静寂の一室にけたたましい電話の鳴る音が響く。袴を来た大柄な男が固定電話へと歩き出す、その間も静寂の中場違いに鳴り続ける電話に妙に胸がザワついた、何時もの電話とは何か違う、大事を告げられているような気がしたのだ。2コール目、3コール目、4、5、6コール目でようやく電話を手に握り、耳を傾ける。
「もしもし、特務課の種田です、御要件は?」
「もしもし、探偵社の福沢だ。」
電話越しの聞き慣れた声に、種田の声は厳格な物から親しみを込めた声へと変わる。
「おお!福沢君か、其方から掛けてくるんは珍しいな」
カタンっと音を立て、片手に持っていた扇子を開く。軽く扇ぎながら福沢に再度聞く、先程よりも厳かな声で。
「ほんで、何があったんや」
滅多に来ない探偵社からの電通、察せずとも大事なのが分からぬ種田では無い。だが問い詰めるつもりがある訳でも無く、ただ電話越しの声を待つのみ。沈黙の間が僅かに続いた後に、重苦しい溜息が籠ってやって来た。
「、、、我が社の社員、太宰治の事だ」
「太宰君がどないしたん、まさか自殺が成功してもうたとか言わんよな」
「違う」
「そら良かった」
「違うんだが」
ほんのすこしの間の後、握り直されたらしい受話器の軋む音が僅かに聴こえた。
「それよりも重大な事に繋がる可能性があるのだ、我が社の社員太宰治が___」
「___失踪した」
「、、、もう特務課にも情報が回りましたか、厄介なものです」
暗い部屋の中、パソコンに顔を向けた男が呟く、その傍らでは道化師風の服を着た青年が白髪を揺らし、ステッキを弄っていた。
「やはりこのヨコハマの組織は有能揃いだね」
カラカラと笑い、男、フョードルの肩に手を置き。パソコンを覗く、画面には探偵社の一室の生映像が映っている。
「どこがです?本当に有能ならば、大宰くんの様な人材を自ら手放したりしませんよ」
「ハハッ!それもそうだねぇ」
クルリと踵を返して、白いマントが翻る。ペタリ、ペタリと足音を鳴らしてドアの前まで来た所で、ふとフョードルが青年に声を掛けた。
「ニコライさん、探偵社に行った時の報告がまだですが。何処へ行くのです?」
「うへ、、、そうだったぁ、、、」
だら〜んと両手をぶらつかせて、子供の様に落胆する。もう26歳だと言うのに、本当に子供みたいな人だ。
「え〜とねぇ、、、あ、あった」
白い外套の中で黄金に光る空間を手でまさぐった。
彼の異能力、『外套』による物だ。
空間接続系の異能力で、その接続範囲はおよそ30mに及ぶ。汎用性が高く、良い使い方をするのならショーやマジック。こちらの組織らしい使い方をするなら万引きや暗殺、誘拐などに便利な異能だ。
「はいコレ、探偵社の偵察の時に置いといた盗聴器」
黒いイヤホンにタブレット端末、硝子の画面には録音中と言う文字が浮かんでいた。
「いやぁ、いい感じにギスギスしてるねェ」
ニンマリ、そんな擬音がピッタリな顔でニコライが笑う。いや、嗤うと書いた方が正しいだろう。ペットを眺める子供の様な顔で笑っていながら、その顔に孕んだ物は紛れも無い蔑みだった。自分達が仕掛けておいた物の、思ったよりもあっさりと騙せてしまった。探偵社と言っても本当に探偵に向いているのはあの自称名探偵のみだったのだろうか。
「そういえば、シグマ君と太宰君は?」
「シグマさんは貴方より随分先にこっちにいらしていましたよ。太宰は2階で寝てます」
ああ、そういえば太宰君とドライブに行ったっきり、茶会の片付けを忘れていた。あとでしなければ。
「私太宰君の様子見てくるー!」
軽く跳ねて立ち上がる、るんるんと寝室に走っていく姿は、182cmもの巨体が小さく見えるほど子供の様だった。
「ぼくも片付けをしますか、、、」
椅子の肘掛に手を付き体を伸ばす。ボキボキと背骨が呻いた。
ニコライはおどけた様子で階段を駆け上がる、木製の階段から自重によってギシギシと音が上がり、自分の現在地を家の人に伝えていた。階段の終わりに白壁の廊下があった。ふと衣嚢から紙を取り出す、天井の電灯の光が反射してテラッと光沢を見せた紙には、茶色の蓬髪の青年が映っていた。薄暗い夜の路地にスラリと佇む、街頭に照らされた青年、その魅力は、ただ信号待ちをしているだけでも充分に計り知れた、ふわりとスカートの如く膝下に翻る砂色の外套に、それに隠されたように伸びる長い脚、ピンと背筋を伸ばすことで誤魔化された痩躯。きっといつか私と彼が生きる時代が世紀で呼ばれ始める頃、この写真を何処かで発見した歴史学者はこれを名画だと勘違いするだろう、それ程に美しかった。
愛しげに細めた目が、半開きにされたオディールのドアを捉えた、ああ、やっと見れるのだ、触れられるのだ、彼に、写真越しでない、太宰治に。
白い三つ編みを揺らしながらそのドアへと駆け寄り、中に飛び込む。
「はぁ〜いシグマ君!めちゃくちゃ御機嫌よー!」
ベッドの端に腰掛けるツートンカラーの青年に元気良く声を掛けると、全く御機嫌では無さそうな視線と咎める声が返ってきた。
「おい!まだ寝てるだろう、余りに大声を出すな!」
殆ど吐息で構成された様な静かな声を発し、此方へ寄ってくる、近づいてきた顔に嵌められたワインレッドの瞳を憂愁な光が照らしていた。
「おや?なんだか物憂げな様子だけどどうしたのかな?」
「、、、見ろ、あの顔」
指で示されたのは、ベッドで静かに眠る蓬髪の青年、太宰君だった。
すこし離れて見ても写真の通り綺麗だ。触りたい、寝息が聴きたい。
スタリ、スタリと歩み寄る、3歩先の君に向かって。
「こんな所に眠姫様が居るねぇ、どれどれ?どんな顔をして、、、」
思わず言葉を失ったのは、瞳から頭に侵入する君の顔の情報のせいだ。
白く、然し血の通っている事が分かる陶器のような肌。けぶるような長い睫毛に、アイラインのように赤い泣き跡。薄く開かれた唇から漏れ出す呼吸。
時が止まったかと思った、上下する君の喉仏も、自分の呼吸も、この瞬間だけはスローモーションだった。
「、、、」
何か言おうとした、確かに言おうとしたのに、言葉が出なかった、言葉を縫い合わす事さえ無礼に思えてくるほど、凄まじい美しさだった。
泡沫?、清純?、ミラーシュカ?
違う、どれもこの青年を表すには足りない。 とても今知っている言語じゃあ言い表せない、否、きっと世界中の言語を知ったとしても、この美しさを明確に表す言葉は見つからない。
あるとするならば、それは君が紡ぐ文字なのだろう。
聞きたい、聴きたい、その声が紡ぐ言葉を。
「、、、フョードルから聞いたんだ、悪夢を見て錯乱していたと」
背後で憐れむ様な声が聞こえた。
「背を撫でながら話を聞いたらやっと安心し始めたと」
「ああ、それは可哀想に、、、」
そんな事微塵も思っていない。見たかった、脳に落ちる言葉はそれのみ。嗚呼、そこに居たのがもしドス君じゃなくて私だったら、私が彼の心を安心させる事が出来たら、どんなに嬉しいだろう。
「さっき起きて外の空気を吸っていたが、まだ落ち着かないんだろう」
「太宰君は夢すら忘れられなさそうだものねぇ、もしや続きを見てしまったりして」
背後の声が止まり、重苦しい溜息が耳に入った。
「、、、こんなの、余りにも太宰が不憫だ」
振り返れば、拳を真っ赤になるほど握りしめ、顔を歪める青年が居た。
「天人五衰きっての不憫キャラの君がそれを言うかい?」
「なっ!?今は太宰の話だろう!抑私を不憫たらしめているのはお前達だろうが!」
「あーはいはいごめんごめん、ちょっと静かにしてよねぇ?太宰君が寝ているじゃない」
ニヤッと笑いおどけた様子で目の前の太宰に毛布越しで手を置いた、温もりが手にあたり顔を緩ませる、誤魔化し程度で太宰の方を向けば、大きな声を出していたからか、悪夢の続きを見ているのか分からないが、端正な顔を走る眉が顰められ、眉間に皺を作っていた。
「可哀想に、本当に可哀想にねえ」
「お前が言う可哀想は面白いと同義語だろう」
「ひどぉい」
可哀想に、可哀想にね。今まであんな組織に居ただなんて。たかが1人の証言で数多の人を救った君を蔑むような、そんな愚か者達に囲われて2年も過ごしていただなんて、ああ、どうしてもっと早く助けてあげられなかったんだろう、気付かせてあげられなかったんだろう。正義と悪は本質的には同じただのエゴで出来ていて、君は悪側のエゴを持つ人間だと。人助けをしたいだなんて、ただの後付けの願いであると。
物思いに耽っていると、先刻閉めたドアからキィッと音が鳴った。
「おや、お揃いで」
「ドス君、何してたの?」
「先程太宰君とクッキーを食べながら茶会をしていたので、その片付けを」
「あ!もしかして私があげた紅茶?」
「そうですよ、クッキーはシグマさんからいただきました。太宰君が気に入っていたので、また是非」
顎に手を添えて太宰君の表情を思い出しているそぶりをする、羨ましい、もし私がドス君だったら、天人五衰の中で1番先に心を許して貰えたのが私という事になるのに。
「そうかい、気に入って貰えて何よりだよ~太宰くぅーん!」
「ならまた持ってくる、太宰はどのクッキーが好きそうだった?」
「ジャムが乗っているのと、ああ後チョコチップのも美味しそうに食べていました」
「分かった、また買う」
傍らに眠るおひめさまを優しく見ながら談笑する時間は、存外暖かいものだった。太宰君がこちらへ来てくれなければ知らないままだった部屋の温もりが愛しくて、頬を緩ませながら君のほっぺたを突っつく。
「うぅん、、、?」
ピクリと睫毛が揺れて、太宰君の目元に影を落とす。眠っているだけで高潔で美しいのに、でもどこか幼い子供みたいで愛しくて、心臓が鷲掴みされたようにギュウと締まって苦しくなる。
そんな苦しみさえどうでも良くなるほど、私は君が好きだ。さっき解った、僕は君が好きなんだ。
突っついていた人差し指が離れ、再び手を伸ばして掌の暖かみを分けるように体温の低い肌を撫でる。
「んぁ、、、」
ああ、君はそんな声なのかい、嬉しいな、また1つ君を知れた、もっと教えて、どんな話し方をするのか、教えて、その唇の柔さを。
親指を彼の唇に掛け、そっと顔を引き寄せた。
「一寸」
「痛っ!?」
頭にビリッとした痛みが走る、ドス君が私の三つ編みを引っ張っていた。
「まだ僕ですらそんな事していないのに、抜け駆けは良くないですよ、チャンスは平等で在るべきです」
「そうだぞ!大体寝込みを襲うのはズルだろ!」
「誰よりも早く太宰君の元へ迎えに行った君がソレを言うかい?シグマ君なら分かるけどさ、、、」
いたたた、、、と後頭部を摩る、流石に強く引っ張りすぎだと思う。
「ん、、、ふぅ、、、」
口から漏れた呼吸を感じてそっちを見ると、緩りと笑みを浮かべて、幼子のように可愛い寝顔があった。
「、、、ふふ、連れてきたかいがありましたねぇ」
「すこし強引だったがなあ、、、まあ良いか」
「可愛いねぇ、シグマ君の他にも弟が出来たみたい」
「子供扱いしすぎだろう」
「3歳ですもの、仕方ない」
眠れる君を囲んで、みんなで笑っている夜だった。妙に怪しげで、暖かい夜だった。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!