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神は涙を流さぬ。

だが、彼女を抱いた夜、蒼龍は確かに泣いた。



神域の夜。

風は止み、湖は静か。

全ての音が消えた世界で、青龍はレイを抱きしめていた。


彼女の胸の奥にはまだ、黒い紋様が微かに脈打っている。

それは闇の王・朧の力の残滓。

それでも、彼女は穏やかに息をしていた。


「……あなた、泣いてる。」

レイがそっと指で彼の頬をなぞる。

青龍は一瞬だけ目を伏せ、かすかに微笑んだ。


「これは……涙ではない。雨だ。」

「うそ。神は雨なんて降らせない。」

「……お前は、本当に人を惑わせる。」


青龍の指先がレイの髪を撫でる。

それは、初めて彼が神ではなく“男”として触れた瞬間だった。





その頃、神域の外縁。

朱雀と白虎が向かい合っていた。


「なぁ、朱雀。」白虎が低く問う。

「お前はあの娘をどう見る?」


朱雀は火のような瞳で空を見上げた。

「どう、ねぇ……美しいと思うよ。

光と闇を同時に抱える存在なんて、神でも滅多にいない。」


「なら、惹かれたのか。」

「惹かれる? ――ああ、少しだけな。」


朱雀が口元に笑みを浮かべる。

「でも、俺は“彼女”よりも“青龍の狂気”のほうが面白い。」


「狂気?」

「そう。神が人を愛した瞬間、秩序は壊れる。

あいつはもう、理を外れた。」


白虎の拳が微かに震えた。

「……あいつだけじゃない。俺も同じだ。」


朱雀が眉を上げる。

白虎の瞳は、獣のように光っていた。


「俺は力でしか守れない。

だが、あの女を守りたいと思った時、初めて“戦い”が怖くなった。」


「白虎……」


朱雀は一瞬だけ彼を見つめ、それから小さく笑った。

「いいね、それ。神々が人間みたいな顔をするなんて、滅多にない。」

「お前はどうする?」

「俺は――壊す側でいようと思う。」


朱雀の背に炎が舞う。

「愛も、理も、神々の誓いも。全部燃やして、新しい世界を見てみたい。」





そして、玄武。

一人、神域の湖に立ち、沈黙のまま水面を見つめていた。


「……レイ。」

その声は、風よりも静かだった。


彼の掌には、一枚の蓮の花弁。

それは、レイが初めて湖で見せた笑顔を思い出させるものだった。


「お前を救いたい。だが、俺には“時間”しかない。」


玄武は時間と記憶を司る神。

ゆえに、未来を見通すことができる。

だが今、その瞳には“終焉”しか映っていなかった。


「青龍が誓いを立てた瞬間、この世界は崩れる。」

彼は空を見上げ、わずかに目を閉じる。

「……それでも、見届けよう。

神が愛を知った、その結末を。」





夜明け。


青龍は高台に立ち、レイの手を取った。

空は薄く蒼く染まり、雲が金色に輝く。


「レイ。」

「うん。」

「この世界が滅びても、お前だけは生かす。」


「そんなの、いや。」

「俺の願いだ。」

「でも、それじゃあなたが――」


青龍は彼女の唇を塞いだ。

一瞬、世界が光に包まれ、風が舞った。

その口づけには、神の誓いが込められていた。


“天の理を破りても、我は彼女を愛す。

神たる名を捨てても、この手を離さぬ。”




空が鳴り響く。

雷鳴が天を裂き、神域全土に蒼い光が走った。


朱雀が遠くからそれを見上げ、低く笑う。

「やったな、青龍。

お前、もう神じゃない。――恋をしたただの男だ。」


白虎が剣を抜き、玄武が目を閉じる。

世界の均衡が崩れ始めた。


湖が裂け、大地が鳴り、空が蒼く燃え上がる。


その中心で、青龍はレイを抱きしめたまま、静かに囁く。


「……どんな罰を受けても、俺は後悔しない。」

レイは涙を流しながら微笑む。

「なら、私も一緒に罰を受ける。」


――そして、二人の誓いが“天の封印”を砕いた。

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