「嘘だろ…?ここに…ここに置いたのは俺だぞ!?」
ビルに囲まれた狭い空から差し込む光を頼りに、
ゴミや廃棄物で汚れた路地を見渡す。
だが、そこに時速30kmを軽く突破するロードバイクの姿はなかった。
(な…何が起きてるんだ?)
胸の鼓動が早まり、空気が薄いように感じる。
累(るい)は濃い酸素を求めて、元来た道を振り返った。
瞬間――。
「容疑者発見!ここだ!包囲しろっ!!」
「相手は火器を携帯している!こちらも射撃準備を!」
複数の警官が怒号とともに押し寄せてきた。
「射撃…?う、嘘だろ…?」
「動くな!抵抗した場合は即座に発砲するぞ!」
ホルスターから黒光りする回転式拳銃を抜き取り、大声を張り上げる警官達。
現実離れした光景を目の当たりにした累は、
瞬時にパニックに陥り走り出した。酷く無様に。
「ひっ…な、なんなんだよ!違うぞ…こんなんじゃない!」
(俺は銀行を襲って…、誰ひとり傷つけずに死刑囚になって…、
復讐をっ!ただ復讐をっ!!)
足がもつれ、腐臭のする泥水の溜りに顔面から倒れ込む。
それでも累は手足をバタつかせ、警官がいない方へと逃げた。
と――その時、累の体を包むホルスターから漂白剤爆弾が
音を立てて地面に転がり、シューという噴出音と共に白煙を撒き散らした。
「や、やばいっ!お、おい…こっちに来るな!毒ガスだ!」
腕を振り遠ざかれと合図を送る。
警官は後退りながらも累に銃口を向けた。
「毒ガス…!?全員退避!退避だっ!」
「犯人が凶器を使用!発砲! 発砲許可を!」
「や、やめろ!これは…爆弾が勝手に!」
毒ガスの雲の向こうから撃鉄があがる金属音が聞こえ、
累は再び走り出した。
目と喉がやけに痛む。
もしかしたら、毒ガスを吸い込んだのかもしれない。
(はぁっ…はぁっっ!し、死ぬのか…このまま!?なにもできないまま!)
弾丸に打ち抜かれるのが先か、毒ガスに肺を侵されるのが先か?
累はわけが分からないまま路地を飛び出し、
アスファルトに倒れ込んだ。
「ぜぇっ…ぜぇぜぇ…。」
鼻水や汚水で汚れた顔もそのままに、
澄んだ空気をめいっぱい吸い込む。
その刹那――。
「木葉梟(このはずく)くん?」
「…お兄ちゃん?」
クラスメイトである青鵐 凛(あおじ りん)と妹ののじこが、
少年銀行強盗になった累の顔を覗き込んだ。
「青鵐…それに、のじこ。どうして、ふたりが…ここに?」
(な、なんなんだよ!予定がメチャクチャだ…!
俺が望んだ襲撃計画は、こんなものじゃない!)
ギャング映画の主人公よろしく、
颯爽と大金を奪い去った累。
しかし、その仮面はものの数分もしないうちに、
無様に剥がれ落ちていた。
「木葉梟くん…どうしたの?顔色が悪いわよ?それに、服が汚れてる…」
凛が尋ね、それにのじこが続く。
「お兄ちゃん、また悪い人に何かされたんじゃ…」
「こ、これは…なんでもないんだ!
それより、のじこ…どうしてお前が青鵐と?」
非現実的なことを実行に移している最中に、
それを越える超現実的な存在が目の前に現れたことで、
累は逃げることも忘れ、のじこに質問を投げかけていた。
「…えっと、どこから話せばいいかな?うーん…あのね、
青鵐さんのお父さんが、私達の力になってくれるんだって」
「はっ?どういうことだよ…?」
自分と距離を取ろうとしていたクラスメイト。
その彼女の父がなぜ自分たちに?
理解不能な展開に累が眉根を潜めていると、
凛がのじこに目配せを送り、言葉を引き取った。
「実は…私のお父さん、『World Heart』っていう加害者家族の支援活動をしているの…。
それで、木葉梟くん達のことを話したら手助けしたいって言うから、
そのことを伝えようと思って…」
「わざわざ、家まで来てくれたんだよ。
それで、お兄ちゃんが帰って来るのを待ってたら、
燕姿(イェンツー)さんがカフェのドリンクチケットをくれたの。
それで渋谷に来たってわけ!ふふっ!ちょうど逢えて良かったね!」
(ぜんぜん…良くねぇよ。なんで、このタイミングなんだよ!)
なぜロードバイクがなかったのか?
なぜ警官隊はすぐ自分に追いついたのか?
なぜのじこと凜が渋谷にいたのか?
出来すぎた偶然が疑惑の種を芽吹かせる。
(まさか、師匠が…)
裏切った。
そんな最悪の想像を遮るように、
凜が累を上目遣いで見つめた。
「あ、 あのね…。私、木葉梟くんに…その…あやまりたいことが…」
「ちょっと、お兄ちゃん!青鵐さんの話、聞いてるの?」
久しぶりに嬉しそうな妹の笑顔を自分自身が踏みにじり、
恋心を抱いていたクラスメイトが歩み寄ってくれたのに砂をかけ、
残されていた僅かな幸福をすべて手放す――。
(俺はバカだ…分かったつもりになっていたけど、
本当のことは何ひとつ分かっちゃいなかったんだ!)
それが罪を犯すことなのだと理解した途端、
累は足元がグラつき、視界がグニャリと歪むような
異様な感覚に包まれた。