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そこは空き地のようで、そうではない。石一つ転がっていない広場ではあるものの、敷地の奥には飾り気のない建物がいくつも並んでいる。
城下町の一画を占めるここは軍区画。朝陽に照らされる中、多数の軍人達が汗を流している。
ある者は軍服を脱いで走り込み。
ある者は腕立てやスクワット。
そのやり方は上官の方針によってまちまちながらも、強くなりたいという目的だけは共通だ。
軍服の種類は大きく四つに分類される。所属する軍によって住み分けがされており、黒紅色の軍服が最多か。
彼らこそが王国防衛軍。その名の通り、イダンリネア王国の防衛に特化した集団だ。
入隊希望者が最初に配属される軍でもあるのだが、訓練を終えた後は適正や希望によって配属先が決定される。
傭兵にとっても、最も身近な軍人だ。
城下町を覆う壁の大門には門衛が二人配置されており、彼らこそが王国防衛軍に他ならない。
一見するとすれ違うだけの間柄にも思えるが、現実は異なる。挨拶を交わすという意味ではなく、傭兵は時に門衛に助けを求める。
その意味するところは、傷の手当に他ならない。
傭兵は魔物と戦う。その過程で傷つくことも多いのだが、もしも同行者の中に回復魔法の使い手がいなければ、あるいは単独行動だった場合、負った傷は応急処置で済ますしかない。
無事帰国出来た暁には、門衛に頭を下げて治療を頼むことが一般的だ。大門の守り手には回復魔法の習得者が選ばれるため、そういった慣例が可能となっている。
制度ではないのだが、このような助け合いの精神があるからこそ、その少年は十年以上も生き延びられた。
草原ウサギしか狩れない、非力な子供。才能がないにも関わらずそうすることでしか生計を立てられなかった理由は、浮浪者であることに起因する。
少年の名前はエウィン・ナービス。今は十八歳ゆえ、年齢だけなら成人ながらも、その顔立ちは童顔ゆえに若く見られてしまう。
(言われた通り、来てみたけど……)
現在の時刻は朝の十時前。イダンリネア王国の一日は既に始まっており、大通りは通行人で溢れかえっている。
緑色の頭髪と緑色の長袖の組み合わせも去ることながら、部外者ゆえに目立って当然だ。幾人もの軍人から視線を向けられながらも、エウィンは不審者のようにグラウンドを進む。
傭兵でありながらつまみ出されない理由は、この少年の名前と容姿がひっそりと知れ渡っているためか。
当然だ。ジレット監視哨の活躍はそれだけで十分過ぎる。
(あ、緑色っぽい人達発見。中心にいるのがジーターさんかな? 背もめっちゃ高いし、飄々とした雰囲気なんかはいかにもって感じ)
黄色い短髪。
細身ながらも誰よりも長身。
遠目からではそれ以上の情報は得られないながらも、エウィンの歩みは自然と速くなる。
深緑色の軍服は遠征討伐軍を意味するのだが、その内の一つを率いる男が彼だ。
ジーター・バイオ。エウィンをこの地に招いた張本人であり、一日振りの再会ゆえ、軍人でありながら挨拶は柔らかい。
「おはよう。時間通りだな、偉いぞ」
エウィンの到着に伴い、ジーターの無表情な顔がわずかに綻ぶ。
周囲には五人ほどの部下が立っているのだが、彼らもエウィンとは顔馴染みだ。ケイロー渓谷のゴブリン掃討戦にて共闘しただけの間柄ながらも、縁としては十分過ぎる。
緑色の軍服達が訪問客を一斉に迎え入れるも、エウィンとしても怯んではいられない。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
若輩者らしく、先ずは一礼だ。若葉色の髪を揺らして腰を折る姿は、この地に溶け込むための努力と言える。
昨日に引き続き、今日のエウィンは軽装だ。小ぶりのリュックサックを背負っており、腰には鉄製の短剣を下げている。
私服ゆえに、グラウンド上では異物感が拭えない。軍人しかいないことが当たり前の場所ゆえ、傭兵が混ざれば目立ってしまう。
そんな中、第一遠征部隊の軍人達がエウィンを取り囲む。ゴブリン掃討の功労者を改めて労うためであり、その一画だけは笑い声さえ木霊する。
部下達が盛り上がる中、隊長だけは冷静だ。タイミングを見計らって本題を切り出す。
「さて、そろそろいいか? エウィン、改めて説明するぞ」
「はい」
この問答が空気を引き締める。今から何が始まるのか、部下達も把握済みだ。
ジーターは既に訓練用の木剣を握っているのだが、あえて見せびらかさない。先ずはお膳立てが必要だと理解しており、復習のように話し始める。
「ジレット大森林に現れた未知の特異個体。その討伐をエウィンが請け負ってくれたことに感謝する」
「い、いえ……」
「昨日の面接は合格だ。そして今から、実技試験を行う。内容は、俺との模擬戦。ここまではいいな?」
弱い者には、任せられない。
つまりはそういうことであり、エウィンは改めて実力を示す必要がある。
もっとも、ジーターだけでなく彼の部下達もこの傭兵のことは重々承知だ。
不思議な天技を行使する上、その実力は隊長クラスにも引けを取らない、と。
それでもこうして模擬戦を実施する理由は、手続きの都合上、避けられない。お役所仕事だと罵られようと、軍隊とはそういう組織だ。
エウィンも既に納得している。
演じるように首を縦に振るのだが、このタイミングで横槍が入る。
「おいおい、最近見ねーと思ったら、ちゃんと生きてるじゃねーか」
声は男のものだ。
彼の軍服は黒紅色。それは、ジーターの部下ではないことを意味する。
声質は苛立っているのか、呆れているのか、あるいは両方か。
ズカズカとこの集団に歩み寄る理由は、エウィンに語りかけるためだ。
「傭兵らしく死んだと思ってたぜ。こんなところで何してやがる?」
軍人らしくない、横暴な態度だ。睨むように顔をしかめており、スキンヘッドも相まって十分過ぎる迫力と言えよう。
左頬の切創も強面に拍車をかけるも、エウィンは怯みもせずに言ってのける。
「あ、お久しぶりです。その節は、いつもお世話になりました」
二人は顔見知りだ。
傭兵と軍人でありながら接点がある理由は、彼が門衛であることに他ならない。
「ジーター隊長、どうも。お偉いさんが何を……、あぁ、ジレット大森林……」
この男の名前はサウロ。中央防衛軍本隊に所属する軍人であり、その経歴は長い。
王国とその民を守ることに誇りを持っており、城下町の入り口でもあるエリシアの大門は彼にとっても重要な職場だ。
血の気が多い理由は、二十代ゆえの特権か。
見知った傭兵がグラウンドにいたため、条件反射で語りかけるも、水を差してしまったと今更ながらに気づかされる。
もっとも、この男は部外者ではない。ここは軍人が体を鍛えるためのグラウンドゆえ、ジーターとしても寛大な態度を見せる。
「そうだ。今からそのための試験を行う」
「なるほど。って、こいつは万年ウサギですよ⁉ 知らないんですか⁉」
サウロは以前のエウィンを知るからこそ、声を荒げずにはいられない。
万年ウサギ。十一年もの間、草原ウサギを狩り続けたエウィンの通名だ。
傭兵のほとんどが、一か月もかからずにウサギ狩りを卒業する。魔物を狩ることで人間は強くなれるのだが、自身の成長に伴い相対的に草原ウサギが格下になると、その恩恵は受けられなくなってしまう。
だからこそ、ウサギ狩りを通過点として次のステップへ進むのだが、エウィンは悪い意味で例外だった。
なぜなら、何十、何百と草原ウサギを狩ろうと、彼の身体能力は向上しなかった。
才能という壁が立ちはだかった結果なのだが、それでもなおウサギ狩りを続けた理由は、そうすることでしか金を稼げないと自覚していたためだ。
成長を阻んだ壁を取り払った存在こそがアゲハなのだが、その仕組みまでは当事者ながらも理解出来ていない。
サウロは門番として、過去のエウィンを知っている。
草原ウサギを狩り続けた子供。
雨の日も欠かさず、マリアーヌ段丘へ足を運んだ子供。
草原ウサギにすら殺されかける子供。
エリシアの大門に常駐する中央防衛軍本隊にとって、この傭兵の手当は業務の一環になっていた。
サウロもその部隊に所属する一人ゆえ、エウィンの非力さは重々承知だ。
だからこそ、ジーターに食ってかかってしまう。
もっとも、今のウイルを知る者からすれば、いらぬ心配だ。
「問題ない。と、戦うから決めつけるのもおかしな話か。悪いがこの辺り一帯を使わせてもらう、離れていろ」
長身の隊長は無表情を貫くも、闘志を燃やし始める。
呼応するように彼の部下がエウィンに歩み寄るも、その理由は試合で使う武器を手渡すために他ならない。
「これは?」
「好きな方を使え」
ジーターが言う通り、その軍人は短剣と片手剣を携えている。どちらも木製ながら、その形は紛れもなく凶器のそれだ。
エウィンは一瞬迷うも、使い慣れた短剣を選ぶ。リーチは片手剣に劣るも、今回は実直に戦おうと考えた。
両者の右手がそれぞれの武器を握った以上、どちらかが襲いかかればそれが模擬戦開始の合図だ。
そのはずだが、今回ばかりはそうもいかない。
「ま、待ってください! だったら俺にやらせてください!」
サウロだ。一旦は後ずさるも、意を決して長身のジーターに歩み寄る。
その真意は不明ながらも、男の顔は本物だ。
その意をくみ取るように、ジーターは問う。
「今のエウィンは強いぞ」
「それを確認するためにも、先ずは俺に戦わせてください! お願いします!」
先ほどまでの悪態が嘘のようだ。
部隊は違えど、上下関係は存在する。ただの兵士であるサウロにとって、ジーターは実力、年齢、階級のあらゆる面が格上だ。
それでも食い下がるように懇願する理由を、今は誰も見抜けない。
「ふむ、そこまで言うのなら、今回の試験は二連戦ということにするか」
「あ、ありがとうございます!」
(試験を受ける僕の目の前で、いきなり合格ラインが上がった……。ま、まぁ、口出し出来る雰囲気じゃないから、大人しく従うけど……)
試験のハードルが上がった瞬間だ。
エウィンは棒立ちのまま木製の短剣を握り続ける一方、頭を輝かせながらサウロが気合を入れる。
「おっしゃ! 万年ウサギ! いや、エウィン! 俺が相手してやる!」
(考えてみたら、僕、この人の名前知らない……、恩人なのにな)
傭兵にとって、門番は最も身近な軍人だ。
とは言え、彼らはシフトを組んでエリシアの大門に立っている。毎日異なる軍人に入れ替わるため、名前を知らないことは特段不思議なことではない。
鼻息荒く、借り受けた木剣で素振りに励むサウロだが、発言通り、闘志は既に十分。エウィンの態度次第では、今すぐにでも飛び掛かる気概だ。
「ジーター隊長、俺はいつでも大丈夫です。早速始めても?」
「そうだな、エウィン、飛び入り参加ということで、先ずは彼を……。中央防衛軍本隊所属の強面門番ことサウロと戦ってもらう。準備はいいか?」
見知らぬ対戦相手の氏名が判明した瞬間だ。
エウィンとしても、やる気をみなぎらせながら喜ばずにはいられない。
「はい! サウロさんを倒して、特異個体も倒して来ます!」
正確には次戦が控えているのだが、隊長はいちいち訂正しない。少年のやる気に呼応して、わずかに後退しながら口を開く。
「言うまでもないが、やりすぎは厳禁だぞ。では、試合開始」
戦う二人と比べれば、ジーターの声量はやかましくない。
それでも、審判役がそう宣言した以上、この場は当然のように盛り上がる。
示し合わせたかのような大歓声だ。グラウンドで汗を流していた軍人達が、気づけばぞろぞろと集まった結果だ。
彼らは特訓を中断して観客に成り下がるも、ジーターを含めて誰も咎めない。いかに規律に厳しい軍人であろうと、模擬戦が始まれば楽しまないはずがない。
同僚からの声援を受けて、サウロもまた笑みを浮かべる。
「へっ、見世物じゃねえっつーの。まぁ、仕方ねーわな。軍人と傭兵が戦うんだ、勝手に盛り上がりやがれ。エウィンもそう思うだろ?」
「そう、ですね。この場合、悪役は僕なのかな?」
本来ならば、そうなる。
ここは軍人のための施設であり、エウィンは完全に部外者だ。二人を取り巻く大勢の観客が、どちらを応援しているかは一目瞭然だろう。
そのはずだが、沸き立つ観客は真っ二つに分かれている。
「勝てよ、ハゲ!」
「少年がんばってー」
「門番の意地見せろ!」
「お、あの時の子供か? 大きくなったなぁ。応援してるぞ!」
普段ならありえないことが起きている。
その理由は、この少年だからこそだ。エウィンは傭兵でありながら、一時期ここに通っていた。
傭兵試験に受かる前の出来事だ。
当時のエウィンは六歳。母を見捨てるように単身でイダンリネア王国に移り住むも、当然ながら身寄りなどいない。貧困街の片隅で飢えに苦しみながらも、導き出した結論が傭兵だった。
死に急ぎたいという無意識がそうさせた。
魔物を狩れる程度には強くなる必要があったため、小さな浮浪者は軍人達の訓練を盗み見る。
木の枝を剣に見立てて素振りに明け暮れるも、独りぼっちの努力はある日突然終わりを告げる。
その姿に胸を打たれた軍人達が、少年に手を差し伸べた。
訓練用の短剣を手渡し、正しい所作を学ばせる。
たったそれだけの善意ながらも、その甲斐あってエウィンは七歳の時点で傭兵試験を突破してみせた。
近年稀に見る、幼い傭兵の誕生だ。
その後はスランプのように成長が停止するも、その壁は十一年後に破られる。
そして今に至るのだが、緑髪の浮浪者が戻ってきたことから、当時を知る者が盛り上がらないはずもない。
予想外の歓声に包まれながら、サウロが黒紅色の軍服にしわを作りながら木剣を構え直す。
「不思議だぜ。おまえさんからは強者特有のプレッシャーを微塵も感じねー。上官との模擬戦だったら、ぶっちゃけビビっちまうのに」
「そういうの、最近良く言われます」
軍人が指摘する通り、エウィンの佇まいおよびまとう気配は、凡人のそれだ。
ましてや、サウロは眼前の対戦相手について十分見知っている。
草原ウサギに悪戦苦闘しながらも、なんとか数体持ち帰る傭兵。無傷で狩猟を終える日もあれば、腕を折られることもザラだ。
そういった負傷をこの男が回復魔法で治したことは一度や二度では済まない。
十年を越える年月が少年の身長を伸ばしたが、実力は据え置かれた。呪いのような事象ながらも、才能がないとはそういうことだ。
ゆえに、サウロは自身の方が強いと思い込むも、どういうわけか踏み込めない。万年ウサギと揶揄される傭兵に劣ることはないのだが、今はゴクリと喉を鳴らしてしまう。
「ほんと~に不思議だぜ。何も変わっちゃいねーのによ。まぁ、いいや。さんざん心配させやがったんだ、今のお前を見せやがれ!」
声援を跳ね返すような咆哮だ。
それを合図に、軍人が駆け出す。その脚力は軍人が張りぼてでないことを実演しており、両者の距離は一瞬で縮まる。
ここまでは前段階に過ぎない。サウロは歯を食いしばりながら、剣の柄を潰すように握る。
「シッ!」
身長はサウロの方が高い。見下ろすほどではないにしろ、木造の片手剣はスムーズに振り下ろされる。
一連の動作に無駄などなく、目にも留まらぬ速度はこの男が鍛錬を怠らなかった証左だ。
手加減無しの斬撃には、人間を殺せるほどの威力が込められている。当たった場合、いかに傭兵と言えども軽傷では済まない。
もちろんそれは、直に当たった場合だ。
木材を削り、形作られた刃と刃が、甲高い悲鳴と共にぶつかり合う。
「く、止めやがったな……」
「はい。今度は……」
エウィンがやり返す。
有言実行と主張するように、発言を置き去りにして傭兵の姿が消え去った。
サウロの木剣は支えを失ったことで、素振りのように空を切るしかない。
何が起きた?
軍人が言葉を失うも、観客達だけは答え合わせを済ます。
決着の時だ。サウロは意識外の足払いを受けた以上、ひっくり返るしかない。その際に受け身を取ったことは称賛に価するも、対戦相手はそれ以上の強者だ。
仰向けのまま、男は空を見上げる。広大な青はどこまでも澄んでおり、跳ねたところで決して届かない。
その首に、冷たい刃が乗っかっている。実際には触れていないのだが、その存在感は格別だ。
「う?」
「勝負あり、です」
決着だ。
転倒しているサウロの首には、野菜を切るように刃が押し付けられている。
その傍らには、中腰のエウィン。右手はしっかりと短剣を握っており、これが偽物でなければ首を斬り落とせていた。
敗者は自身の状況を理解すると、嬉しそうに負け惜しみを述べる。
「はえぇな、思ってた以上だ。俺の……、完敗だな」
この発言を受けて、審判役の隊長が一歩を踏み出す。
「勝者、エウィン!」
瞬間、周囲の観客達がドッと湧き上がる。
本来ならば、同僚の敗北を悔しがるべきだ。
そのはずだが、彼らはそれ以上にその模擬戦を楽しんだ。
「やるじゃねーか、坊主!」
「何負けてんだハゲ!」
「見事だったぞー」
「ハゲ!」
歓声と罵声が入り乱れる中、サウロは汚れた軍服を叩きながら静かに立ち上がる。
そして、吠える。
「誰がハゲだボケェ!」
敗者が観客席へ殴りこんだ瞬間だ。悪口の犯人は声で特定出来ているため、サウロは木剣を振り回しながら走り回る。
大人達の鬼ごっこを尻目に、エウィンだけは満足そうだ。
その姿を眺めながら、ジーターが声をかける。
「サウロは決して弱くない。一人前の軍人だ」
「はい。すごい迫力でした」
「だが、おまえは奴の動体視力と反射神経を凌駕した」
この軍人の目には、全てが見えていた。
木剣を受け止めたエウィンが、目にも留まらぬ速さで対戦相手の背後に回り込む瞬間を。
さらには、間髪入れずの足払いも見事と言う他ない。
サウロは対戦相手を見失ったばかりか、死角から両脚を蹴られたのだから完敗のジャッジは正しい。
ジーターはエウィンの勝利を労いつつも、さらに付け加える。
「推測に過ぎないが、あいつはおまえのことを本当に心配していた。だから、再会を喜びつつも、同時に試さずにはいられなかったんだろう。ジレット監視哨やケイロー渓谷での奮闘は、当事者以外は文字でしかないからな」
「なるほど」
「その結果がこれだ。胸を張れ」
軍人が傭兵を褒める。世にも珍しい構図だ。
エウィンは照れながらも、嬉しそうに空を見上げる。
「これで試験も合格ですね。それじゃ、特異個体を狩ってきます!」
やる気は十分だ。報酬は八万イールゆえ、労働量と難度には見合わない賃金ながらも、浮浪者にとっては申し分ない。
面接に続き、実技試験も突破した。
満足げにそう主張するエウィンだが、ジーターは普段以上に冷静だ。
「早まるな。次は私だ」
「え⁉ なんかもう、そういう空気じゃないような……」
「あいつらが勝手に盛り上がってるだけだ。さぁ、やるぞ」
残念ながら、手続きは省かれない。ジーターは堅苦しい軍人ゆえ、こうなることは必然か。
エウィンが肩を落とす理由は、一重に戦いたくないからだ。
眼前の軍人が手ごわいこと。
究極の弱体魔法、グリムスに弱点がないこと。
そういったことを踏まえた結果、エウィンはジーターとの模擬戦を避けたのだが、その試みは失敗に終わる。
(勝てるかなぁ……)
心配だ。
そう思う理由は、やはりグリムスに集約される。
「さぁ、やるぞ」
(勝てるかなぁ……)
ジーターが軍服のボタンをわずかに外す。右手は既に片手剣を握っており、それが木製であろうと人間の骨なら簡単に折れてしまう。
一方で、エウィンは肩を落としたまま動けない。右手の短剣も、力なく垂れ下がっている。
模擬戦、その一回戦は傭兵の勝利だ。観客さえも十二分に楽しませた。
ここからは二回戦だ。
見事勝ち上がったエウィンには、さらなる強者が用意される。
二百人の部下を率いる、第一遠征部隊の隊長。その年齢は四十歳ながらも、二枚目な顔立ちも相まって若く見える。
この模擬戦は、どちらが強者かを決めるものではない。
傭兵が特異個体狩りに出向くことを許可するか否かの試験であり、合否はエウィンの実力にかかっている。
数奇な見世物がより多くの軍人を集める中、もはや戦闘開始の合図など不要だ。
まるで示し合わせたように、両者は向かい合う。
そして、地面を蹴る。