テラーノベル
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僕は科学者だ。僕は、世界を巨大な数式だと信じていた。
すべての出来事には原因があり、緻密な計算さえあれば、未来は完全に予測可能なはずだった。僕は人生のすべてをコントロールしようと躍起になり、一分一秒の遅れも、予期せぬ失敗も許せなかった。
そんなある日、僕は研究所の部署の異動を上司に命じられた。計算外の辞令だった。不愉快だな。新しい部署に異動する日が来た。「君の新しい上司だ。」顔を上げると長いボサボサの茶色の髪を高く束ねた若い女性がいた。二十歳くらいか、整然とした僕とは正反対の無秩序な知性を感じる。
僕とは大違いだ。
「お前、辛気臭そうだな。お前は川の流れを指で止めることができると思うか?」
急にそんな事を聞かれた。初対面で「お前」とか失礼だな。
そんな事を思いながら僕は答えた。
「無理です。水は僕の指をすり抜け、決まった法則に従って下流へ流れます」
「よろしい。では、お前自身の人生はどうだ? 君がどれほど緻密な計画を立てようと、明日の一秒後に誰かがお前にぶつかる確率を、あるいは一粒の雨がお前の頬を濡らす運命を、完全に排除できるか?」
僕は黙り込んだ。僕が最も恐れていたのは、その**「不可解な偶然」**だったからだ。
「ケセラセラ、という言葉がある。多くの者はこれを『無責任な放任』だと誤解しているが、真意は違う。これは、抗えない必然を受け入れた上での、意志ある沈黙なのだ」彼女は、足元に転がっていた石ころを拾い上げた。
「この石がここにあることに理由はあっても、意味はない。世界はお前の都合に関係なく、ただ『ある』ようにある。**『なるようになる(Que Sera, Sera)』**とは、因果の檻に閉じ込められた自分を呪うのをやめ、その檻ごと踊り出すための呪文だ」
僕は、自分の握りしめていた拳が白くなっていることに気づいた。未来を支配しようとする執着が、僕を不自由にしていた。
「制御不能な未来を恐れるのは、今この瞬間を死なせているのと同じだ。明日、世界が滅びるとしても、今この瞬間、お前が『なるようになる』と微笑むことができれば、その瞬間の君は運命よりも巨大な存在になれる」
僕は、深く息を吸い込んだ。
完璧な計画も、予測された成功も、剥き出しの偶然の前では等しく無力だ。ならば、その不条理を愛するしかない。
「……ケセラセラ」
僕はその言葉を呟いた瞬間、世界から色が消えたわけではなかった。ただ、世界を縛り付けていた透明な鎖が、音を立てて崩れ去ったような気がした。
僕は、初めて空を仰いだ。あれは水蒸気の集まりに過ぎない。けれど、複雑な揺らぎを計算できない事が今はどうしようもなく、愛おしい。
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