テラーノベル
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舜太が姿を消した朝のことを、柔太朗は今でも鮮明に覚えている。
枕元に残された、不格好な木彫りの月と、たった一言の書き置き。「ありがとう。また、必ず」――その文字を何度も指でなぞりながら、柔太朗は、声を上げずに泣いた。
それから幾日も、柔太朗は落ち着かない夜を過ごした。舜太が今どこにいるのか、無事なのか、何も分からないまま、ただ祈ることしかできなかった。
(――どうか、無事でいて)
柔太朗が願うのは、いつもそれだけだった。守ってほしいとも、迎えに来てほしいとも思わなかった。ただ、この世界のどこかで、舜太が生きて息をしていてくれさえすれば、それで十分だった。多くを望むことは、もう自分には許されていない気がした。あの人を危険に晒したのは、他でもない自分の存在だったのだから。
月日が経つにつれ、白色の国にも、不穏な影が伸びてきていた。
黒色の国が、赤色の国を完全に飲み込んだという報せが届いたのは、舜太が姿を消してから、さほど経たない頃のことだった。次に狙われるのは、黄色か、それとも白色か――宮廷では、そんな囁きが絶えなかった。
柔太朗は、父王を補佐しながら、国境の守りを固め、周辺国との連携を模索した。だが、いくら備えを固めたところで、大国の侵攻を小国が単独で防ぎきれるはずもない。柔太朗は、いつ攻め込まれてもおかしくないという緊張の中で、来る日も来る日も、政務に忙殺されていった。
それでも、いつまで経っても、黒色の国の軍勢が白色の国に姿を見せることはなかった。
赤色の国の内部で、権力争いが続いているという噂が、途切れ途切れに届く。それが、この国にとって束の間の猶予をもたらしているのだと、柔太朗は理解していた。だが同時に、その混乱の渦中に、舜太がいるのではないかという予感も、拭い去ることができなかった。
生きているのか。それとも、もう――
考えるだけで、息が詰まりそうになる夜が、幾度もあった。
そしてある日、その予感は、確かな報せとなって届いた。
「――赤色の国が、独立を果たしたそうです。しかも、旧王家の血を引く者が、黒色の国の後ろ盾を得て、新たに『赤と黒の国』を興したと」
柔太朗は、報告書を握る手に、思わず力を込めた。
(ついに、やったんだ)
誇らしさと、安堵と、そして――言いようのない切なさが、同時に胸に押し寄せた。舜太は、自分の力で、すべてを取り戻したのだ。もう、あの頃のように、誰かに守られるだけの存在ではない。
それから間もなく、赤と黒の国からの使節団が、白色の国を訪れるという報せが届いた。
使節団を率いてきたのは、他でもない、舜太自身だった。
謁見の間に現れたその姿を見て、柔太朗は、一瞬、言葉を失った。
かつての人懐っこい少年の面影は、もうどこにもない。堂々とした立ち姿、鋭さを増した眼差し、纏う空気そのものが、一国を背負う者のそれだった。それでも、柔太朗と目が合った瞬間、その表情には、確かに、あの頃と変わらない優しさが滲んだ。
「――久しぶりやな、柔」
「うん。久しぶり、舜」
公の場での再会は、儀礼的な言葉のやり取りに終始した。その夜、人払いをした一室で、二人は改めて向き合った。
柔太朗は、しばらく舜太の顔を見つめてから、静かに口を開いた。
「――変わったね」
「……せやな。自分でも、そう思う」
「でも」
柔太朗は、少しだけ目を細めた。
「変わってない部分も、ちゃんとあるよ。……こうして、約束を守って帰ってきてくれたこと。それに、僕を大事に思ってくれてること。そこだけは、昔から何も変わってない気がする」
舜太は、一瞬、虚を突かれたような顔をした。それから、ゆっくりと頷いた。
「――ほんまに、柔は、よう見てるな」
「見てるよ。ずっと、遠くからだけど」
その一言に、舜太は目を伏せた。変わってしまった自分を、それでも変わらない部分ごと見つけ出してくれる。それが、どれほど救いになることか、柔太朗には、まだ伝わっていないのかもしれなかった。
「これ」
舜太は、懐から小さな布包みを取り出した。開くと、そこには、あの銀の月の意匠があった。
「約束、守れたと思う。……返しに来た」
差し出されたそれを、柔太朗はしばらく見つめた。それから、静かに、舜太の手をそっと押し返した。
「――まだ、持ってて」
「……え?」
「約束は、これで終わりじゃないでしょう。返しに来てくれたことは、嬉しい。でも、これはまた、舜が持ってて。……次に会うときの、口実にしたいから」
柔太朗は、少しだけ悪戯っぽく微笑んだ。舜太は、意外そうな顔をしたあと、ゆっくりと頷いた。
「……分かった。もうしばらく預かっとくわ」
その仕草に、柔太朗の胸が、静かに高鳴った。
しばらく、二人は静かに、これまでの互いの日々を語り合った。舜太が歩んできた過酷な道のりに、柔太朗は何度も言葉を詰まらせた。
「……舜は、これから、何を目指してるの? 何を、望んでる?」
柔太朗は、ふと、ずっと聞きたかったことを、静かに尋ねた。
「赤色の国を取り戻して、黒色の国の後ろ盾まで得て……そこまでして、舜が本当に欲しいものって、何なの? 僕には、よく分からない」
舜太は、しばらく黙り込んだ。第二王子には、二度と何も奪われない自分になりたいのだと、そう答えた。それは、嘘ではなかった。だが、柔太朗にだけは、その奥にある、本当の答えを伝えたかった。
「――柔のところへ、胸張って帰れる自分になりたかった。それだけや」
「……それだけ?」
「それだけで、十分やった。俺にとっては」
舜太は、柔太朗の手をそっと取った。
「いつか、柔と二人で、誰にも脅かされへん場所に立ちたい。……それが、俺の本当の望み」
その言葉に、柔太朗は、しばらく声を出せずにいた。政治的な野心の裏に隠された、あまりにまっすぐな願いに、胸の奥が締め付けられる。
「……舜らしいね、それ」
柔太朗は、震える声で、そう零すのが精一杯だった。
滞在中、舜太は公務の合間を縫って、柔太朗と共に過ごした。港を歩き、工房を覗き、幼い頃と同じように、他愛もない話で笑い合う時間。それは、これまでの苦難を、少しの間だけ忘れさせてくれる、かけがえのないひとときだった。
だが、その穏やかな時間の裏で、舜太の懐には、すでに一通の書状が忍ばされていた。
第二王子からの、新たな命令書。
――次は、白色の国を、手に入れろ。
その文字を、舜太はまだ、柔太朗に見せていなかった。見せられなかった。
コメント
1件
えもすぎる……!!😭💕💕 舜太が帰ってきたーー!!って思ったら、もう最後の命令書で心臓ぎゅーってなったよ…!!「胸張って帰れる自分になりたかった」って台詞、マジで刺さりすぎてもう一生忘れられないレベルなんだけど💘 変わった部分と変わらん部分をちゃんと見つけて「そこだけは昔から変わってない」って言う柔太朗も優しすぎるし、ペンダント返さずに「次会う口実にする」って言っちゃうずるい女(男?)すぎてキュンが止まらんのよ😇💘 でもラストの命令書……舜太の苦しさがひしひし伝わってきて切なすぎる…続き早く読みたい…!!