した白色ではなく、赤い魔石タンバーキラーの欠片(かけら)、粉状になって色を失した魔石を目覚めたヴノに頼んで魔力を充填してもらった、真紅の粉を多分に含んだ、紅の粘着物へと姿を変えていたのであった。
糊に浸した大切なナイフの刃を満足そうに見つめるレイブに、黒い猪、ペトラが声を掛ける。
『ね、ね、レイブお兄ちゃん、試してみようよ! それでアタシを切ってみてよぉ!』
レイブは大慌てで答える。
「えっ! だ、駄目だよペトラぁ! 危ないかもしれないじゃないかぁっ! 最初はぁ、えっとぉ、そうだな? うんっ、ヴノの爺さんで試させて貰おうよ! ね? ペトラ? 君の安全が一番大切じゃないかぁ!」
ヴノの安全は? 酷い言われようであったが、一冬を一緒に越えたことで培われた、これが絆ってヤツなのかもしれない……
そう、誰に対しても誠実なのは、誰に対しても不誠実と言う事なのだ…… そう言う事なのかもしれない……
と言う訳で、仲間に対して誠実で有りたいと渇望したスリーマンセルは、鍾乳窟の表で魔力の操作速度を速める訓練に集中しているヴノの前までやってきて声を掛ける。
「ねえヴノぉ、ナイフの糊が出来たんだけどさ、ちゃんと血抜き出来るか試させて欲しいんだよね、良いかな?」
『グルグルグルグル、む? ああそうか実験じゃな、ブフォフォかまわんぞぃ、もしもちゃんと出来てなかったとしてもその可愛らしい刃ではワシの分厚い皮膚には大した傷を負わせられんじゃろうしな、ほれ、下顎の下、中心の辺りで試してみぃ、ブフォフォフォ』
快諾に満面の笑顔を返すレイブの後ろから、ヴノの顎下に大きな採取ビンを運び入れるギレスラ、ペトラは自分も同種の豚猪(とんちょ)だからか、短い前足で顎の辺りに触れては何かを確かめている様だ。
『ビンセッチカンリョウ!』
小さな翼をパタパタさせて戻ってきたギレスラと入れ替わるようにヴノの顎の下に進んだレイブは大きな声で確認だ。
「良いヴノ、痛かったら言ってね、すぐ治療するからさっ、準備は良いねペトラ」
『うん、ヴノ爺が痛いって言ったらすぐ回復してみせるよ』
『ブフォフォ♪ なんじゃ回復もやってくれるのじゃな、じゃあ全部任せてワシはのんびりしているとするかの~ブフォフォ♪ レイブ、遠慮は要らんぞ、最近魔力量も増えたみたいじゃからな、たっぷりと抜いてくれい、ブフォフォフォフォ!』