テラーノベル
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舜太が初めて仁人と出会った頃、彼はまだ、少し遠い存在の「仁人くん」だった。
ダンスの練習中、舜太はいつもその背中を眺めていた。仁人はどんなときでも誰よりも熱心で、誰よりも周りを見ていた。
「仁人くん、今のステップ、こうやるんですか?」
「おっ、いい質問だね。こうだよ、見てて」
舜太の問いかけに、仁人はいつも丁寧に応えてくれた。舜太にとって、仁人は「優しくて頼れる、憧れの先輩」という枠組みの中にいた。
しかし、その「完璧」なイメージは、二人の距離が縮まるにつれて脆くも崩れ去った。
ある日、練習終わりに舜太が「仁人くん、腹減りましたね」と誘ったのがきっかけで、二人はラーメン屋へ通うようになった。カウンターで並んで座り、湯気の中で顔を見合わせる。
「それじゃ、いただきます。……あつっ!」
仁人が、勢いよくラーメンを啜ろうとして、見事に麺を鼻の方に飛ばした。
「え、仁人くん……? 大丈夫ですか?」
「……今の、なし。……絶対、誰にも言わないでよ」
口元にスープをつけながら必死に隠そうとする仁人を見て、舜太は思わず吹き出した。ステージの上での凛々しさからは想像もつかない、ドジな素顔。それは舜太にとって、『憧れの先輩』像とはまた違う、心躍る発見だった。
またとある日、今度は仁人が舜太を誘い出した。
「ここ、最近流行りのタピオカ屋なんだけどさ。……たまにはこういう甘いのもいいだろ? 先輩が教えてやるよ」
少しだけ得意げに舜太をエスコートしようとする仁人は、慣れた様子で注文を済ませ「ここはこうやって飲むのが通なんだよ」と先輩らしいところを見せようとする。
「へえ、仁人くんって結構詳しいんですね!」
「まぁな。……見とけよ」
仁人は自信満々にカップを受け取ると、いかにも慣れた手つきでストローを掴んだ。しかし、勢いよく突き刺した瞬間、カップが滑って指先が空回りする。
「……っ、うわっ!」
勢い余ったストローが蓋の縁を押し出し、カップが傾いた拍子に、タピオカミルクティーが仁人の白いTシャツへ無情にも飛び散った。
「え、仁人くん……? 『通』な飲み方って、そういうことですか?」
「ち、違う! 今のは……その、ストローが不良品だったんだよ!」
仁人は顔を真っ赤にして、一生懸命汚れを拭こうとあたふたしている。そんなミルクティーまみれになって慌てる仁人を見て、舜太の胸の奥で何かが弾けた。
(……なんだこれ。仁人くんってしっかりものだと思ってたのに、普段はおっちょこちょいで……可愛いんやな)
かつて憧れだけで見ていた先輩が、今は自分と同じ目線で、どうしようもなく愛らしく困り果てている。舜太は笑いを堪えながら、仁人の手からタオルを奪い取った。
「仁人くん、もう……いいから。貸して?」
至近距離で胸元を丁寧に拭ってあげる間、仁人は恥ずかしさのあまり俯いたまま、耳まで真っ赤に染めていた。その無防備な抵抗のなさに、舜太の中で「憧れ」とは全く別種の、もっと熱くて深い感情が芽生え始める。
(……この人、俺が隣におらんとあかんわ)
ふと顔を上げた仁人が、「……ごめんね、いつも」と申し訳なさそうに、けれど最高に無防備でキラキラとした笑顔を向けてくる。その瞬間の柔らかな眼差しに、舜太の心臓は決定的な音を立てて撃ち抜かれた。
「……仁人くんは、ほんまに放っておけないですね」
敬語混じりだった口調は、いつしか完全なタメ口へと変わりつつあった。
舜太は、仁人の一生懸命で、どこか憎めないその全部を独占したいと心から願った。仁人がまだ舜太を「可愛い弟分」として扱っている間も、舜太は着実に、この愛しい人を「男として」追い詰めようと狙っていたのだ。
時は経ち、M!LKとしてのグループ活動にも慣れ、ステージの上でのコンビネーションもオフでの何気ない会話も、二人の中では当たり前の光景となっていた。
その日も、練習を終えたあとの、なんてことのない帰り道だった。夜の湿った空気が火照った肌に心地よく、二人は並んで歩いていた。グループの話、次に挑戦したいパフォーマンスのこと、そして今日食べたものの話――。他愛のない会話が途切れることはなく、それが二人にとっては心地よいリズムになっていた。
街灯の明かりが等間隔で二人を照らし、背後の影を長く伸ばす。舜太は、ふと隣を歩く仁人の横顔を盗み見た。
ふとした拍子に見せる、あの頃と変わらない無防備な表情。その「素」に触れるたび、舜太の中で眠っていた熱が静かに目を覚ます。
(……ああ、やっぱり、俺はこの人のことが……)
確信に近いその想いが、舜太の足を止めた。
不意に立ち止まった舜太に、仁人が「ん? どうした?」と不思議そうに振り返る。その真っ直ぐな眼差しを受け止めたとき、舜太はもう、自分の気持ちにブレーキをかける必要はないのだと悟った。
舜太は一歩だけ仁人に詰め寄り、逃げ場を塞ぐように真っ直ぐに見つめ返す。
「――仁ちゃんはさ、もっと俺を頼ってよ。俺が、仁ちゃんのポンコツな部分も全部守ってあげるから」
夜の静寂の中で放たれたその言葉に、仁人は一瞬きょとんとして、それからあからさまに眉をひそめた。
「……はぁ? なんだよそれ。俺は先輩だぞ? 年下にポンコツ扱いされた挙句、守るなんて言われる筋合いはないんだけど」
仁人が不服そうに言い返すのを、舜太は逃さない。ニヤリといたずらっぽく笑うと、さらに一歩距離を詰めた。
「ええ?仁ちゃん実は寂しがり屋さんなんだから、こんなこと言って貰えてほんとは嬉しいやろ〜?」
「……なんか、お前にそう言われると腹立つな」
「お、寂しがり屋さんなのについては否定しないんや!」
その「腹立つ」という言葉には、自分を男として意識させまいとする可愛い防衛反応だと、舜太は勝手に解釈している。
(……この人、ほんまに愛おしいな)
舜太にとって、仁人はいつしか「憧れの対象」から「世界で一番近くにいたい人」へとなっていた。
「……仁ちゃん、またラーメン行こうな。俺が連れてったるから」
「……お前が奢るのかよ? 先輩の威厳がねえな」
そんな他愛のない会話さえも、舜太にとっては宝物だった。まだ仁ちゃんが自分を「頼れる後輩」としか見ていないことなど知る由もなく、舜太はこの時、誰よりも早く、彼のすべてを独占することを心に決めていた。
数年後。二人はグループを支える要として、仕事のパートナー以上の距離感で日々を駆け抜けていた。
地方の山あいで行われる過酷な撮影ロケ。早朝の東京駅から新幹線に飛び乗り、そこからスタッフが手配したロケバスに乗り換えて二時間。最後は地元のタクシーさえも音を上げるような、細い山道へと分け入っていく。
「仁ちゃん、さっきのコンビニで甘いもん買っとけばよかったな。山の上って、なんもなさそうやし」
「大丈夫だよ。俺、ちゃんと非常食持ってきたから」
「……え、非常食って何?」
「チョコレートと、あと……飴ちゃん」
仁人が自信満々に取り出したのは、遠足のようなラインナップだった。舜太は思わず苦笑し、その変わらないマイペースさに胸が温かくなる。かつてラーメン屋で麺を飛ばしていた頃と、本質的な部分は何も変わっていない。それが、たまらなく愛おしかった。
車を降りると、そこには深い霧が立ち込めていた。雲が低く垂れ込め、周囲の山々を飲み込もうとしている。
マネージャーからの事前情報によると、撮影予定地であるこの集落は、山のさらに奥深く、谷あいにひっそりと佇む場所らしい。車を降りた瞬間、冷え切った空気が肺に流れ込み、都会の喧騒が遠い過去のことのように感じられた。
雨が降しきる中歩くこと数分、石畳の細い坂道の先、霧の向こうからようやくとある建物が見えてきた。
創業百年を超えるという、古びた温泉旅館だ。外観は歴史の重みというよりは、時の流れに抗い疲れたような、どこか寂れた風情を漂わせている。
「ここか……。電波、全然入らないな」
仁人がスマホの画面を掲げ、山の合間にわずかな通信の糸口を探して首を傾げる。
旅館の入り口は無人で、引き戸を開けると、木造の廊下が歩くたびにミシミシと低い音を立てた。埃っぽさと、湿った畳の匂いが鼻を突き、まるで時間がここで止まっているかのような錯覚を覚える。
受付にようやく現れた老主人から鍵を受け取ると、マネージャーが少し気まずそうに舜太に声をかけてきた。
『おい舜太、悪い。今回の旅館、この前の台風の影響で想定してたより建物の老朽化が進んでてな……雨漏りで使える部屋が極端に減ってるんだ。お前、仁人と二人部屋でも大丈夫か?』
「え、全然ええよ。仁ちゃんとならむしろ好都合やし」
舜太が即答すると、マネージャーは『助かるよ、他のスタッフは残りの部屋に詰め込むから……』と足早に去っていった。
二人が案内されたのは、古びた廊下の突き当たりにある、こじんまりとした和室だった。
「……え、ここ? 2人で?マネージャー、なんて言ってた?」
部屋に入ってから状況を察したのか、仁人が不思議そうに問いかける。舜太は努めて冷静に、けれど口元を緩めないようにして答えた。
「あー、スタッフさんたちで他の部屋が埋まっちゃってて、俺らはここになったんだって。 ……仁ちゃん、俺と一緒で嫌?」
仁人は少しだけ戸惑ったように部屋を見渡し、それから溜息をついた。
「……別に嫌じゃないけどさ。……なんか、お前とずっと一緒だと狭そうだな」
そう言って仁人が先に部屋の隅に荷物を置く。その背中は、昔と変わらずどこか隙だらけで、舜太の独占欲を静かに刺激した。
ようやく到着した部屋で一息つく間もなく、マネージャーが慌ただしく部屋の戸を叩いた。
『二人とも、悪い! 今の豪雨で麓からこっちへ続く唯一の道が冠水し始めた影響で、機材車と残りのスタッフが乗ったロケバスが山を登れなくなったらしくてな…… とりあえず、今日予定してた屋外撮影は全部中止になると思っておいてくれ。』
ドアの向こうから響くマネージャーの声は、焦りに満ちていた。
『明日も天候次第でどうなるか分からんし、最悪の場合は俺たちもここに足止めだ。とにかく今日は、危ないからこの旅館から出ないでくれ!』
慌ただしく足音が遠のく。部屋には、二人に渡された古い真鍮の鍵だけが残された。
窓の外は、すでに叩きつけるような雨粒で白く霞んでいる。
「……マジかよ。明日も怪しいなんて、散々だな」
仁人が窓辺で溜息をつく。雨足は強まる一方で、山の木々が風に大きく揺れている。まるでこの旅館だけが、現世から切り離されたかのような閉塞感。
舜太は少し濡れた仁人の背中に近寄り、そっとその肩に手を置いた。
「仁ちゃん、風邪ひくで」
舜太は手慣れた手つきで仁人の頭からタオルをかけ、その髪を丁寧に拭く。かつては遠い背中として追うばかりだったその肩は、すっかり自分の腕の中に収まるサイズで、同時に、昔と変わらず放っておけない「隙」を宿している。
舜太はその横顔をじっと見つめた。嵐の山奥。逃げ場のない古い宿。そして、二人きり。
(……この雨、ずっと止まらへんかったらええのに)
舜太は、仁人には聞こえない声で心の中で呟いた。
古い旅館の木造の壁が、風に軋む。その音は、二人の間にあった「先輩と後輩」という最後の境界線を削り取る合図のように、激しく山を叩き続けていた。
ゆゆ@プロフお読み下さい。

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コメント
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おぉ、一気に二人の距離が縮まっていく感じがたまらなかったです。憧れの先輩・仁人くんが♡♡♡な姿見せるたびに、舜太の心の中で“守りたい”気持ちが育っていく描写がものすごく丁寧で。最後の「この雨、ずっと止まらへんかったらええのに」には心臓ギュッと掴まれました。嵐の山荘で二人きり……ここからの展開、めちゃくちゃ気になります🍜🤍